俳句エッセイ わが愛憎句

毎月1回原則として第2土曜日に愛憎句のエッセイを掲載します。

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第1回  二つの基準   古田嘉彦

2017-05-02 22:43:15 | 日記
深川三股のほとりに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪を望み、近くは万里の船を浮ぶ。朝ぼらけ漕ぎ行く船のあとの白浪に、蘆の枯葉の夢と吹く風邪もやや暮れ過ぐるほど、月に坐しては空しき樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁ふ。
   
艪の声波を打って腸凍る夜や涙

 もう何年前になるのだろうか、新潮日本古典集成「芭蕉文集」の始め、「柴の戸」「月侘斎」「茅舎の感」そして「寒夜の辞」と読み、そこにそれまで俳句に持っていたイメージと異なる世界があることを知った。侘びて澄むこころざし、そこに徹していこうとする切迫感。蔵書を失うことになった時自分の手元に残す十冊を選ぶとしたら、これはそのうちの一冊になるべきものだと思った。そのようにして私は全生涯を注ぎ込む作品形式として俳句を考えるようになったのだ。
 それに加えてこの作品で感じたのは、字余りの漢詩的な異形の姿と、普通避ける涙といった感情をあらわす生(なま)の言葉への異和感で、芭蕉がこのようなことをしていることへの驚きである。洗練、巧みさ、風雅、どれも無い。そして考えた。「短い作品形式にとって、ある種の奔放さ、ぎょっとさせるものは不可欠な要素、命なのではないか…」それはずっと私にとって課題となった。人の予想を超えたもので驚かせるのは、多かれ少なかれすべての芸術において常に試みられてきたことだが。
 それはともあれ、作品の中にある時間のしんしんとした強さという尺度によって、日野草城の病臥後の句、尾崎放哉の晩年の句が私にとって大切な作品となった。私は俳句を特定の時から離脱させようとしているのでこれらと同じことをする積りは無いが、それまで己をしばっていた基準から抜け出てただ切実なものに集中しようとする姿勢、厳しさのようなものに近づきたいと思った。
 それと「芭蕉文集」によって、詞書、日記等の文章と俳句を組み合わせて一つの世界を構成しようという志も与えられた。「寒夜の辞」は私のその後の作句全体を方向付けたのだ。
 それに対し、私にとってもう一つの基準を成すのが阿部完市の作品である。

うすものというあたりなり十一軒  (阿部完市「純白諸事」)
白鷺がとんで行ってみえて京劇   (阿部完市「地動説」)

 意味、象徴ではなく、言葉、イメージが読者の意識をかき乱す。読んだ後句の中にあった言葉はそれまでとは違う言葉にならざるを得ない。俳句作品によって揺り動かされて、その句によって導かれるのでなければ到達しえないある意識の世界、他の言葉に置き換えられない真実、しかも魅力を感じさせる世界に至る。そのような俳句のあり方が、私が阿部完市から学んだものである。

…書くそのことと、心理あるいは思考との間に致し方なく確在する不安定性、偶然性、のその向こう側、その彼岸に表現があり、一句があり、感銘があり、酩酊がある」(阿部完市「わが『ことば』のこと」) 

 私はこの後に従おうとしている。不安定であり偶然性があるが、しかし的中している。それが故に酩酊が起こる。それは阿部完市の作品で実証されている。一見舌足らずで不完全に見える表現で不意をつくやりかた、微妙に壊し意味不明にされた世界等々、それらは一定の句法で約束された(はずの)成功を実現しようというのではなく、常に一句一句の挑戦である。

…まだ私にとって言葉というもの・一語一語は、謎そのものでありつづける」(阿部完市「地動説」後書) 

 その言葉が謎でなくなった時、現代俳句(または現代川柳)は言語芸術であることをやめる。しかし俳句のあり方を学んでも私がそれを実現できるわけではない。阿部完市の詩想の跳躍力は俳句史において比類が無い。
「寒夜の辞」の芭蕉と阿部完市、この二つを同時に実現するのが、私の望みである。句集「虹霓鈔記」の後記でも書いたが、これは矛盾するところがある志向で、私は二つの基準に引き裂かれそうになりつつ茫然とするばかりである。原理的に両立しないのではないかと思うが、絶対に不可能なのかどうかまだ結論が出ない。私にとっての未来は阿部完市にしか無い。しかし後ろで芭蕉が背をつかんでいる。
 どちらか一つだけの基準であれば楽だった。だから(わが愛の、わが宿敵の愛憎句という趣旨とは異なるが)艪の声と阿部完市の句が、私にとっての愛憎句ということになる。
     
(初出 『LOTUS』第12号 2008.11)
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