わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第5回 ―アントン・ブルックナー―  野村 龍

2017-10-11 01:27:43 | 日記
 私は細々と詩を書き綴っているものであるが、情けないことに、これまで愛着の念や憎
悪の感情が湧くほどに詩を読み込んだことがない。そこで、今日は「わたしの愛憎曲」に
ついて書いてみたい。このテーマであれば、実に相応しい音楽があるのである。いつもこのコラムを楽しみにしてくださっている方々には誠に申し訳ないのであるが、今回は音楽の話をしてみることにする。
 その作曲家、アントン・ブルックナー(1824-1896)の音楽に触れたのは、今から数年前、京王線府中駅前の中古CD店「ポポロ」の店頭で、文字通り一枚のCDを手に取ったときのことであった。
 それまで私は、何故かブルックナーを耳にすることがなかった。その私がポポロでブルックナーを初めて手にしたのは、CDの指揮者がフィリップ・ヘレヴェッヘだったという、ただそれだけの理由であった。
 帰宅して、買うでもなく買ってしまったCD、ブルックナーの交響曲第7番をパソコンに挿入し、ヘッドフォンを装着して、聴こえて来る音楽に耳を澄ましていると、私のこころは、瞬時にブルックナーに掴まれてしまった。美しいのである。
 当時、私は「美しい」と言うことについて考え詰めていた。ただひたすらに美しいもの、それだけのものが、この世に存在してもいいのではなかろうか? そのように考え、私は「美しい言葉」を探求し続けていた。そうした探求の副産物は、幸いにして1冊の詩集として実を結んだのであるが、そこへ至る過程で、私はブルックナーを聴きまくったので
ある。
 ブルックナーは、生涯にほぼ9つの交響曲を残した。そのどれもが、ひたすらに美しい 。ブルックナーの虜となった私は、彼の「交響曲全集」を次々と買い求め、聴いた。言葉の羅列となることを許していただければ、オイゲン・ヨッフムに始まり、ギュンター・ヴァント、クルト・マズア、エリアフ・インバル、更にヘルベルト・フォン・カラヤン、レ
ナード・バーンスタインを経て、マレク・ヤノフスキ、シモーネ・ヤング、ミヒャエル・ギーレン、マリオ・ヴェンツァーゴ、最近のものではイム・ホンジョンに至るまで、ひたすらにブルックナーを聴き通したのである。
 そして、あるとき、食傷した。ブルックナーは、何の役にも立たなくとも、ただ存在するだけで価値があるのであるが、そのことを見失い、私はブルックナーが聴けなくなってしまった。同じような構成、同じような旋律、それらの無限とも思える繰り返し……。
 普通なら、ここでこれまでに購入した交響曲全集をすべて売り払うところであるのだが、おそらく神の配剤があったのであろう、後から思えば幸いなことに、私は十数点に及ぶ全集を、放置するにとどめたのだった。
 ブルックナーが嫌いになった私は、ほぼ並行して聴き続けていたグスタフ・マーラーに、今度はのめりこんで行った。もう指揮者を羅列したりはしないが、やはり十数点の交響曲全集が手元に集まってしまった。
 マーラーには、ブルックナーにない「文学性」があった。また、ブルックナーは音楽史に突然登場し、突然消滅するのであるが、マーラーは音楽史の中で生まれるべくして生まれ、「音楽の遺伝子」を残して消えて行く。更に、(ほぼ)9つの交響曲には、それぞれに必然性があり、ひとつとして似通った交響曲はない。
 そのように、ブルックナーとはまったく異なるマーラーを聴き続けていた私であったが、ある日、極度に疲弊した状態で帰宅したことがあった。「何か音楽が聴きたい……。」
そう考えながらパソコンに挿入すべく私が選んだのは、あのどうしようもなかった筈のブ
ルックナーであった。そして、ブルックナーは、再び私のなかへ染み込んで来たのである 。
 これが、私とブルックナーとの愛憎劇である。自分で言うのも憚られるが、私の生活は、外から見れば単調であるけれども、内部では、このようにマグマが流動しているのであった。そして、ここまで深く聴き込んだ作曲家は、アントン・ブルックナーの他にはいない。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第4回 ―荒川洋治― 『一時間... | トップ | 第6回 ―鮎川信夫― 鮎川信夫... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事