「詩客」自由詩エッセー

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スカシカシパン草子 第9回 怪談について 

2013-05-04 12:06:16 | 詩客
 これを人前で堂々と言わないほうがいいことは、よく承知している。幽霊や妖怪の話にみんなが興味を持つのなんてせいぜい中学校くらいまでで、それ以降はみんなもっと現実的なもののために神経を使うようになる。なので、いまだに怪談(ちなみにここで言う怪談は、四谷怪談や小泉八雲の怪談などに留まらず、現代の、例えばネットにユーザーが投稿をしたものも含む。)が大好きなどと言うと、たいていの場合、ちょっと引かれる。大人の女性として残念だと思われる。わかっているのに、やめられない。毎日こそこそと怪談を集めたネットのサイトに通いつめて、時間の許す限り読み漁ってしまう。別に幽霊や妖怪が絶対にいると思っているわけではないし、肝試しに心霊スポットに行こうなどということは夢にも思わない。でも読んでしまう。電車で移動中、昼休みのご飯中、いくらでももっと有意義に使うことができるのになあと思いながらも、携帯を開いて怪談や都市伝説を検索してしまう。
本当に意味がないなあとは思っているのだけど、怪談好きは今に始まったことではなく、小学校に上がる前からの、三つ子の魂に宿ってしまった趣味なので今更なかなかやめられない。幼稚園生の頃から、自分の家にあった日本の昔話を集めた絵本や、隣の家に遊びに行くと見せてもらえた水木しげるの『妖怪大図鑑』などを愛読していた。昔話の「ふなゆうれい」や「のっぺらぼう」は暗唱して、近くの公園で子ども相手に語り部を気取っていたほどなので、話したがりにもかなり年季が入っている。
 怪談のなかでもとりわけ惹かれてしまうのが、地方の伝説や史実タイプのもので、言い伝えや語源や他の地域の似たような話と比較していろいろ考察するのも楽しい。ただしこれ系は本当にめちゃくちゃ怖かったり残虐だったりするので、あとで滅入って落ち込んだりする。最近知ったのは、狐の化け方の元祖。日本ではよく頭の上に葉っぱを載せてどろんとするイメージで定着しているけれど、中国の『抱朴子』という本には、狐の寿命は八百歳で、三百歳を越えると変化ができるようになり、その際は頭に髑髏を載せて北斗七星に礼拝をする。頭から髑髏を落とさないでお祈りができるようになれば、後方宙返りをして、狐は変化ができるようになる、とあるそうだ。葉っぱと違って全然可愛らしくない。北斗七星に髑髏で礼拝とは、それなりの邪神教が存在しているようで不気味だ。 
 怪談は、もちろん、読んでいてすごく怖い。たまに「日常的に見えるから怖くない」なんて言う人がいるが、わたしは見えないからか、ばりばりに怖い。怖いなら読まなければいいのに、と言われそうだが、そこが不思議なところで、読み出す前は「体が欲している!」と思ってしまう。これは自論なのだが、怖い話はとてもどきどきするので、息詰るほど平穏で制約された毎日に適度な刺激を与えて脳を活性化、血行を促進してくれるような気がする。ちょうど炭酸飲料のような感じで、気分が何となくもやもやするときに投入したくなる。でも結果は、緊張しすぎて筋肉が硬直し、余計に疲れたりする。やめた方がいいとわかりながらも、ずるずるとやってしまうものほど、純粋に楽しかったりするよ
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