「詩客」エッセー 第2週 

毎月第2土曜日に、遠野真さんの連載エッセー全13回、藤原龍一郎さん、北大路翼のエッセーを各1回掲載いたします。

エッセー タクシードライバー20XX  藤原 龍一郎

2017-02-06 21:05:59 | 日記
 久しぶりに読んでいて興奮と共感をおぼえることができる歌集と出会った。高山邦男歌 集『インソムニア』(ながらみ書房刊)である。高山邦男は「心の花」所属。歌歴はすでに 三十年を超えるだろう。年齢も五十代であり、現在の歌壇の状況からみれば、かなり遅い第一歌集の出版ということになる。
 歌集のタイトルのインソムニアというのは不眠症のこと。高山邦男の職業がタクシードライバーであり、深夜も眠らずに仕事をしていることから、この題名を選んだという。高山自身があとがきで、次のように書いている。
 
 「インソムニアとは眠れない人々とか不眠症といった意味で、主に世の中の夜の部分を歌ってきたぼくの歌にはぴったりなタイトルだと思いました。三十歳後半から夜の仕事をし てきたぼくは昼間の仕事の人とは別の世界を生きてきました。さらに言えば、昼間の世界の人たちの夜の顔を見ることになったり、夜を眠れない人たちからの少しひび割れた心の通 信があったりしました。そうした事から、人間の影の部分も含めて「夜」という切り口がこの歌集の一つのテーマであると思っています。だからでしょうが、このタイトルに出会った時に歌集を出すべき時期が来たと直感しました。
 
 率直な感慨であるだろうし、自分が詠ってきた表現世界への自負も感じられる。若書きではなく、自分は何を書きたいかということを意識して短歌表現をつづけて、その成就に一つ の手応えを感じたからこそ、この歌集上梓の決断をしたということでもある。そこに私は信頼感をおぼえたし、作品そのものも、他者とはまぎれようもない、はっきりとした個性を獲得していた。
 具体的に作品を読んでみよう。
 
墓を掘る姿に見ゆる<工事中>看板の中の黒き作業者
夜が更け首都高速道黙々と作業する者工兵の裔
何時間続けるのだらう歩行者を誘導してゐる娘明るし
深夜番コンビニ店員李さんはいつも含羞みながらレジ打つ
満身に照明を浴び夜の窓をパントマイムのごとく拭く人
真夜中の店舗のガラスを鏡としStreet Dance繰り返す人
観客のゐない未明を蛇行してバイク煙らす新聞配達人

 
 まさに深夜の東京に眠れずに働き、動いている人々のスケッチである。最初の三首は工事現場だろう。「工事中」の看板の向こう側、地面に掘られた穴の中で作業する人たちを「墓を掘る姿」と見て、また彼らを「工兵の裔」ととらえる視線。「墓を掘る姿」という想像はできなくもないが、「工兵の裔」という認識はきわめてユニークではないか。深夜の首都高速の路上は戦場であり、彼らは工兵、自分は輸送兵という思いがあるいは浮かんだのかもしれない。一種の同志意識というべきか。そう思える。「歩行者を誘導してゐる娘」の姿は夜 ではなく昼間の可能性もあるが、「娘明るし」という結句にはやさしさがある。こういう女性誘導員の姿は、最近、しばしば見かけるので、読者としても共感しやすい。
 コンビニの李さんは韓国人か朝鮮人か。今のコンビニで働く人たちは必ず名札をつけているので、名前もわかるわけだ。窓を拭く作業も深夜におこなわれている。満身に照明を浴びているのは、彼がパントマイムのパフォーマーだからではなく、もちろん、危険防止のためにちがいない。次のストリートダンスを繰り返す人は、本当の芸人なのかもしれない。スタジオでの練習の反復を真夜中の街のウインドウを鏡としておこなっている。こういう人も確かに居るのだろうなと思わせる。そして夜明けになれば、新聞配達人がバイクを走らせ始める。商店街や住宅街のまだ人の気配のない路上を蛇行するバイク。道の右や左の新聞受けに配達するために蛇行しているのか、道がすいているからわざと蛇行しているのか、いずれにせよ、「煙らす」というリアルな観察が心にしみる。
 どの作品にも、タクシーの運転台からの視線が生動している。
 
厚き頬傾けながら沈みゆく月は寂しき街区の家族 
湾岸の巨大煙突大巨人焼くがごとくにたなびく煙
湾岸の開発いきいき語りたる土建屋の夢の跡のお台場
店のロゴMとPだけ見えてゐて裸木の向かう深夜の明かり
零時にておしまひサッポロ一番の看板が消え屋上は闇
元基地は昭和の名を持つ公園となりて真夏の日差しは消えず
バッティング・センターに響く打撃音深夜に聞けば街の呟き
誰ひとり頼らず生きし浮浪者の死して駅前お供へ絶へず
二番目となりて夜景に柔らかく東京タワーが灯せる心
満月の滴る巨きな雲の下地虫のやうに群れるタクシー

 
 こちらは夜更けの人々ではなく、光景。一首目の下の句「月は寂しき街区の家族」とい 措辞から、私は崔洋一監督の映画「月はどっちに出ている」を思い出した。あの映画では、方向音痴のタクシードライバー岸谷五郎が、帰り道の方向を知るために、月の位置を確認する行為が繰り返し出てくる。掲出歌に限らず、この歌集の歌には月がしばしば出てくる。それだけ、タクシードライバーと月とは親しいものなのかもしれない。「寂しき街区の家族」という認識には、自分自身もまた月とともに寂しい家族の一員なのだとの思いがこもっているように思える。そう思えばこの一首をいっそう切なく感受できる。
 次の二首は東京の湾岸の歌。東京湾の西側、品川地区から川崎にかけては確かに巨大な工場群が並び、まさに巨人の火葬のように排煙をたなびかせている。J・G・バラードの「溺れた巨人」を連想させるような虚無的光景といえなくもない。次のお台場の歌は、まさに夢のはじけたあと。おそらく、東京都市博覧会が青島幸男都知事の公約どおり中止になったことから、土建屋の一獲千金の夢が文字通りバブルのようにはじけて消えたということか。
 次の二首も夜を走るタクシードライバーならではの視点が効果をあげている。大規模店舗のロゴのMとPだけが見えている光景、裸木の向こうという視線の位置がリアル。商品広告の巨大なネオンがかがやいているところは私たちもたびたび目にすることがある。しかし、それが消えるところを見ることはない。午前零時に「サッポロ一番」のネオンが消える ことを知っているのは都市生活者の中でも限られた人だけなのである。そしてそれが一種の時計にもなっているのではないかと推察する。
 新宿や池袋には二十四時間営業のバッティングセンターがある。路上からは、中の人の姿は見えないが、打撃音だけは闇に響いている。その鈍い響きを「街の呟き」ととらえてみせる。「街の呟き」とは抽象的な比喩表現だが、この歌集の中で出会うと妙にリアルだ。
 街の戦死者としての浮浪者の死。その死者を悼む駅前の路上の花や供え物。それに気づくタクシードライバーの視線。ここにも同志意識があるような気がする。  東京タワーは東京スカイツリーに抜かれて二番目になった。長い間のトップの重責から解放されて、その電飾も心なしかやわらいでいるように見える。これも、毎日のように東京タワーを見ているからこそ気づくわけだ。こういう感性は高山邦男ならではのものだろう。
 最後の一首は自己認識の歌といってよいのだろうか。例によって月、それも満月が出てくる。「満月の滴る巨きな雲の下」という設定も凄い。ちょっと短歌に出てくるレトリックとしては異質である。その雲の下で「地虫のやうに群れる」というタクシー。自虐的でありつつ、どこか不敵な感じもはらんでいる。
 このように『インソムニア』の中から好きな歌をあげていけばきりはない。最後にどうしても挙げておきたい三首を引用する。
 
真夜中に白光灯すバス停は闇より至るバス待ちをらむ
赤や青繰り返し点る夜の街のどこにもゐない点燈夫たち
昨夜猫を轢き殺したるわれにして人の規則に許され働く

 
 深夜の闇の中で白く光るバスの停留所。そこへは何処からバスが来るのか。闇より至るバスとはどんなバスか。「となりのトトロ」の猫バスのように、楽しいバスであるわけはない。
都市の暗部、東京の暗闇からやってくるバスは、タクシードライバーだけにしか見えない、感受できない都市伝説のバスにちがいない。
 二首目は一転してロマンを感じさせる歌。かつて銀座の街灯がガス燈だった頃には、夕方になると、点燈夫がガス燈に火を点して回っていたのだそうだ。しかし、今は点燈夫はいない。夜の街は日が沈むと赤や青の灯火が点るけれども、それは点燈夫が点すわけではない。闇のバスを見る眼が、この歌では幻影の点燈夫を幻視しているのだ。
 そして最後の一首のぎりぎり感。猫を轢き殺してしまっても、自分は猫の規則に従うわけではないので、刑罰を受けることはない。「人の規則に許され」そして「働く」という究極のニヒリズム。こういう思いを誰が抱くのか。「働く」という動詞が、これほど非情に使われた例を私は知らない。
 私自身、東京、眼前の現在というテーマをつねに意識して作歌をつづけてきたのだが、歌人・高山邦男の存在を知って、とても頼もしく思う。視点の座標は私と高山邦男とではもちろん異なるが、対象である東京、そしてこの目の前にある時代を表現しようとの意志は同じだと思う。同志を発見した思いでもある。マーティン・スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』では、ロバート・デ・ニーロ扮するベトナム戦争帰りのトラヴィスが、時代との異和に軋み、最後に暴力を爆発させるが、この時代を生きる高山邦男ははるかにしたたかであるだろう。運転席という定点から見える時代や東京の正体をさらに鋭く詠ってみせてほしい。
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