「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第205回 たしかに逸脱かも―伊藤浩子『未知への逸脱のために』 駒ヶ嶺 朋乎 

2017年02月09日 | 詩客
 詩集に挟まれている解説の栞をヒントにして読むと、先入観が入ってしまって読めない場合があるので通常あまり読みたくない。伊藤浩子『未知への逸脱のために』(思潮社、2016年)ではしかし、目に入ってしまった。一瞥すると神山睦美氏が「ラカニアンたらんとしている」と、野村喜和夫氏が「掛け値なしに、驚くべき詩集」と書いてあったのでつい読んでしまった。ベンヤミンが引用されているそうで、「イエスの復活」があるようで、「原初的他者が発生する場」があるようだ。……期待が高まった。本体をパラパラめくると、ベンヤミンやデリダの引用のセンスが良い。「わたしたちが耳を傾ける様々な声のうちに、いまは黙して語らない人々の声がこだましている」(ベンヤミン)、「(主体は)騙すと同時に具体化された他者の像によって、あるいは自らの鏡像によって生命を吹き込まれます。」(ラカン)、「この死への気遣い(中略)が、自由の別名である。」(デリダ)。文章も冗談ゼロのお堅い感じで、どこにイエスの復活、待ち望んだ許しや祝祭があるのか、読み進めた。……最後まで出会えなかった。栞の誤読であった。
 栞をまとめると、野村氏によると、6行1パートずつの詩篇と、断章風の散文詩と、物語詩と3パートに分けられる。神山氏が通読後、再帰するよう促している部分は6行1パートの部分で、野村氏は真ん中の散文詩を絶賛している。人気のない物語詩から吟味したい。たしかに詩と呼べる部分があるかというとない。ショートショートくらいの短編小説かもしれない。最初の2編は事物への偏愛ならびに性への親和性と嫌悪とが村上春樹風な小説で表現されているような。その後、物語のリアリティは、つまり「世界の実在性」は、異常巻きアンモナイトみたいに不可解な複雑化を呈している。要するに背景設定が説明ないまま細かい。なぜ登場人物が、選択緘黙だったり昏睡状態だったり、切り離された後の結合双生児だったり、「孤児院」(という呼び名はいまはい)育ちだったりする必要があるのか。短編にしては設定を詰め込みすぎているかなと思う。緘黙や昏睡には“言葉を奪われた”という悲劇性があり、散文詩という饒舌さとの対比を短編の中で表現するには適すのかもしれないが、小説という時間の移動の中で最後までこのように救いがないとなると、読む方には苦しい。語り手が非常に女性的なだけに、女性性とは遠い残酷さ目についてしまった。知的であろうとする鋭利な精神が、複雑化してニッポニアニッポンの巻きのように一見あれ?という外見を呈してしまったのか。
 断章風散文詩ではラカンの、「主体」が分断され、他者として立ち現れたあとまとまる、という重要な自我の命題を巡っている部分があるのかどうか、探って行く。「あなた」や「ふたり」が出てくるが、おそらく主体の分裂・増殖なのではないかと読み進め、「あなたと出会うまで、いつもひとりだったの」という「不在」(P.56-59)が、「現前と不在」とを行き来する試みかなと思った。前半までは不思議でよかったのだが、途中で人体部分をバラバラにして瓶漬けに陳列されてしまった。この悪趣味な展開にはお手上げであった。「MOTHER MACHINE」も使用単語にえぐみがある。Motherなる存在はえぐいと言われればそれまでだが、もう少しマシーナリーの無機質さがあればよかったのになあと思う。詩の冒頭に挙げられたウィトゲンシュタインの『哲学探究』には「われわれは、機械の部品について、それがこのように動くことしかできず、それ以外の動きは為しえないかのように、語る。(中略)その部品が曲がったり、折れたり、溶けたりするといった可能性をわれわれが忘れているということなのか。」とあることから、mother machineの故障を思い遣ってしまった。母達、たまに故障するよね。
 で、結局私も、神山氏と同意見で6行分けの部分が良質であるかなと思う。ここにもこだましているのは主体の分離とその後の主体の自立ではないかと思う。

「あなた」という現象が
「わたし」というひとりの他者を映し出す鏡なら
割れたらいっしょに砕け散るわよね?
そこから出立したの、再び出会うため
岩石の一部や一滴の雨粒 あるいは
かつてひとつだった世界の失われた半身として

(「日々の痕跡」 p.8)

 何人か詰め込んでできているよりしろとしての自己が見えて、透明感がここにはある。著者には、残酷さは手放して、きれいなものを追ってもいいんじゃないかなと言いたい。知的であろうとする姿勢は残酷さより優しさと親和性があると私は思うので。
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