詩客 協同企画

短歌俳句自由詩の協同の企画を掲載します。

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俳句自由詩協同企画評  試みに加わって。 萩原健次郎

2015-07-08 13:14:10 | 日記
垂直の橋をうらやむ穹と水

 試みの渦中にあって、つまりは今も渦中であり、それを評することは難しい。はじめ、貴誌からの依頼文には、こう書かれていた。「詩人の1行詩、俳人の連作。俳句作品は、詩の構造変革を迫るような激しい作品。詩人の1行詩は、俳句の発想を根底から覆してくれるようなものを」と。
書くというとき、私は詩も俳句もその様式を意識したりはしない。だから、この要請文にある、「詩人、俳人」「詩の構造」「俳句の発想」という考え方の在り所がよくわからなかった。詩人に要請されている「俳句のようなもの」、俳人に要請されている「詩のようなもの」というなら、ぼんやりわかるが、ぼんやりしながら、この要請に加担してよいものやら、悩んだ。それよりも、私には、「詩の構造や俳句の発想」への理解自体がはじめから備わっていなかった。このような意味で、要請には応えられないと断念をした。
ただ、要請に向かう「こちら側の逡巡」ならば、ドキュメントされるだろう。あるいは、こうした試みに応えた、「こちら側に並ぶ者ら」の試技は、眺めてみたいと望んだ。はたして、6作が並んだわけだが、要するに、剣と剣がぶつかり合うのなら、おそらくこれらは、「峰打ち」の類だろう。峰打ちとは、真剣の刃の反対側の部分で打つこと。
並んでみて、試みのドキュメントとしては、興味深いものになった。

■花尻万博 『鬼』

 「詩の構造」というよりも、通底するあるニュアンスを旧知の詩の形を呼び込んでしまい、吉田一穂や日夏耿之介などをついつい連想してしまう。私には、「詩のようなもの」として読むことはできない。それ故に「詩の構造変革」という方法的解釈においても、読解の眼は閉ざされてしまう。ただ、「激しさ」は伝わる。詩においては、たとえばその激しさは、行から行への渡りや、そこに横たう間に滲み出したりするだろうが、そうした激しさは感受できなかった。

夜(ルビよ)を失くし獣
そこ虹の肉


と、行が目に止まる。自分が、まだ「詩」という形を自覚する以前に、ただ漠然と「詩のようなもの」を書いていた頃の詩の言葉を想起してしまった。未了の試みであるから、ここにある「激」の滑落や褶曲を思う時、さらにその先には、おぼろげな、未構造の詩が可能ではないかと予兆はさせる。

■竹岡一郎 『虎の贖罪』

 連作の俳句であると思う。詩への接近、交差、その形への突貫、貫通、破壊と溶解といった両詩型に通じる、根としてのポエジーは、見えるかと問うてみる。実はぼくはそれが知りたいし、感じてみたい。
 ところが、自由詩を書くものからこれらの作品を見る時に、なんだか、堅牢な石組で出来上がった井戸を眺めているようなのだ。石組は、音韻律でがちがちだ。こちら側には、そうした構えはない。散漫な空気や風の中、蒼穹が広がっている。そこから、がちがちの井戸の筒(塔)をのぞく。その底には、なんだかポエジーらしき澱みの模様が見える。
 逆に、その底から、詩の蒼穹を眺めている人がいる。

■小津夜景 『うきはしをわたる風景』

 がちがちに堅牢な塔でもある井戸の底から、蒼穹を眺めるのは、そうか「うきはしをわたる風景」であるかもしれないと、いじわるな邪推をしてしまった。まさに、試みのドキュメントだなあと。
 私がはじめに書いた『要請に向かう「こちら側の逡巡」ならば、ドキュメントされるだろう』という感慨を小津さんの作品を呼んですぐに想起した。

 これからのひととき
 景色の遠のくにしたがい、
 私は記憶から忘却の方へと
 静かに存在の項を移しつつ、
 非人称の影となって
 あなたの隣に横たわるだろう。


という、詩的述懐は、この試みの全体に処する意思のようなものと私には読める。
 筒状の堅牢な井戸、そこから蒼穹を見上げている。

 どんな幸福な夢を見せたとしてもおかしくはなく、
 ならばこれまで見た風景もまた同じくらい単純な
 子供だましのしかけの夢だったのかもしれなくて、
 そんな夢の風景が
 宵闇にひとつずつ失われてゆくさまを
 私は今(今とはいつのことだろう)
 ぼんやりと感じている。


 そして、詩型と句型が交互に配される。それは、まっすぐに(眼において)、詩景と句景という言葉に置き換えられる。
 
 詩と句と、井戸の底の水を掬うというのならば、つまりは、手の所作としてはそれは同じだと思う。ただ、定型とは、形や景物に偏る。詩も際限のない形や景物と解すれば、そこでもまた同じと言える。ただ、「似ている」とか「近しい」とは決して思わない。試みる為者の手際を思う時、その尊厳において、できあがった構築物が、同物か、異物かというだけなのだ。
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