「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 情報から人間へ-山田亮太『オバマ・グーグル』を中心として-     浅野 大輝

2017年04月23日 | 詩客
 今年1月、「シェルスクリプトマガジン Vol.46」(USP研究所発行)にて高橋光輝(HN:博多市)の連載「機械学習で石川啄木を蘇らせる」が最終回を迎えた。2016年5月発行の「シェルスクリプトマガジン Vol.38」で開始してから、計9回に及んだ連載だった。このなかで高橋は、石川啄木の「未完の短歌」を機械学習の力を活用して完成させるという非常に興味深い取り組みを行っている。

大跨に緣側を歩けば、 石川啄木

 啄木の「未完の短歌」は啄木の直筆ノートの最後に置かれていたものであるが、一般的な短歌の定型と照らし合わせた際には音の欠落が大きい(2句目までしかないように見える)ため、不完全な作品としてその存在が深く考察されることが少なかった。事実、現在出版されている多くの啄木歌集ではこの「未完の短歌」はないものとして扱われている。高橋は石川啄木という存在とその作品への強い関心から、この「未完の短歌」の完成を試みた。技術的な詳細は高橋の記事にぜひ当たって欲しいが、主に形態素解析[1]やN-gram言語モデル[2]の構築、マルコフ連鎖モンテカルロ法[3]、word2vec[4]、SVM[5]など機械学習の手法を用いることで、高橋は啄木の短歌を復元することに成功した。その結果得られた短歌は、次のようになったという。

大跨に緣側を歩けば、
 うしなひしをさなき心
 寄する日ながし。
 石川啄木(高橋による復元)[6]

 どうだろう。個人的には、縁側を歩く日常の何気ない所作のなかから幼い頃の心を失ってしまったという感覚を見出すのは、なんとも啄木的な気がする。何も知らなければ、普通に啄木の作品だと思ってしまうだろう。そのくらい高い完成度を持っていると、言い切っていいように感じる。少なくとも僕は、これをぱっと見せられたとき「機械学習によってコンピュータが復元した短歌」と判断できるとは、とても思えないのである。

 *

 山田亮太『オバマ・グーグル』は第8回鮎川信夫賞の最終候補作品に挙げられるなど、2016年6月に出版されてから現在に至るまで依然として強い関心を惹く詩集である[7]。

 0

私たちは知っている、誰も見たことのない、無垢の国家と、性の政治、そこにはもういない、大島渚のある風景を、私たちは撮る、メディアとしての替え歌が流離する、沸騰する、ふたつの言語で解体した風の島、アイルランドの詩魂、ロシア系の、アメリカ訛りの、私たちは数え上げる、地下室でシャンソンに身を投じるボリス・ヴィアンの個体性を、その危機の数を、(中略)

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10年代の日本文化のゆくえ


山田亮太「日本文化0/10」


 言葉のうねりが非常に刺激的な一連だが、この一連を終えるとき読者は「*「ユリイカ」二〇〇〇年一月号〜二〇一〇年九月号(増刊号を含む)の目次を利用しました」という但し書に出会う。僕は、この但し書に度肝を抜かれた思いがしたのだった。
 詩集単位で読んだとき、この「日本文化0/10」は「現代詩ウィキペディアパレード」という作品の後に置かれている。「現代詩ウィキペディアパレード」も非常に挑戦的な一連で、「現代詩」を中心としたウィキペディアのページからの引用によって詩が構成されている作品である。ただ、こちらはタイトルから詩における試行がまず把握されるため、読者は最初から詩がテクストの引用によって構成されることを了解して読み進められる。それに対して「日本文化0/10」は、読み始めた時点ではいま自分が読んでいるテクストが「ユリイカ」の目次であるということはわからない。言葉に運ばれて詩の終着点に到達したとき、初めて自分を運んできた言葉の正体に気がつくのである。
 こうした後出しの衝撃とでもいえそうな手法は、詩集中では「私の町」などにも表れている。「私の町」というタイトルと緻密に描写された町の風景から、読者は詩の言葉が主体にとって既に近しい町を指していることを推測するが、「岩手県山田町/訪れたことのないこの町のすべてを/私は知りたい」という最後の3行で読者の想定は覆される。それまでの想定が突然覆った宙ぶらりんな場所で、「私は知りたい」という言葉が切実な願いとして響いている。
 表題作「オバマ・グーグル」は「現代詩ウィキペディアパレード」と同様、はじめからテクストの引用というギミックの存在を読者に把握させる詩であろう。

バラク・フセイン・オバマ・ジュニア(英語:Barack Hussein Obama Jr.、一九六一年八月四日-)は、アメリカ合衆国の政治家。第四四代大統領。・・・オバマは、アフリカ系の姓。ルオ族などで見られる・・・政党は民主党。選挙により選ばれたアメリカ史上三人目のアフリカ系上院議員(イリノイ州選出、二〇〇五年-二〇〇八年)。二〇〇八年アメリカ大統領選挙で当選後、任期を約二年残して上院議員を辞任した。・・・たった一四分間のこのスピーチには、キング牧師やケネディ大統領のスピーチを十分に研究した構成、候補者数名と大統領選挙を見越した戦略性、そして浮動票に訴える強いメッセージ性のすべてが入っていてうならされます。・・・(後略)
山田亮太「オバマ・グーグル」


 Googleで「オバマ」を検索し、その結果上位100までに表示されたウェブサイトからのテクストの引用で形作られた本作は、情報の膨れ上がる現代に対してキュレーションによる詩の生成を試みている。「現代詩手帖」2017年4月号に掲載された鮎川信夫賞選考の対談では、吉増剛造が註の番号や言葉の韻律など本詩集が持っているリズムを「運動態」「呼吸」などの言葉を使って支持しているが、僕としてはそれに強く共感を覚えた。「オバマ・グーグル」は詩集全体の3分の1程度という長さを持つ作品であるが、そのすべての文ないし文章に出典元を示す註の番号がふられているさまは、まるで細かく節をふられた聖書のようでさえある。丁寧にふられていく註番号や引用の文言の選択に人の息遣いや手の動きを感じるとしたら、そのテクストは確かに詩を形成していると言っても良いのではないか。
 一方、対談中で北川透が本作について「既成の作品概念とは異次元の試み」「これは詩的行為なのか、非詩的行為なのか」と疑問を提示しているのも、重要な観点だろう。ゼロからテクストを生成する詩に対して、「オバマ・グーグル」は既存のテクストからテクストを再構築することで詩を立ち上げようとする。その試みは情報の羅列と紙一重でもあるため、テクストを再構築する者の呼吸を詩行から逃さないように注意深くあらなければ、途端に情報の側に取り込まれてしまう危険性もあるのである。

 *

 コンピュータ自身が創作を行うことは可能である--そうした認識を持たせるようなニュースは、ここ数年で激増しているように思う。例えばオスカー・シュワルツとベンジャミン・レアードの二人は、人間の書いた詩とコンピュータの書いた詩のどちらか片方を表示し、その作者が人間かコンピュータかをジャッジする「詩のチューリング・テスト」のための「bot or not」というWebサイトを開設した。2013年から始まった彼らの試みでは、およそ65%の人間が、作者がコンピュータである詩を見抜けなかったという。また一方で、名古屋大学の研究グループは2013年よりコンピュータに小説を書かせるという研究を行い、実際に「星新一賞」に応募した。コンピュータは既にある知識から未知の知識を分類・学習し、非常に「人間的」な活動を行うことができるようになっている。本稿冒頭で挙げた高橋による機械学習のプロジェクトも、こうした文脈に位置付けられるだろう。
 コンピュータが「人間的」な詩を作るようになるとき、詩人はどう生き残っていくのか。その一つの方法が、山田が「オバマ・グーグル」で見せたキュレーション--情報に対する積極的なアプローチによる詩の展開ではないだろうか。従来非詩的とされてきた単純な情報にむしろ詩を肉薄させてみて、拭いきれないものや捨てきれないもの、手放してはならないものを改めて掴み直すこと。そこから、新たな詩と人間のあり方を模索すること。
 詩人はいま、さらなるアップデートを求められている。







---参考文献---
高橋光輝「機械学習で石川啄木を蘇らせる」(「シェルスクリプトマガジン」、Vol.38-Vol.46、USP研究所)
高橋光輝「機械学習で石川啄木の未完の短歌を完成させる」(「SunPro会誌2016」https://sunpro.io/c89/、2017年4月15日閲覧)
山田亮太『オバマ・グーグル』(思潮社、2016年)
「現代詩手帖」2017年4月号(思潮社、2017年)
中家菜津子「自由詩時評第188回 鳥瞰図、あるいは未来予想図として 山田亮太『オバマ・グーグル』を読む」(http://blog.goo.ne.jp/siikaryouzannpaku/e/7f5e35819e453c615707bfe32458d6eb、2017年4月15日閲覧)
オスカー・シュワルツ「コンピュータに詩は書けるか」(https://www.ted.com/talks/oscar_schwartz_can_a_computer_write_poetry/transcript?language=ja、2017年4月15日閲覧)

---註---
[1]大雑把に言えば、文章を意味のある単語レベルに細分化する解析手法。
[2]ある単語が出現する確率がその単語の直前のN単語によって決定すると考える言語モデル。
[3]ある時点で状態遷移が起こる確率が、現在もしくはそれより前の状態によって左右されるという性質をマルコフ性という。マルコフ連鎖モンテカルロ法は、マルコフ性が成り立つ状態遷移の遷移経路をシミュレートする手法。
[4]本当にざっくりというなら、単語をベクトル(数値の集まり)に変換する手法。
[5]サポートベクトルマシン。これも時評子にはざっくりとした説明しかできないが、すでにある2種類のデータを元に未知のデータを分類・学習するため、2種類のデータの境界面(識別面)を決定する手法。
[6]ちなみに、「シェルスクリプトマガジン」連載以前に高橋が「SunPro会誌2016」で復元した短歌は「大跨に緣側を歩けば、板軋む。/かへりけるかな--/ 道廣くなりき。」というものだった。高橋は今回の結果についても「環境や乱数によって生成される短歌が異なる可能性があるので、これが唯一の回答というわけではありません」と前置きをしていることに注意して欲しい。
[7]「詩客」自由詩時評第188回において、中家菜津子も本詩集を取り上げて論じている。こちらもぜひ参照されたい。


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