「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩評 松尾真由美の散文詩 無時空 映

2017年05月19日 | 詩客
 初めて松尾真由美の演奏を聴いたのは調布図書館の開架でのことだと思う。「ま」行の並びにたまたま『現代詩文庫』が置いてあったのだろう。

やわらかな静寂をよそおう空隙にかこまれ 周辺にただ
ようつめたい吐息をたどり 希薄な修辞のさざめきをは
かり浅瀬にたたずむ渇きに気づく 猶予のない留保 孵
化と蘇生をねがいあらたな狭窄にうながされ はなたれ
た情動は予兆の雫となりすでにやさしい深淵に沈みはじ
める

(『現代詩文庫195 松尾真由美』p8)


 「やわらかな静寂」最初にこの不思議に響く動機が延髄辺りに突き刺さった。穏やかな違和感の中で「静寂」のイメージが震える。この「やわらかな静寂」を模索する私の想像力は未だ出会ったことのない体験への渇望に向かって旋回しながら落ちていった。しかし、この「静寂」は「静寂」ではなく「空隙」なのだ。「静寂」をよそおう「空隙」とは何か。言うまでもなく「空隙」は内容なき隙間であり、音が出るはずもなく「静寂」なのは当然である。そのような「空隙にかこまれ」るなら主語はその隙間に嵌っているのだろうか。そして「つめたい吐息」を吐いている生物は何なのか。人間なのか妖怪なのか。主語はその吐息をたどり、息を吐くモノへといたるのであろうか。至らないとしても「浅瀬にたたずむ渇きに気づく」ことになる。
 「かこまれ、たどり、はかり、気づく」この連用形3+終止形1というリズムは今後も変奏されながら繰り返されているかのようだ。続けて「ねがい、うながされ、雫となり、沈みはじめる」というように。

白日の脱皮につきまとう夢想をかかえ かかえた胸元で
解きえぬ鍵はきらめき きらめく高揚の泡立ちに身をま
かせ いくつもの擬態をあなたにゆだねる

(前掲p8)


 ここでも「かかえ、きらめき、まかせ、ゆだねる」というリズムは踏襲されている。
 「白日の脱皮」のあとは新たな白日が出てくるのだろうか。しかし、出てくるものは問題ではなく「脱皮につきまとう夢想」が問題なのだ。主語が「夢想」するのではなく、主語は「脱皮につきまとう夢想をかかえ」る。他者の夢想をかかえるときその夢想は胸元にどのような感触を与えるのか。それともかかえられると同時にかかえるものに同化してかかえるものがそれを可視化できるのか。他者の夢想をかかえるという未知なる体験が私を誘っている。脱皮する白日とかかえる者とあなた。この三者の物語が始まりそうだ。

一枚ずつ外皮を手渡し おだやかな抱擁はあわい回帰を
生み出し あなたの指先にからまる私の指先の祈りへと
相姦する掌の感触 手あるいは複数の手は人間の舌だっ
たのである。

(前掲p8)


 外皮を手渡すのは脱皮した白日だろうか。しかし、おだやかな抱擁はあなたと私がするようである。「祈りへと相姦する」というところは読解しにくい。ただ、指と掌と手が分析的に描かれていて、舌と舌とが絡まるように手指を絡めているというフィジカルな解釈は可能だ。
 でも、外皮を手渡す白日はどうなったのだろう。それとも「私」が脱衣しただけなのだろうか。

 上記の引用はすべて『燭花』(1999年刊)の第1歌「水の囁きは果てない物語の始まりにきらめく」からである。
 最終連である第4連でも「ともない、閉じこめ、属さず、しめす」という連用3終止1のリズムが繰り返されている。第2連ではこのパターンは採用されていないが、「かのよう」という文末が2回連続して採用され、意図的なリズム生成を覗わせる。上で引用した第3連ではリズムパターンに加え、「かかえ かかえ」、「きらめき きらめき」というよな同語反復も採用しており、ここでも意図的なリズム生成は明らかである。

だから、暗い木々の狭間を縫うように、夜のとばりの喉
元から未知と既知とが絡まりあい、地の雲に足先は覆わ
れて、広がる不安あるいは千切れた根の行方を、ひとり
で追ってゆくしかない。

(前掲p94)


 『燭花』の文体がバッハやハイドンのように何らかの形式にそった静的な構成を持っているとすると、その10年後に刊行された「不完全協和音 秘めやかな共振、もしくは招かれたあとの光度が水底をより深める」のそれは動的で流麗であり、例えてみるとラヴェルのピアノ曲のような感じだ(上記引用はその第1歌)。語法や措辞として読者に強度の想像力を要求する割合は『燭花』よりも低くなっている。そのような意味でもより強く流れを感じさせる。

雨の雫はほのめく涙を隠していて、このような雨つぶに、
枝のつやも葉のつやもあおあおと美しくきらめき、立ち
のぼるみずみずしい吐息にまみれ、暗転する絵。饐えた
ものが消されてゆく。

(前掲p100)


潤うことの憂いと空欄の華やぎとのあいだ、完了しない
選ばれたものたちに天井からうすく光が降りてきて、葉
や枝や稜線や褥、あなたや私に新しく生まれたまばゆさ
はひろがり、うっすらと神聖でこまやかな雪のよう、

(前掲p101)


 以上は第1歌の「汐の彩色、しめやかな雨にながれる鍵と戸と窓」からの引用。全体が河津聖恵の作品を前提として書かれている。

 第1歌の冒頭と最後の文の始まりは「だから」なのだが、これはワーグナー的な動機の再現効果を狙ったものなのだろうか。後半にも「だから」が一度使われているが、最初と最後の「だから」はかなり効果的である。

 筆者にとって松尾の作品は既知の日本語単語の見たことのない表情を見せてくれる貴重なプリズムである。

  琺瑯質の誰かが覗く虹の秘部   無時空映

 この句は「不完全協和音」第2歌における入沢康夫からの引用、

わたしは 旅から旅をして ここに来た
わたしの琺瑯質の眼には
たくさんの たくさんの物が映り

(前掲p105)


を見た時に受けた印象が動機となっている。

 また、「燭花」第5歌に

あやうい加熱を受けすでに足許は孵化に穿たれていたあ
つい掌が握りしめる氷のようにつめたい言葉の先端を

(同書p35)


という一節があるが、この「孵化」に反応して

  見ぬ世まで鴫の声して水の孵化

 という一句を作った。他にも

  花片の痛覚露に引き攣る光

  半睡に舌が絡まり万の腕

  繭蒼く葬列の強度を測る

  覚醒を灼く光の環枯れ葎

  虹の秘所で侵される月の愉悦

 など、松尾の語法が動機となって作った句は多い。

 一方、松尾の詩の意味を考えることは殆どない。私にとって彼女の作品は音楽なのである。特定のメロディーが気に入ってそれを愛でる場合、そのメロディーラインに意味を求める聴衆はいないだろう。ただそれが美しく快いだけで価値があるのだから。


(参考文献)
「現代詩文庫195 松尾真由美」
「燭花」
「不完全協和音」
以上、すべて思潮社。




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ブログを拝見しました (つねさん)
2017-05-26 13:46:58
こんにちは。ブログを拝見させて頂きました。これからもブログの運営頑張って下さい。

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