わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

ことば、ことば、ことば。第6回 小石ばかりの、河原があって 相沢正一郎

2013-08-09 18:21:31 | 詩客

 朝日新聞の夕刊に、中原中也のことが書かれていた。「曇天」が、チェーホフの短編小説「黒衣の僧」をモチーフにしたのではないか、といった内容。中也が友人安原善弘に宛てた手紙のなかでこの幻想小説の一読を勧める。チェーホフの短編は、記事を引用すると、「これは青年哲学者と彼の幻覚の中に蜃気楼のように現れる黒衣の僧の物語。僧は青年を、神に選ばれ、真理に仕える天才と呼ぶ」。
 さて、中也の詩「曇天」は、《 ある朝 僕は 空の 中に、/黒い 旗が はためくのを 見た。/ はたはた それは はためいて ゐたが、/音は きこえぬ 高きが ゆゑに。》とはじまる、文章の冒頭、途中の一字アキの呼吸と詩人の少年時代から不吉にはためく黒い旗がとけあう詩を以前読んだときに、私は太宰治の「トカトントン」を思い出した――時と場所に関係なく、人生の節目に不意にブラックホールのように現れるトカトントンという音を聞くと、作中人物は倦怠と虚無の底に引きずりこまれる――そんな内容。チェーホフは好きな作家で「黒衣の僧」ももちろん読んでいたが、「曇天」とむすびつけて考えたことはなかった。
 中原中也の詩は、私を含め愛唱するひとがおおい。一読、ことばのリズムがある気分といっしょにからだに染み込んで憶えてしまう。そして、もういちど自然に口ずさんでしまう。でも、やさしいことばなのに、全体でとらえるとよくわからない。さきの「曇天」だって、あるひとは「地位や名誉」、あるひとは「憑かれることの不幸」、またあるひとは「戦争への凶変の予感」と読む。
 たとえば、「帰郷」のなかのよく知られたフレーズ《あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ》も、中也にとって故郷は心置きなく悔い嘆くことのできる場所だが、そんな故郷の風でさえ詩人を咎める、といった解釈があるかとおもえば、ヴェルレーヌの「叡智」の詩句《語れや、君、そも若き折/  何をかなせし。》(永井荷風訳)をあげ、責める声ではなく、詩人自身の内省的な回顧の情、といった意見もある。有名な「汚れつちまつた悲しみに……」のなかの、《汚れつちまつた悲しみは/たとへば狐の革裘》のこの「革裘」だって、詩人の失恋と「重ねて貴重なものが汚される」と読むひとがいれば、「狐が生きていた日々もあったのに、いまでは無残にも変り果ててしまった」と読むひともいる。
 《秋の夜は、はるかの彼方に、/小石ばかりの、/河原があつて、/それに陽は、さらさらと/さらさらと射してゐるのでありました》ではじまる「一つのメルヘン」の「河原」、そしてまるで「モナリザ」の背景のように神秘的な、また鉱物質の月面のような静寂が支配するモノクロの風景に蝶があらわれると、生き生きとしたカラーに。川に水がながれ、潤いのある新しい世界の回復。と読むひとがいれば、死に魅入られた詩人の澄みきった心境と読むひともいる。いずれにしても「蝶」に祈りを感じる読者はおおい。私は、この作品を読んだとき、題名の「一つのメルヘン」に、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を勝手に重ねて読んだ。このように中也は一見わかりやすそうでいて、じつは謎だらけ。
 最近、感動した詩人論――陶原葵の力作『中原中也のながれに』の副題は「小石ばかりの、河原があって、」。小林秀雄が「彼の最も美しい遺品」といった「ひとつのメルヘン」にも触れられていて、《秋の夜の河原に、そこだけが幻燈のように浮かび上がる「一つのメルヘン」。/さらさらときらめき、舞い、時空に流れる――。/これは、散骨の風景ではないのか。/吉敷川か三途の川か――そこに、中原の骨の粉を握って佇むのは、小林秀雄しかいないのである》とある。
 この本、三度目の読了後には付せんが乱立し、付せんの意味がなくなったほど。教えてもらったところがたくさん。当然、私が考えていたこととは違うところもあったが、すごく刺激になった。小林秀雄、宮沢賢治、立原道造、西條八十、三富朽葉……そして、著者の陶原葵がまるで対話するように、中原中也を照らし、中也に照らされていく。からだに染みつくリズム、物悲しい気分や自嘲的な笑いを感じるものの考えれば考えるほどわからなくなってしまう中原の作品だが、こういう方法で読むこともできるんだ、と教えてもらった

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