「詩客」自由詩エッセー

「私の好きな詩人」など詩人のエッセーを掲載します。

ことば、ことば、ことば。第19回 分離 相沢正一郎

2014-09-17 15:29:32 | 詩客

 最近読んで感動した本は『サマータイム、青年時代、少年時代――辺境からの三つの〈自伝〉』。作者のJ・M・クッツェーは、アパルトヘイト政策の締め付けの強い時代に南アフリカで生まれ、英語とアフリカーンス語のバイリンガルとして育つ。家族はプロテスタントだが、カトリック系の学校に入学。ユダヤ教の少年と一緒にいじめに遭う。アパルトヘイトとはアフリカーンス語で「分離」という意味だそうだが、社会面だけでなくクッツェー自身も引き裂かれている。「青年時代」では、数学に強いクッツェー、イギリスに渡り、植民地出身者としての孤独を感じながら(0か1の世界)コンピュータ会社に就職、芸術家になる夢とのあいだで苦闘。女性のなかにイデアを求めながら情事にふける。
  分裂した作家クッツェーの内面の〈自伝〉が、ジャコメッティの彫刻のように削ぎ落とされた名文で綴られる。この三部作、本文中に出てくるすばらしい映画「オプー三部作」に倣ったのかと思っていたら、訳者のアイデアだとか。(偶然、本作の前にポール・オースターの『闇の中の男』を読んでいて、この本にもサタジット・レイ監督の「大樹のうた」が取り上げられていた)。クッツェーの三部作目の 「サマータイム」では、「亡くなった小説家ジョン・クッツェー」の伝記についてのインタビューに登場する五人の生々しい「声」。 このような「文章」と「声」以外にも、深刻と笑い、フィクションとノンフィクション、それに相対化された「記憶」や「事実」の曖昧性、また伝記作家のヴィンセントがあまり当てにならない叙述家であるように、作家はその作品に対して本当に神のように絶対の存在なのか、ということまで考えさせられた。ここらへん、劇作家ハロルド・ピンターの芝居とも共通する。オースターもピンターもクッツェー同様、ベケット(それにカフカ)に強い関心をもっている。
 ――と、ここまで書いてきて、いささか図式的で味気ないエッセイだな、と気がついたのは、アドリアーナがクッツェーを批判した声がよみがえったから《そんなのダンスじゃない!ダンスは魂と肉体が一つ。ダンスってのは、頭のなかに人形使いがいて肉体に指令を出すんじゃなくて》。また、ケープタウン大学でいっしょに「アフリカ文学」の講義をしていた同僚ソフィーは《アフリカでは肉体と魂は不可分だった》とクッツェーがよく言っていた、と言わせている(というより、登場人物が作者に操られているのではなく、それぞれの証言者が自分のことばで生き生きと話をしている)。アリアドーネの言う通りたとえダンスがヘタだとしても、クッツェーの小説はけっして肉体から分離していない。
 さて、この六百ページもの小説を訳したくぼたのぞみさんに以前クッツェーを教えていただいてから、すっかりファンになった。本作と同時にくぼたさんは詩集『記憶のゆきを踏んで』を出版。《マータイムの/赤道をまんなかにして/ぱっきり上下に分かれて/生きている この時間/こっちは春を/あっちは秋を》(「春と秋のあわいに」)とか、《紙面からつぶてのように蒔かれた種が/日本語訳者の個体のなかで発芽し/歳月をへて蔓を伸ばし/見えない糸をなびかせながら/ゴーストとなって/岬の街を駆け抜けていった》(「きみのいない岬の街で」)とか、《古い戸棚にやすりをかけ/塗り直す家具職人のように/注意深く文字を削り/この時代からの/救命具となることを願って/ことばを置き替える》(「記憶のゆきを踏んで」)というようにクッツェーの翻訳(ほかの小説家の本も)の体験も詩集に織り込まれている。
 ここで大切なことは、翻訳の体験を単に詩にしただけではなく、三段目で前述したように《魂と肉体の分離》がないことだ。《ゆきみち》という白紙をきゅっきゅっと踏みながら歩くスピードと読書の速度が重なり、キーボードをたたく呼吸は、詩のリズム(ダンス)と重なる。だから、クッツェーの生地ケープタウンへ旅したときに見あげたテーブルマウンテンが、くぼたさん自身の〈伝記〉に聳えるピンネシリの山といっしょに連なっている。名訳者は、すぐれた日本語の詩人でもある。
 はじめにクッツェーが南アフリカの複雑な多言語社会の中で育った、とは先に書いた。《アフリカでは肉体と魂は不可分だった》とも書いた。もしかしたらこういったことと翻訳という仕事とがひびきあうのでは、と思ったのは、くぼたさんの詩集の「あとがき」を読んだから。《これらの詩を書いているあいだに、東京で三人の人たちに会った。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、サンドラ・シスネロス、ジョン・マクスウェル・クッツェー、その作品をわたしが日本語に翻訳してきた人たちだ。ことばや微笑みを交わし、握手やハグで温もりを伝えあい、偶然、いま、ここで、おなじ時代を生きていることを確認することで、作品との関係は深まり、新たなことばが生まれた》。

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