「詩客」エッセー 第2週 

毎月第2土曜日に、遠野真さんの連載エッセー全13回、藤原龍一郎さん、北大路翼のエッセーを各1回掲載いたします。

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いちばん美味しい星の食べかた 第1回 無痛日記 遠野 真

2015-12-29 14:20:01 | 日記
 小学生のころ、感想文を書くのが嫌いだった。
 遠足や社会見学、ビデオ鑑賞に講演会、総合的な学習の時間、それから年一回の宿泊行事。それらの行程が一通り終わったあと、教室に戻ると決まって先生が原稿用紙を配る。何かにつけて書かされたから、六年間で100作を超えていたかもしれない。
 毎度毎度、緑色のマス目を睨みながら、「うへぇ」と頭をかかえた。
 なぜ、100回もうへぇと思わなければならなかったのか?
 感想が無かったからだ。
 アサガオを観察しても、山に登っても、はだしのゲンを見ても、伝統工芸の職人から話を聞いても、その頃の僕には心に思うことが何もなかった。
人はそれぞれ違うところに感動のツボがあるから、学校側のチョイスした行事がことごとく僕のツボを外していただけと考えることもできるけれど、おそらくそうではない。
 五歳の時から十年間飼っていた猫が死んだときも、僕にはあるべき感情がなかった。
 衰弱しきってまともに動けないのに、どこかに隠れようと立ち上がって、そのたびぷるぷると震えて転んでしまうのを、抱き上げて寝床に戻した。見守っていうるうちに夜中になったので、母に世話を任せて寝たあと、息を引き取った。次の日の朝、母に死までを看取ったと告げられたのだけれど、その時はほんとうに自分でも自分が不思議だった。産まれた時から一緒にいて、大好きだった猫の死に少しのかなしみすら抱くことがないのだ。こちらが向けた愛情は疑いようもないのに、だ。子供は自身に死の感覚が希薄だから他者のそれに心を揺さぶられにくいのかもしれないけど、それにしたって夜中に一人で泣くくらいのことがあってもおかしくはなかった。当時の僕にとっては、愛猫の死も、どうでもいいことだったのかもしれない。

  白紙で提出したって、居残りや持ち帰りで書かされるのは明白だ。
  何も感じなかった、と一度くらい書いたかもしれない。
  しかし先生は書き直しを命じただろう。
  何も感じない心は排除の対象た。

 僕は抗いきれなかった。感想文が課されるたび優等生ふうの機械になって、まるで人間味のない言葉で文章をかさ増しかさ増し、なんとか乗り切っていた。
そんな経験は珍しくないという人が居るかもしれない。他の子供もみな僕と同じくらい無感動で、噓と建前の感想を表出することに慣れながら社会に適応していくんだと指摘されたら、そうなんですかってお茶を濁すほかはない。
 僕が言いたいのは、自分が変わり者だったということではなくて、無感動な自分の心には、学校や社会に居場所が認められていないという事実だ。無感動とは、「人間らしさ」というよく分からないむにゃむにゃしたものを犠牲にして得た、貴重な強さでもあるのだ。あらゆる物事と、出会った瞬間にお別れの準備が済んでいて、しかも、そのお別れにまつわる建前を、ほとんど無視することが可能だった。
 かつて飼猫を愛していたように、今の僕には沢山の「好きなもの」がある。多くはないけれど「好きな人」も。ただ、もしもその誰かや何かが、明日死んだり消えたりしても、なんとも思わないだろう。それらがなくなった世界を生きていくだけである。
 日常生活の中で、ふと、世間には僕のような人が案外たくさん居るんじゃないか? と感じることがある。
 もし居るのならその人たちに、あんたは強いからそのままいけよ、とエールを送りたい。
 そうじゃない人には、僕みたいな「好き」も多様性の一つだから認めてね、と言いたい。

 去年、とある短歌の新人賞を受賞したことがきっかけで(正確には、田丸まひるさんに文句をつけたことがきっかけで)この文章を掲載してもらっているのだけれど、昔の自分を振り返ってみると、あの無感動な子供が詩を書いて賞を取るなんて、と笑いそうになってしまう。当時に比べれば僕も複雑に劣化して、いろいろな物事から、さまざまな感想を得られるようになってしまったのだ。無感動な強さだけを保持していたなら、歌作のような非経済的な活動をする理由はなかったのだけれど、さまざまな感情や感覚が生きる上で有用なものになったことを僕はもう知っている。
 目指すのは多感と無感動のハイブリッドだ。


◇◇◇


 これから一年間、ここで月イチのフリーエッセイを担当します。フリーと言われたんだから、今度ばかりは感想がないという感想もオッケーだろうけど、それだと書く意味が皆無なので、もののあはれを感じてしまうようになった僕が、スポイルされた無感動ぶりを懐かしみつつ、なんでもないことや、なんでもなくないことを、なんでもなく書いてみようと考えています。

君が死んでもたぶんなんにも感じないけれども好きでそのように言う
角川短歌賞応募作『地球照』より




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