霊峰白山は古代から信仰の山として地元の人達から崇められてきたとされています。その白山の麓に鎮座するのが白山比め神社(しらやまひめじんじゃ)です。加賀の国の一宮です。白山市(ハクサンシ)白山スーパー林道(ハクサンスーパーリンドウ)などからハクサンと発音したいのですが、そこをシラヤマと発音するのは、親しみを込めて「しらやまさん」と地元の人がこの神社を呼んでいたからです。伝説では崇神の年(紀元前)に創建されたとか。場所は災害などで移転を繰り返し今の場所に落ち着き、住所が三宮となっています。白山の山頂には奥宮があり、白山信仰との結びつきは大変強い神社です。アニミズムを色濃く残している気がします。白山神社の総本山のことだけあり、平日の午後訪れたのですが、参拝者は後を絶ちません。ちょうど七五三の時期でしたので可愛い着物姿の子供達もちらほら見かけました。決して広大な境内があるわけではありませんが、数々の巨木が植わっていて、神秘性は十分に感じ取れます。樹齢1000年と推定されるケヤキは迫力があるし、歴史を背負っているかのようなオーラもあります。弊拝殿という拝殿には今年収穫されたお米が奉納されていて、大きな注連縄が目立っていました。灯籠は通常石でできていますが、大きな木製の灯籠がありました。狛犬も立派な大きさです。初めて来てみた印象ですが、独自の雰囲気を感じました。神馬舎には装飾が綺麗な神馬の像が飾られています。伊勢神宮では天皇家の白い馬が飼われていますけど、こちらはフィギュアでございます。当然ながら御神体は白山となります。ですので白山登山道の開発とこの神社は密接な関係を持っています。加賀の歴史は、加賀百万石と言われた戦国から江戸時代にかけてが輝かしく感じるので、僕は浄土真宗=一向一揆というステレオタイプなイメージが浮かびます。ですが、ヤマト王権誕生以前のこの地は「越」という国が存在し、大陸と交易を行い出雲の国と争った経緯があるようです。継体天皇は越前で暮らしたとされていることからも、決して日本の国の黎明から外された土地ではありません。現代では太平洋側が栄えています。アメリカと近いためか、気候や平らな土地の広さなのかわかりませんが。しかし、大陸方面から人が移る場合は、まず日本海側から侵入するのが普通であって、日本の始まりは多分日本海側から開拓されたに違いありません。謎がまた深まってきました。
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なぜだろ?
継体天皇って滋賀の高島で産まれたんだと、最近知りました。
白山神社の勧請については知らないですね。
稲荷と八幡はだいたい分かりますが。