短歌周遊逍遥(仮題)〔旧「詩客」サイト企画・「日めくり詩歌」〕

3名の歌人が交替で短歌作品を鑑賞します。
今年のご執筆者は奥田亡羊、田中教子、永井祐(五十音順)のお三方です。

2013/4/22 〔永井 祐・9〕

2013-04-22 00:00:00 | 永井祐
けだものの暖かさうな(いね)すがた思ひうかべて独りねにけり       斎藤茂吉


わたしは昔からこの歌が好きで、
たしか北杜夫が引用してたのを見て以来ずっと覚えていました。
歌意は平明、そのままで、動物が寝てるあったかそうなところを思い浮かべながら
ほわわわんと寝ましたということですね。
「暖かさう」がいい。毛がふさふさした哺乳類系のやつです。
人間も動物も、自他の区別もつかないような、ただあたたかいかたまりになって
眠りの中にもぐって行く。
これが無類に気持ちよさそうで、心に残っていました。
しかし、原典『赤光』の連作の中でこの歌を見てみると、ちょっと様相が
変わってきます。
この歌の置かれている「或る夜」は、
主人公が年の離れた許嫁(十七歳ぐらい)のことを考えながら眠りに着く、
という8首の連作です。
一、二首目はこんな歌。

くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは(つつま)しきかなわれのこころの

をさな妻をとめとなりて(いく)百日(ももか)こよひも最早(もはや)眠りゐるらむ

「たまゆら」は「ほんの少しの間」とか、そんな感じです。
主人公は夜遅くに赤鉛筆を削りながら慎ましい気持ちになっている。
まじめに夜遅くまで仕事や勉強をしているようです。
二首目。「をさな妻」が許嫁さんのことです。これは造語みたいですね。
まだ妻ではありませんが、そういう風に言ってるんです。
「をとめ」は「乙女」で、「をとめとなりて幾百日」は、少女だったのが乙女に
なってしばらく経つ、という感じでしょう。
それで今夜はもう時間も遅いから、眠ってるんだろうなと主人公は赤鉛筆とか
削りつつ思っている。
年は十五歳ぐらい離れてるんですね。
なので、そういう目線になっている。
そして、
こんな歌が出てくる。

わが友は蜜柑むきつつ(しみ)じみとはや(いだ)きねといひにけらずや

「はや抱きね」は「はやく抱いてしまえ」です。
「はや抱きねといひにけらずや」は「『さっさと抱いときなよ』と言ってたっけか」
ぐらいでしょうか。
友達にそういうこと言われたのを思い出してるんですね。
蜜柑むきながら。しみじみと……。
それで彼の考えは(考えだけですが)そういう方向へと進み、
連作最後の歌はこんなのです。

水のべの花の小花の散りどころ盲目(めしひ)になりて(いだ)かれて呉れよ

上句の解釈は塚本邦雄先生に任せましょう。
「上句は『(いだ)かれ』た結果の象徴美化喩法であらう。あたら少女の花を散らすなどといふ通俗的な表現は、下世話にも通ずるし、この歌もさして遠い次元のものではない。」
だそうです。
下句はつまり、許嫁さんに心の中で呼びかけてるわけですが、
けっこうやばいですね。「盲目(めしひ)になりて」って。
まあアウトですね。正直なんでしょうけど。男性の性欲ってきっと本質的に
こういうところがあるんでしょうね。追求するところではないですが。

それで、今日の「けだもの」の歌は連作の中では「蜜柑」の歌の次に来るわけです。
そうすると。
わたしの好きだった、あったかそうな動物のふさふさの毛でほわわわんの世界の、
その想像力の根底にはこういう思いっきりセクシャルなイメージが横たわっている
ということになる。
連作で読めばどう見てもそうなる。
なるほど……。
奇妙な納得感とともに複雑な気持ちが押し寄せてくる。

世界は複雑です。

寝ます。
おやすみなさい。

(引用は新潮文庫 初版『赤光』から)



執筆者略歴
永井祐(ながいゆう)
1981年生まれ。
2012年第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』刊行。


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