短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第3回 「石は建てないがいい ただ年毎に/薔薇の花を」とリルケは云った カニエ・ナハ

2017-06-03 10:03:19 | 日記
「角川短歌」5月号をたい焼きのように頭から読んでいて、「平成元年生まれの歌人新作29首」まで辿りついたときに、どうして29首などと半端な、と思って、そうか、今年平成29年だから、29歳(くらい)の彼らの、29首ずつなのだ、と気づいた。29歳のことを考えていたら、どういうわけかマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が流れてきたのだが、それはその歌が主題歌だったドラマが「29歳のクリスマス」だったからであった。たしかに見たのだが、どんなドラマだったか、いっさい覚えていない。29歳のことをさらに考えているうちに、原節子さんのことを考えていた。原さんが小津の「晩春」に出演したのが29歳のとき。私が「晩春」を、ツタヤで当時VHSで借りてきて、一週間のうちに5回も6回も見ていたのは、私が22歳か23歳のころだったから、映画の中の原さんがずいぶん年上に見えたし、実際年上であった。そして現実の原さんはまだ生きていらして、映画の中の原さんは年をとらず、しかしいつしか、現実の原さんは亡くなって、それでも映画の中の原さんは年をとらないまま、私は映画の中の原さんよりも、いつのまにか年上になってしまった。生きていくということは、自分が年上になっていく、ということなのだ。


  橋あらばまた彼岸あることわりの姉なき身にも沁む湖(うみ)のうへ  吉田隼人

  みづうみの冬のみづどり降りたちて虚構の姉に逢ふ橋のうへ


「麦秋」になると、原さんは31歳。映画の中では26歳か27歳くらいの設定だったとおもうけれど、いずれにしても、それを見ていた23歳か24歳の私よりも年上だ。「麦秋」のなかで印象的なのは、老夫婦がどこか公園か広場に散歩に来ていて、誰かこどもが風船を手放す。それをカメラが長い間映している。あれは、戦争に行って帰って来ない、彼らの息子を暗示していたとおもうのだけれど、ほんとうにそんなシーンがあったかどうか、もう十年以上その映画を見ていないので、覚束ない。トルーマン・カポーティの、たしか「クリスマスの思い出」というタイトルだったか、その小説のさいごでも、手放された風船が飛んでいった気がする。いや、あれは凧だったかもしれない。たましいとよばれるものはどうして飛びたっていくようにおもい描かれるのだろう。とどまることなく。まるで重石とでもいうように、お墓が石でできていること。


  あの鳥がそのひとであるはずなくとも雲冷やす鳥いつまでも見る  大森静佳

  冬晴れに子どもが揚げる白い凧こころに呼べば永遠を飛ぶ



今年の3月の立原道造の命日には、谷中にある彼のお墓を訪れたのだった。道造は25歳で亡くなったのだった。境内の、ちょうど散り始めたハクモクレンの花びらが、死んだ鳥のように横たわっていた。数日後、浦和にある、道造が設計して、ずっと後に建てられた、ヒヤシンスハウスも訪れてみた。道造の夢の別荘。道造の詩に似ている、ささやかに美しい建築(詩も短歌もひとつの建築であるとおもう)。藪内亮輔さんの「雨の思惟」という29首の連作には、リルケが出てくる。道造はリルケに傾倒し、翻訳もしたのだった。リルケは薔薇の棘が刺さったことが原因で死んだ、というのは本当だろうか。51歳だったという。薔薇にまつわる優れた詩を多くのこしただけに、いささか出来過ぎた話にもおもえるのだが、本当だろうか。私たちが薔薇の花を見てリルケを思いだすとき、その薔薇にリルケのたましいが宿っている、と云うことはできるだろうか。薔薇という花はどうしてか雨の日に、もっとも生きているように見える。


  降りる幸、といふものありとリルケ云う甃石の間に白き花あり   藪内亮輔

  前をゆくあなたの裾は川に透け春はすべてがひかりやすかり


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