「詩客」自由詩エッセー

「私の好きな詩人」など詩人のエッセーを掲載します。

スカシカシパン草子 第10回 電車について 

2013-06-11 19:55:18 | 詩客

 生まれてからずっと東急田園都市線の沿線に住んでいる。普段使うのも田園都市線がほとんど。けれども、電車がでてくる詩やその他の文章を書こうとするとき、イメージとして浮かぶのは、たいてい横浜線、小田急線、京王井の頭線のどれかで、ゆえにいくらか前の記憶のなかから取り出して書いている。田園都市線や、溝の口・二子玉川で接続している大井町線は、一番身近な路線なのになんだか苦手だ。
 田園都市線の車窓は山あり川ありで悪くないのだけど、鉄道会社が沿線開発のためにつけた駅名が好きになれない。「あざみ野」や「青葉台」など、山を開き道路を舗装して思いっきり新興住宅街をつくりながら、自然豊かで健やかな街をうたう会社と、そのイメージに乗っかる住民は、子ども時代の周りにいた大人の姿そのもので、なんとなくしがらみを感じてしまうのかもしれない。朝の地獄のようなラッシュと頻発する人身事故も間違いなくよくないイメージに拍車をかけている。
 一方、横浜線や小田急線もラッシュ時は惨憺たるものだと思うが、幸いその時間に乗ったことがないのでこちらには悪いイメージがない。井の頭線も、朝のラッシュ時には下りを利用していたので、いつもすいていて大きな窓から入る光がきれいだった。横浜線は高校のとき、東白楽の楽器屋にいくために利用していて、沿線の車窓にはその頃の悩みや願いや思念が、いまでも薄いセロファンのようにかかって見える気がする。小田急線は鎌倉や江ノ島に行くときに乗るせいで、中央林間駅のホームの青と黄色の縞模様をみると反射的に海を思う。中央林間と渋谷を結ぶ田園都市線の沿線に住み、学校も職場も、社会的なものはすべて渋谷方向にあったので、中央林間で交差する小田急線は社会的なものからのエスケープの象徴だった。
 電車に、わたしが感じるのは、「層」の手触りの魅力だ。
 電車には、上に書いたような自分自身の記憶、それから乗り合わせた人たちの人生の、いまある一部分と来し方行く末の全体、次々通過していく時間と場所が、ざわざわといっぺんに折り重なっている感じがする。その層に触れて感じるものは、ノスタルジーとも、ファンタジーとも呼ぶことも出来そうで、詩を書くとき電車は異空間を出現させる装置となる。観光地を走る路線より、住宅地やなんでもない街を行く路線がいい。自分が揺られている電車が、沿線の、見知らぬ人たちの生活のなかを通っていくことを思う。そうすると、たくさんのイメージが拾えそうだ。

 「層」の感触とは別に、電車の、体一つでそこにいる感じもいい。電車で一人遠出をしていると、ふと、頼りないような、けれど温かい気持ちになることがある。晴れた日、車窓を眺めていると、大切な人たち、懐かしい思い出、いろいろなものを心に携えて、ひとりぼっちでどこかへ運ばれていく心地がする。たぶん、距離的に移動することに、時間的な移動が想起されて、不意に重なってしまうのだ。以前、そのことを詩人の萩野なつみさんに話したら、強く共感してくれて、「明るいさびしみ」と彼女なりに表現してくれた。

 なんだかいつにもまして取りとめがなくなってしまったが、電車は、一生の間の、ほんの短い時間、どこか目的地につくまでの待ち時間を共有している箱で、お互いに知り合うこともなく、しかしすぐ目の前にはたしかに肉体が存在している不思議な空間だと思う。外は猛烈な速度で、人の本来の時速四キロの移動速度をはるかに越えていく。
 でも、そのわりに車内では、そんな驚きを共有することもなく、一人の人はみんなごく私的に過ごしている。こんなスピードで移動しながら、こんなに近くに寄り添いながら、みんな自分に没頭しているので、いつも、なにか特別な化学反応が起こりそうな気配が漂い、どきどきしている。

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