「詩客」エッセー 第2週 

毎月第2土曜日に、遠野真さんの連載エッセー全13回、藤原龍一郎さん、北大路翼のエッセーを各1回掲載いたします。

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いちばん美味しい星の食べかた 第11回 しずか系 遠野 真

2016-11-06 12:32:59 | 日記
 知り合いの女の子二人が僕の目の前でこんな会話をしていた。
「でもしずか系だと思われちゃったみたいで……」
「あの人ならそれでもいいんじゃない?」
 静かな人だと思われると、恋愛では不利らしい。そりゃあ人間にはいろいろ属性があって、たしかに、くっつきそうな者どうしがくっつくことはあるし、魅力的な人はしばしば社交的でうるさい。
 いやいやその程度の誤解は問題ないよともう片方は言っているし、男性が静かな女性に惹かれる、つまりコミュニケーションの「場」に積極的な役割を負わないことが、かえってその人をもっと知りたいと思わせることはある。
 けど、単純な数字の比だと、これが男女逆だったらどうなるだろう。誤解とその修正への望みはあと三周りくらい下がるかもしれない。
 人物の評価には直接「人」を見ようとする方法と、コミュニケーションの「場」への刺激から逆算してその人を考えるという方法があって、場を見るか人を見るかの比重ではおそらく女性のほうが前者に敏感なのだ。それは生得的にそうなのかもしれないし、社会の規範がそうさせているのかもしれない。わからないから経験でしか語れないけれど、「場」への影響力で人物を評価する人が女性には多かった。もちろん「場」への影響力は包括的な「その人」の一部で、そのうちのどこを重視するかの問題だから、それ自体は変えようがない。
 彼女が恐れているのは「場」から逆算された自己像としての「しずか系」なんだろう。だって本当は違うから。大切な人に自分を誤解されたら、悔しいのはわかる。
その二人のことはもうそれ以上踏み込めないけれど、疑問は残る。
しずか系は、あるいはそれ同士はどうくっついたらいいんだろう?
 くっつけないから恐れてるとも言えるけれど、せめてもの抵抗を一しずか系として考えだしてみようと電車に乗ってるあいだ頭を働かせたけれど、結局思い浮かぶのは彼女と同様「誤解の視線をずらす」ことだけだ。
 たしかに、しずかであることはしばしば「場」におけるチャンスを潰しているのかもしれない。「場」を大事にする人からすれば、そのチャンスを掴むことのない静かな人間はどうでもいい人間だろう。でも彼ら彼女らは本当に静かなんだろうか。
 「場」に大して静かになる理由は人それぞれだけれど、それはしばしば全然静かじゃないところから始まり、とてもうるさい過程を経て、そうなっていることに気づくと、とたんに「しずか系」は静かじゃなくなる。「場」以上に「人」が面白くなってくる。「場に出されたその人」と、「場に出る以前のその人」を比べてもしょうがないかもしれないけれど、後者を重視する基準では「非しずか系」の人のほうが静かだということを僕は知っている……けれど、どんあんいそれた正しくても、これは負け惜しみにしかならない。だって共有できないし。
 普段から「場」をシャットアウトしてでも「人」に辿り着こうとしていると、相応のリスクを負うし、そんなリスクをとる理由はたぶんどこにもない。
ないので、この話は失敗だ。
 「場」より「人」をとる人にとっての「場」は一体どこなんだろう。
 わからん。


  普通って言われてる子はかわいいし男は前髪きったほうがいい 伊舎堂仁
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