「詩客」エッセー 第2週 

毎月第2土曜日に、遠野真さんの連載エッセー全13回、藤原龍一郎さん、北大路翼のエッセーを各1回掲載いたします。

いちばん美味しい星の食べかた 第4回 筋肉を遠く離れて 遠野 真

2016-03-27 10:12:55 | 日記
 筋肉から離れたがっているような音楽があると思う。
 生きていると時々耳に入ってくる。
 かわいくて、脱力感があって、へにゃへにゃで、うっすらと有毒ガスの匂いがする。
 僕が大学に入学した頃に相対性理論というバンドが流行った。僕も好きだし、CDも持っている。ここで言いたい「筋肉から離れたがっている音楽」というのは、相対性理論のあのふわふわした声と曲を、更に骨抜きのふにゃふにゃにして、かつ「そうたいせいりろん」とあざとすぎるひらがな表記をするような、脱力の果てにポップであることすら放棄したようなスタンスのポップさの、相対性理論が普通の二枚貝だとするとそこからタコやイカに進化したような、そういう音楽のことである。ただしボーカルは男女どちらでも有りうる。
 わかるだろうか、いや、わからないだろう。書いてみて僕も自分の説明の下手くそぶりに失望している。なんで例を挙げないのかって? 覚えていないからだ。好みじゃないから曲名もバンド名も頭に残ってないし、調べるのも面倒くさかった。なるべく曖昧な比喩にたよらずに言えば、「試合直前の格闘家とか、筋トレに勤しむラグビー部員とか、男性的な力を多く有した人が聴いているとしたら、お仲間に嘲笑されること間違いなしの、筋肉の逞しさからかけ離れた世界観の曲」ということだけど、これでも想像がつかなかったらこの文章は読むだけ時間の無駄なのでブラウザを閉じて頂いていい。そうでもなければ、僕の代わりにyoutubeを探索して条件に一致する楽曲を見つけてきてほしい。
話をつづける。
 かつて、ものすごく勉強がよく出来る知人が、「生まれてこの方、体育の時間が苦痛でしょうがなかった」と打ち明けてくれたことがある。スポーツがあまりにも下手くそで、何かアクションするたびに笑いものになるし、笑う人がいない優しい場だったとしても、かえって惨めさは浮き彫りになる、そんな苦行だったという。彼は頭がいい他に音楽もよくできて、特にジャズが好きだったので、僕の思う「筋肉から離れたがっている曲」とはたぶん関係がない。けれど、僕が初めてそのような曲――タイトルも知らないその曲にふれたとき、即座に彼の、ただのガリガリとも違う、ヒョロヒョロとした体型をぼんやりと思い出した。思い出してから、「誰か、彼のように運動ができない人が、フィジカルに優れた不良や、脳筋タイプの粗暴な人間に対する反の感覚でもって、こういう音楽を作ったのかな」という妄想が、僕の意識に浮かんできたのた。
 もう少しましな説明が出来そうだからあらためて書くと、僕が言いたかったのは「男性的な意味での筋肉と、それにまつわる負の要素をまったく寄せ付けないという条件で、別の価値観が生成される世界観を表現した音楽」ということになる。
 多種多様な意味合いで「肉体的に優れた」男性がしばしば実際に行い、しばしば被害妄想的にイメージとして押し付けられている「搾取」や「暴力」がまるで機能しない世界。そういうものを、音楽の中で築こうといるのかもしれない。……そんな気がして勝手に僕の脳内で類型化してはいるものの、バンド名も知らないんだから曲を作った人たちの意向は知りようがないし、察することもできない。
 だから、これはただの妄想だ。
 でも、そういうふうに「何かへの反」を作品全体に、あるいは生活全体にルール化して取り入れているグループは世の中にたくさんある。歌人だって、そういう人をたくさん内包しているだろう。筋肉的世界ひとつとりあげても、それが嫌いな歌人はしょっちゅう見かける。
 以前、ツイッターに「文学の正体がいじめられっ子の復讐会だったら嫌だな」と書いたことがある。でも、今考えるとこれは書き方が的確ではなかった。いじめられっ子の復讐はそこまで嫌じゃない。「みんながそう」だったら嫌なのだ。自分が所属している集団が「似た人が集まってつくる聖域」であってほしくない。それらの聖域にはいつも、「関係者以外立ち入り禁止」の看板が立てられているけれど、僕はその「関係者」という条件付けや審査が適切であった例を知らない。
 本当のところ、試合前のギラギラした格闘家や汗だくのラグビー部員にとって「そうたいせいりろん」が有効でありうることは、誰にも否定出来ないはずだ。しかし、それを否定して笑いものにすることが聖域の内部においては許されている。人間は、一人の他者を一つのエリアに押し込めたがるいきものだ。それ自体は悪いことではない。ただ、そのせいで、複数人の多様性が認められたとしても、一人の多面性が認められることはなくなる。認められるのは「多面性という一面」で理解される場合で、そのときには、紙のサイコロを開いて、使い物にならなくするような作業が行われる。

 お洒落して行ったカフェに、競馬場帰りの小汚いおじさんが居ても逃げない、嫌な顔しない。
 逆に、小汚いおっさんだらけの居酒屋に清楚な女性が現れてもニヤニヤ汚い目を向けない。
 じゃあ、競馬場の小汚いおっさんと、お洒落なカフェの両方を「おっさん×カフェ」的に、同時に志向している人がいたとしたら、その人はどうすればいいのだろう? 
 理想的なことは、内側にいる人にとって我慢ならないことである。
 そして悲しいことに、人間は内側を志向する生きものだ。
 僕のこれまでの人生は「汗だく×そうたいせいりろん×何か×何か×……」みたいな重国籍状態への憧れの中で、それが達成されることのないまま費やされた。自分なら可能だと思っていたけれど、結果的には「汗だく」と「そうたいせいりろん」のどちらにも定住することができなかった。それは僕の人間的な失敗であり、構造的な問題でもある。その苦しさは、利発でジャズを好む彼にとっての「体育」に似ていたかもしれない。しかし彼は、僕にその話をした頃、とうに「体育」を見限って、そこから遠く、彼にふさわしい聖域に腰を落ち着けていたのだ。僕はといえば、二十代も半ばになり、いつの間にか自分が「汗だく」と「そうたいせいりろん」両方の……いや、もっともっと、自分が入ることを望んでいなかった場所までも見渡せる場所に居ることに気がついた。
 「外側」である。
 「外側」という聖域には立ち入りの条件がない。規定する集まりがないのだから当たり前だ。周囲を見回しても誰も居ない、孤独で静かな場所だけれど、現実に外側の住民に近づいた時はわかる。雰囲気で察するし、においがする。そして、どういうことか、ここのところ「外側」の人口は増加の一途をたどっているらしい。しかし「外側」には内側のように共有される暗号がないので、住人同士が手を取り合うことはない。だが、互いの存在に勘付いてはいるのだ。
それならば、と思う。
 似た者同士のちいさな聖域と、聖域を求めるこころが消え去った世界を理想と考えてきたから、そこへの諦めは付いている。それでも、だ。
 類型的な人が傍にいないと安心できない? でも、安心という前提を手放せば、理論上は「それ」が可能な気がするのだ。似た者同士という幻想に凝り固まった集団を見つけるたびに、だったら全員が示し合わせて住民票を手放すのもありじゃないか、と、どうしても考えてしまう。そんな立ち位置すら、一つのまやかしであり本当は「内部」であるかもしれないとは、わかっているけれど……僕は妄想を止められない。

 補集合、つまりベン図の「余り」はいつも歪な形をしている。真っ白に投げ出された、それか一色に塗りつぶされた「余り」の範囲内を移動するとき、円の内側から内部を眺め回すより広い景色が、より豊富な角度で見えることに気付く(しかも内側が観察できる!)。そのような歪さは良くも悪くも人を変に面白くするだろうし、たった一つの円の内側に篭もるよりは、余りの自由さを志向していたいと今は考えている。
 もし、「筋肉から離れたがっている曲」を作っている人や、そのバンドのファンに会うことが叶うなら、その音楽とその音楽が好きな自分について、いろいろ、腹を割って話してみたい。僕は外側もいいぞ、とは絶対に言わないし、内側にしか居たことのない人には言ってもその意味が通じないことを知っている。そもそも、双方へ通じるドアやトンネルは存在しない。通り抜ける穴を必要としなければ、そこから出ないまま一生を終えることができるのだ。そんなことだから、話が深まってくるほどに互いが孤独になるだろう。その孤独はますます彼(彼女)を深く内側たらしめ、僕自身にとっての余りの外形をより鮮明にする。それでも、互いの存在を認知することには、おおきな意味があるという気がするのだ。
 音楽から始まったこの些細な妄想が全くの的外れでなかったなら、その証に、話し合いのどこかしらで、その人は僕に対してぼんやりと不快な思いをするはずだ。妄想だと断った上で言えば、そうなって欲しい。
 僕はいまでも「筋トレ」をしているから。
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