「詩客」自由詩時評

隔週で自由詩の時評を掲載します。

自由詩時評第211回 詩を二つに分けるもの――〈感性の秩序〉ということ 須永 紀子

2017年05月17日 | 詩客
 おそらく詩を書くひとの多くが気づいていると思うが、詩作品は大きく二つに分けることができるだろう。けれども、たとえばわかりやすい詩と難解な詩、観念的な詩と抽象な詩、某誌に掲載されている詩とその他、身辺に材をとった詩とそれ以外、などといってみても何かちがう。どのように説明したらよいのだろうかと考えて、明快な答えが見つからないまま今に至った。
 その「境界線」にあたるものが「この世界の感性の秩序」ということばで表現できることを、ある文章で知った。
 今年に入ってとどいた「栞」5号(2016年11月発行)に掲載されている山岸光人さんのエッセイ「詩集を読んで70年代を振りかえる・・・」のなかに見つけたのが「この世界の感性の秩序」である。
 取りあげられているのは松下育男さんと菊池千里さんの詩集。山岸さんとは同世代なので、ほぼ同じ詩集を読んでいる。松下さんの詩はわかりやすくユーモラスで、当時も今もすばらしいと思いながら、他の詩人とはちがう「遠さ」を感じてきた。こういう詩を書くことはできないだろうと思う。 なぜなのか。

 まず、山岸さんが引いている松下さんの代表作「歯止め」の全行を見てみたい。

てのひらを見て
思う

ここも
うまい具合に歯止めがきいている

指はてのひらが五本に裂けて
途中で肉の
歯止めが
きいて
いるが
この歯止めがなく
ずっと
肩のつけねまで
裂けつづけていたらと
思う

君へちからをこめることは
もうない

日々の顔をおおうことも
はげしく涙を
ぬぐう
ことも・・・

長すぎる指を
執拗に
顔に巻きつけ
ぼくは蒲団をかぶって眠る

五本のひもを両肩から
ぶらぶらさせて
ぼくたちはたそがれ時 たまらない表情で
行き交うんだと
思う

 
 ひとの心の琴線にふれる、優れた詩であると思う。当時はサリドマイドを連想させるという声もあったけれど、それはうがった見方だろう。

 この作品を収めた『肴』で松下さんは1979年にH氏賞を受賞した。山岸さんは批判も多かったと書き、稲川方人さん、瀬尾育生さん、野沢啓さんの文章を引用している。同年生まれの詩人たちが学生紛争の敗北体験を抱えて詩を模索しているなか、松下さんはそこから距離を取り、生活や仕事をモチーフに寓意的な詩を書いた。同世代の詩人たちが違和感をあらわにしたのは当然のことであっただろう。瀬尾さんの文章に「この世界の感性の秩序」ということばがあった。

 ところでこれらの詩人たち(執筆者注・松下さん、阿部恭久さん等)は、詩の表現にむかうとき、ひとつの感情をあらゆる相反するものとの関連から切りはなして作品の中に固定しようとする。作品のなかで感情は永遠の安定の相をもって固定されている。つまりひとつの作為がここにはあるのだ。切りとられた部分的な感情のなかにみずからをとじこめ、彼らは〈それぞれの場所〉におちつく。それぞれの場所におちついて彼らはやさしくなる。だが何に対してやさしいのか。切りとられた部分性をひとつの場所たらしめているものにたいして、いいかえればこの世界の感性の秩序に対してやさしいのだ。(「現代詩手帖」詩誌月評1980年4月)

 「この世界の感性の秩序に対してやさしい」とは大多数のひとが共有する感性を想定して書かれているということだろうか。詩の世界を小さく限定し、人びとの心情にストレートに響くように作られた詩である。
 現在はそのように書かれた詩も正当に評価されているし、どういうスタイルであれ、自分の詩を追求する姿勢を持ち続けているのであればよいのではないかと思うが、80年代は実作者ではない現代詩の読者も多くいて、批判や論争が活発に行われていたのだった。

 昨年、菅野覚明さんの『吉本隆明 詩人の叡智』(1914年発行・講談社学術文庫)をおもしろく読んだのだが、実はそのなかにも「感性の秩序」ということばがあった。吉本さんの著作集をひらいてみたところ、「『四季』派の本質」と題する文章のなかで使われていた。昭和のはじめには平穏な抒情詩を書いていた四季派の詩人が、十年代になって戦争詩を発表したことに対する疑問を解き明かした論考である。
 当時、軍国少年だった吉本さんが「感覚的安息所のような役割」と考えていた四季派の変節について「現実社会の秩序が機能的に批判、否定されないところでは詩を構成する感性的な秩序は現実認識の秩序と構成をおなじくする」と書かれている。国民が一丸となって戦争に突入していった時代、戦争の実体について思考することなく、日常生活の感性で書かれた四季派の作品は、詩を書く主体の脆弱さをさらすことになったのだった。

 もちろん戦時中とちがって80年代には急激な社会的変化があったわけではなく、学生紛争の残り火が燻っているという状況だった。そのなかで松下さんの詩のスタイルやテーマは一貫しているから、批判は厳しすぎるように思うが、詩の世界全体が熱い時代だったのだ。

 ここで前述した菅野覚明さんの「芸としての詩」についての文章を紹介したい。

 言語によって構築された美の秩序としての詩が「芸」と認められるためには、一般に共有された感性的な秩序――定型化された現実の受感の仕方――が予め前提とされていなければならない。「芸」は、この共有された定型的な土台を肯定することにおいて成立するのであって、土台そのものを超えたり破壊したりすることはない。

 今や「芸としての詩」をめざす詩人が次々に出現し、そうではない詩人の方が少ないかもしれない。「土台」つまり現実社会を肯定するなかで「芸」は磨かれていく。ときおり自己増殖や同工異曲と思えるような作品を発表しつづける詩人を見かけるが、「芸」の道を選んだからには「芸」を極めなければならないと思う。

 山岸さんは2005年に創刊された詩誌「生き事」に松下さんが発表した「火山」の一部も紹介している。壊れていく妻を描いた連作詩篇である。詩人の菊池千里さんと松下さん夫婦に重ねて読まないわけにはいかない。二人の家を舞台に夫である「私」が語るスタイルになっていて、ちからのこもった秀作であるが、いま読みかえすと個人的に告白を聴いているような不思議な気持ちになる。抑制されたことばで語られる衝撃的なできごと、切実な「私」の心情に心揺さぶられるけれど、やはり「一般に共有された感性的な秩序」を前提とした「芸」の詩というほかないような気がする。

 山岸光人さんの「詩集を読んで70年代を振りかえる・・・」は自身の学生時代の、詩との関わりをていねいに書いた好エッセイで、読者は松下さんの詩集や菊池さんの詩集を読まずにはいられなくなるにちがいない。
 「この世界の感性の秩序」にやさしい詩は、ともすれば一読されて終わりという運命をたどるが、切りとられた世界が濃密な時間を湛え、「芸」を極めた松下さんの詩は読み継がれていくだろう。

 格差社会が進み、価値感が多様化した現在、「この世界の感性の秩序」は見えにくくなっている。詩はどのように書いてもよく、詩の自由は認められなければならないと考える者のわたしは一人であるが、「感性の秩序」の在り方が詩の読み方のポイントに加わることになった。
 吉本さんが記したことばが継承され、50年を経てなお批評のことばとして生きていることに驚きと敬意を感じている。
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