Sightsong

自縄自縛日記

熊本博之『辺野古入門』

2022-05-05 09:39:29 | 沖縄

熊本博之『辺野古入門』(ちくま新書、2022年)。

環境アセスメントのプロセスにどれだけ問題があったかについてもっと触れてほしかったけれど、さすがの良書。選挙運動においてスピーカーにおカネをかけられるのが保守陣営の強さだとする指摘なんて、フィールドワークを行ってきた人ならではである。

本書で実感できることは、基地建設に対する政府の補助金が歪んだ「報奨金」であり続けてきたこと。

それから、基地経済について語るべきは数字だけではないこと。経済的な基地依存度は50年代の3割近くから5%程度にまで下がっているとはよく言われてきたことだ。一方本書で指摘されるのは、住民が寂れた「辺野古社交街」に過去の繁栄を幻視していること。つまり実現しないことがわかっている生活者の夢を利用する政治。

●参照
辺野古


琉球弧の写真、石元泰博

2020-11-17 07:18:18 | 沖縄
琉球弧の写真、石元泰博
 
このふたつの写真展が終わってしまいそうなので、半休を取ったついでに東京都写真美術館に行ってきた(せっかく改称されたのに誰もTOPミュージアムって呼ばないね)。
 
沖縄の写真家が7人。こんな形で都内でまとまって展示されるのは2008年の『沖縄・プリズム』展以来久しぶりかな。今回おもしろかったのは、白黒フィルムの露出やプリントのちがいは、単なる方法論や技術のちがいではなく、写真家の意識のちがいをかなり反映しているように思えたこと。だから同じ写真を何度も観ることには大きな意味がある。
 
山田實は意外にハイコントラストでオリエンタリズムを強調する結果になっていて、ヤマトからの窓口という機能を思い出させる。比嘉康雄の極度な焼き込みは本人が規制側から観察側に転じたことと無縁ではないだろう。平良孝七の露出オーバーのフィルムを焼いたプリントは、炎天下を歩き続けた時間のせめぎあいを感じさせる。比嘉豊光のアレブレボケのあざとさについては、そこに身を置いた者を外から評価するとはどういうことなのかという視線を持たなければ誠実でなくなること(いやまあ、実にあざといんだけど)。伊志嶺隆の落ち着いた目線と柔らかな露出・プリント。平敷兼七の弱さというアイデンティティ。それから、石川真生さん。湿った空気がもろに伝わってくる。まおさんやっぱり最高。
 
階段を降りて石元泰博。『シカゴ、シカゴ』は構成の眼でつらぬかれた作品群で、わかってはいても眼が驚く(たしか、作品を酷評されたあとにモホイ=ナジの本を読んでやってみたら絶賛されるようになった、と本人がカメラ雑誌に書いていた)。その後の東京もすべてその視線によるもので、構成主義的でない街とのたたかいが逆にすさまじい緊張感をもたらしていることがよくわかる。だからノーファインダーで信号待ちする人の背中ばかりを撮った『シブヤ、シブヤ』は晩年の過激な挑戦だったのだな、と、しみじみ。大判カメラを持ち込んでの桂離宮なんて、むかし印刷物で観てなんてつまんないんだろうと思っていたのに、実は本人にとっては藤川球児のど直球を投げられる場だったことも実感。

山田實〈道遠し 宜野座〉

比嘉康雄〈人頭税石 平良市〉

平良孝七〈72・10 黒島〉

伊志嶺隆〈御神崎〉

平敷兼七〈勝連半島の食堂 屋ヶ名〉

比嘉豊光〈天願桟橋〉

石元泰博

●参照
『山田實が見た戦後沖縄』
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明
平良孝七『沖縄カンカラ三線』
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
「日曜美術館」の平敷兼七特集
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
比嘉豊光『赤いゴーヤー』
比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
伊志嶺隆『島の陰、光の海』
石川真生『日の丸を視る目』、『FENCES, OKINAWA』、『港町エレジー』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
コザ暴動プロジェクト in 東京
沖縄・プリズム1872-2008
仲里効『フォトネシア』
仲里効『眼は巡歴する』
須田一政と石元泰博
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』


佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』

2020-06-25 10:39:21 | 沖縄

佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(上下巻)(集英社文庫、2008/11年)。出てからかなりの時間が経ってしまったが、ようやく読んだ。

沖縄ヤクザの戦後史も、それが沖縄空手や実業家たちとかなり密接にかかわっていたことも、ほとんど知られていない。また、沖縄現代史といえば沖縄戦や施政権復帰や基地負担に偏っており、「沖縄財界四天王」(大城組の大城鎌吉、國場組の国場幸太郎、琉球セメントの宮城仁四郎、オリオンビールの具志堅宗精)について「本土」の者が言及することが少ないのもその通りである。知らないことが多く勉強になった。

「大文字」ではなく「小文字」で語る歴史を重視することは良い。また「清濁併せ吞む」ように立場の異なる者との関係を深めていった者たちに「人間らしさ」を見出すのも良い。だが、その結果、なんであれ談合的な政治を行ってきた者たちばかりを評価していることはダメだろう。辺野古についていま読んでみると、著者の見立てが実に甘かったことがよくわかる。

●佐野眞一
佐野眞一『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』(2013年)


『けーし風』読者の集い(38) 法と沖縄

2019-08-04 09:34:22 | 沖縄

『けーし風』第103号(2019.7、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2019/8/3、池袋の会議室)。参加者は5人。

話題は以下のようなもの。

●辺野古の埋立に対する裁判。沖縄防衛局が私人になりすまし、それに応じて国交大臣が沖縄県の埋立承認撤回を違法とする採決があった。これに対して、沖縄県は、沖縄防衛局が私人ではないとして、関与取消訴訟を提起(高裁)。また、県、住民側それぞれから、その採決自体を取り消す訴訟を提起(地裁)。いずれも国が敗訴すれば埋立を進めることはできない。
●デニー知事は県の各部局に対し、裁判の判決が出るまで判断も手続きも行わないよう指示。一方の国は埋立を中止していない現状がある。
●ただし、埋立自体は実質的に進んではいない(軟弱地盤の問題)。工期も予算もわからない工事。
●埋立を行う土砂については、いまだ、外来種対策がなされていない。それに加え、海砂を入れる方針となった(瀬戸内や熊本は条例で不可能、となると玄界灘や沖縄か)。鉱滓を入れる可能性もある。こんなことをろくな環境影響評価もなく強行しようとしている。
●埋立用土砂の岩ズリについては、沖縄防衛局が入札を行い、琉球セメント1社のみが応札・落札した。通常の単価よりかなり高く、1社入札になったことの不透明が指摘された(>>リンク)。しかし、「本土」で報道したメディアはほとんどなかった。これが判明したのも、 沖縄平和市民連絡会・北上田毅さんの情報公開請求など地道な取り組みがあったからである。
●新城郁夫氏は、先の県民投票について、力を持つのは少数者の妨害であるという理由で違和感があったと書いている。しかし両者は別の話であり論旨がおかしいのではないか。
●米軍が行うことについては、日本の司法では、米軍という第三者に法的な規制をする判決ができないとしている(「第三者行為論」)。しかしそうだとすると、基地が作られてしまうと、騒音や安全上の問題などについて住民が米軍や国に提訴しても却下されることになってしまう。この点からも、日本の司法は独立していない。
●普天間の跡地利用について、伊波洋一市長時代の宜野湾市において委員会も設置し、素案を作っている。というのは、読谷村の「象のオリ」も、多数の地主がいてどうにもならず、返還されても有効利用されていない事例がある。それを踏まえ、個々の地主の調整も考慮しているはずである。
●その一方で、吉本興業がここに一枚噛んでいるとの報道があった。国際通りの三越跡でも若手芸人の発表の場を作るなどしており、沖縄にかなり入り込んでいるとのこと。さてどうなるか。

映画・本など
藤井道人『新聞記者』
吉浜忍、林博史、吉川由紀『沖縄戦を知る事典』(吉川弘文館)
森口豁『紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人・池宮城秀意の反骨』(彩流社)
井上清『元号制批判』(明石書店)※入手困難

参照
『けーし風』 


『けーし風』読者の集い(37) ハラスメントに社会はどう取り組むか

2019-05-12 00:10:19 | 沖縄

『けーし風』第102号(2019.4、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2019/5/11、高田馬場の貸部屋)。参加者は5人。

話題は以下のようなもの。

●奄美での土砂シンポジウム(辺野古土砂全協、2019/5/25、26)。もちろん辺野古埋立に使われる土砂の採石について。
新崎盛暉さんの業績を振り返り引き継ぐ会2019/3/16)。「本土」では新崎氏の思想が十分に引き継がれていないのではないか。会でも思い出話が多かった。それを中心にされては困る。
●辺野古の軟弱地盤の問題。北上田毅氏(土木技師)による検証がすばらしい。このような活動がなければもっと埋立が強行されていただろう。それにしても、仮に技術的問題がクリアできたとして、二兆円以上をかけて建設するのか。また、関空や羽田のように地盤沈下し続ける基地のメンテ費をどうするのか。
●ジュゴン。生育したあとはさほど広くは回遊しないだろう。一方、防衛省は、基地建設があっても別の場所に行けばいいのだろうと決めつけている。
●運動にハラスメントは付いてまわる。大きな運動においては小さな運動の細かなことをひとつひとつ取り上げてはいられない。一方、このような運動は小さな運動こそが重視されるものであり、上意下達の組織とは異なる。従って常にフリクションがある。
●基地からの解放と、人間性や身体性との関係。
●反戦・反基地という共通項で「本土」側が沖縄との連帯を求めることが多い。しかしこの際には、沖縄の歴史的・社会的な位置づけを十分に理解せず、ただ普遍的な問題としてとらえるのみでは、深い連帯など不可能。

参照
『けーし風』 


塩田潮『内閣総理大臣の沖縄問題』

2019-03-12 00:11:09 | 沖縄

塩田潮『内閣総理大臣の沖縄問題』(平凡社新書、2019年)を読む。

なるほど政治ものに長けた人だけに、手際よくまとめてある。SACO合意での普天間・辺野古パッケージが沖縄の頭越しに決められたことも、確かにおさえてある。小泉以降、日本政府が沖縄の意向を考慮しなくなったことも書かれている。

しかし軽いのだ。まるで決められる政治と地方に配慮する政治との二項対立のようにも読めてしまう。こんなものではダメだと思う。 

●参照
辺野古


『けーし風』読者の集い(36) 沖縄のタネと農の行方

2019-02-16 20:52:12 | 沖縄

『けーし風』第101号(2019.1、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2019/2/9、秋葉原/御茶ノ水レンタルスペース会議室)。参加者は7人。

話題は以下のようなもの。

●種子法の廃止。農家は自前のものを使えず、毎年企業からタネを買わなければならない。それが大問題だとして、しかし一方では、自前のタネを準備することの大変さがある(時間、土地)。
●対象の「種子」には畜産まで含まれる。本誌にはさらりとしか書かれていないが(p.41)、本当ならば大問題。
●沖縄の在来種。ヤギ、鶏チャーン、今帰仁の健堅ゴーヤー、アグー(あぐーとは異なる)、ナーベーラー、オクラ、島大根(海辺の砂地で育つもので10kgくらいあるとか)、島バナナ。
●サトウキビ等のモノカルチャーの問題。琉球王国時代に遡る日本からの強制という歴史があり、これまで米国によるものだという雑な言説。
●日本は欧米でダメだしがされたものを無理に導入することが多い。遺伝子組み換え作物、原発、水道民営化。
●岸信介は周知のようにCIAのエージェントだったが、意外にも、アイゼンハワー大統領に対し、復帰に際し沖縄の基地を撤去してほしいと要請した史実がある。しかし拒否された。
●嘉手納弾薬庫からジョンストン島への毒ガス輸送(レッドハット作戦、1971年)(>> 
森口豁『毒ガスは去ったが』)。このとき枯葉剤も同時に運ばれていたのだが、最近のジョン・ミッチェルの取材により、米軍は枯葉剤を沖縄近海に投棄した可能性がある。
●沖縄での事故や犯罪はひんぱんに隠蔽される(選挙への影響回避等のため)。読谷村で米兵が住居侵入し、女子高生が妹を抱え窓から逃げた事件(2018/9/7)も、知事選への影響を懸念してか、当初は隠されていた。
●米軍は津堅島でパラシュート降下訓練を実施した(2018/11/20)。本来は伊江島に限られるはずの訓練であり、日米合意がはなから守られていない。
●糸数慶子引退。一方で社大党は参院選に向けて高良鉄美(琉大)に一本化。もとより党内での軋轢があったのでは。また「オール沖縄」が瓦解しつつあるのでは。
●衆院補選(2019/4/21)への屋良朝博の集票は、今後に向けた試金石になるだろう。しかしバックについている鳩山由紀夫が沖縄でのイメージを非常に悪くしており(外務官僚に騙されたと毎回言うのも自己防衛のようだ、と)、また、鳩山一郎による沖縄の捨て石発言も、高齢者の記憶に残っている。
●辺野古の県民投票。結局、三択になってしまった。「どちらでもない」に票が集まり、それが「声なき声」のように都合よく利用されることが懸念される。自民党の戦略は諦めムードの醸成であり、若い人は事実シニカルになっている傾向がある。
●辺野古の弱い地盤の問題。政府は杭を8万本打つと言うが、神戸空港は120万本。関空も同程度。また環境アセス法にも抵触(桜井国俊氏もそのように発言している)。
●マティス国防長官が辞任したが(2019/1/1)、次の候補のひとりは辺野古について「やめたほうがいい」と発言している模様。建設を急ぐのにはこの背景もあるのでは。
●辺野古埋立の土砂から放射性物質が検知されたとの報道。県は採石業者の立ち入り検査を要請しているが、土砂条例ではそれは命令ではない。福島から来たものである可能性はないのか。

参照
『けーし風』 


『世界』の「辺野古新基地はつくれない」特集

2018-03-01 23:09:31 | 沖縄

『世界』(岩波書店)の2018年3月号が、「辺野古新基地はつくれない」と題した特集を組んでいる。

北上田毅「辺野古新基地建設はいずれ頓挫する」は読むべき論考である。なにもイデオロギーや想いによってそう主張しているのではない。活断層の疑い、琉球石灰岩の軟弱な地盤により、現実的に建設することが難しいと書いているのである。実際に、埋立前の護岸工の進捗状況じゃ、総延長の6%の下部工が造成された段階に過ぎないという。しかもこれからさらに工事が難しくなるわけであり、実質的にはほとんど進んでいないに等しい。

ただ、それでも環境影響は無視できない。石材の輸送時におけるジュゴンの棲息域への影響もあるし、石材の投下時にろくに洗浄しておらず(真っ当に洗浄すると工事がなおさら進まない)、そのため、投下に伴い海が白濁することが観察されている。

地盤などの現実的な問題の他に、やはり住民の反対運動の効果はとても大きいことがわかる。山城博治「私たちの勝利は揺るがない」は、そのあたりの事情を踏まえての呼びかけでもあるだろう。

また、野中大樹「新基地建設と人々 名護市長選に蠢く”基地マフィア"」も興味深いルポである。「基地マフィア」というと大げさに聞えるが、実際のところ、沖縄の政治力学がいかに東京のそれと異なっているかに踏み込んでもいる。来月の続編も早く読みたい。

●参照
辺野古


『けーし風』読者の集い(34) 正念場を迎えるために

2018-02-18 20:00:14 | 沖縄

『けーし風』第97号(2018.1、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2018/2/10、秋葉原/御茶ノ水レンタルスペース会議室)。参加者は6人。

以下のような話題。

●村岡敬明さん(明治大学研究・知財戦略機構研究推進員)(参加者)による、読谷村の戦後写真のデジタルアーカイブ化運動。10月公開に向けて資金をクラウドファンディングで集めている。>> リンク
●APALA(アジア太平洋系米国人労働者連盟)のアメリカにおける大会(2017/8)。ここにオール沖縄など34名が参加し、沖縄の米軍基地拡張への反対、APALAの所属組合への働きかけ、米国議会への働きかけが採択された。ロビー活動など具体的なアクションはこれから。
●上原成信さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が2017年10月に亡くなったこと。何年か前まで、いつもこの読者会に来ておられた。私も報道でご逝去を知った。ご冥福を。>> 上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』
●山城博治さんの那覇地方裁における判決は2018/3/14。本誌には、一方的で強引な裁判であることが書かれている。
●産経新聞と八重山日報のフェイクニュース。この2紙は一応の謝罪文を掲載したが、東京MXテレビは両論併記の検証番組を放送しただけで、社として謝罪はしていない。
●名護市長選。残念ながら稲嶺市長が敗れた。当選した渡具知氏が基地推進を謳っていたわけではない。稲嶺優勢が伝えられていたにも関わらず、組織的な期日前投票と公明票によって結果が変わった。稲嶺市長は政府予算に頼らない財政健全化を行ったにもかかわらず、そのせいでオカネが入ってこないとする間違ったネガティブキャンペーンが行われた(それとは関係ないのに、名護のシャッター通りの映像が利用されたりもした)。舛添前都知事も、市民が経済を選んだと誤ったツイッターを発した。
●辺野古を争点のひとつにした選挙はこれで6回目。なぜこうも迫られなければならないか。
●名護市民の反応として、どうせ基地ができてしまうのなら取るものを取ろうという、どこでも見られる現実立脚主義があるのではないか。
●オール沖縄の行き詰まりはどうか。次回の県知事選で翁長知事はあやういのではないか。稲嶺市長が出馬する可能性はないか。
●名護市許田の宿が安い(2000円くらい)。
●ピーター・ガルビン氏(生物多様性センター)が、動物愛護は個人のもの、軍事はそうでないもの、それゆえ辺野古のジュゴン問題が難しいといった旨の発言をしていることへの違和感。環境NGOは政治との関わりを持っているものである。
●読谷村の若者がチビチリガマを荒らした事件。1回目は知花昌吉氏が日の丸に火を付けたあと、2回目が5年ほど前にあって、今回は3回目とのこと。沖縄の平和教育の退行ゆえではないかとの危機感があるようだ。金城実氏らが関わって更生プログラムを実現したことは沖縄ならではか。
●辺野古での大型特殊船ポセイドンによるボウリング調査は、活断層の存在が疑われるあたりを中心に行われている可能性。ここが活断層でないとの閣議決定は、防衛省がそれを示す公式資料がないとしたことによるものだが、実は、少なくとも4冊はあった。これで活断層なら詰み、あるいは、深部まで杭を打つことによってコストがかなり高いものとなる。それを誰が負担するのか。
●SACO合意における普天間返還の条件として、代替施設を県内に1箇所、県外に12箇所設置することが含まれている。稲田元防衛相が返還できない可能性を言ってしまったのは、仮に辺野古ができたとしてもアメリカが普天間を返還しない可能性についてであった。これを背景として、日本全国の民間空港でジェットが離発着できる軍民共用化が進んでいるのではないか。それは植民地そのものではないか。
●ふたたび出てきた徴兵制の話。あるいは経済的徴兵制。

情報
●「東京⇆沖縄池袋モンパルナスとニシムイ美術村」板橋区立美術館、2018/2/24-4/15 >> リンク
●真鍋和子さん(児童文学作家)による講演「沖縄と子どもの貧困を考える」2018/3/27、ブックハウスカフェ >> リンク (※真鍋さんも以前にこの読者会によくいらしていた)
●澤地久枝さん講演「満州の引き揚げ体験を語り継ぐ」2018/3/17、wam/女たちの戦争と平和資料館
●郷原信郎さん講演「美濃加茂市長事件は終わったのか」(アジア記者クラブ)2018/2/28、明治大学研究棟4階・第1会議室
●安孫子亘『「知事抹殺」の真実』2018/3/3、浦安市民プラザWave101中ホール
●「世界」2018年3月号・特集「辺野古新基地はつくれない」(岩波書店)
●「越境広場」4号・特集「目取真俊」
●佐古忠彦『「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯』(講談社)
●明田川融『日米地位協定』(みすず書房)
●古関彰一、豊下楢彦『沖縄・憲法なき戦後』(みすず書房)
●鳩山友紀夫、大田昌秀、松島泰勝、木村朗『沖縄謀反』(かもがわ出版)
新城郁夫・鹿野政直『対談 沖縄を生きるということ』(岩波書店)
崎山多美『クジャ幻視行』(花書院)

●参照
『けーし風』 


唖蝉坊と沖縄@韓国YMCA

2017-09-23 22:41:11 | 沖縄

韓国YMCAにて、「唖蝉坊と沖縄」(2017/9/23)。ちょうど編集者のMさんも来ていて、隣に座った。

鎌田慧・土取利行『軟骨的抵抗者 演歌の祖・添田啞蝉坊を語る』が出版されたことを記念してのイヴェントである。添田啞蝉坊(1872-1944)は明治大正の演歌師。政治や社会を風刺した歌やユーモラスな歌を唄った。今回は土取さんが演奏のため不都合で、大工哲弘さんが参加。

鎌田慧さんは、啞蝉坊の息子・添田智道(さつき)が書いた『演歌の明治大正史』(岩波新書)を引用しながら、運動と歌について語った。日本では長いこと、運動のなかで皆で唄う歌が出てこなかった(たとえば三池闘争での労働歌などはあったが)。どちらかと言えば嫌がる向きが多かった。それは君が代を強制されたことと関係している。君が代は唄わされるものであって、自主的に風呂や酒場で唄うものではない。それで、運動を歌でつなげる経験が途切れているのだ、と。

その一方、辺野古や高江では歌が生まれているのだという。山城博治さんは演説のうちにそれが歌になっていく、まるでミュージカルだ、と表現した。

大工哲弘さんは、沖縄の小那覇舞天のことを挙げた。照屋林助の師匠筋にあたるコメディアンである。かれのあり方が、添田啞蝉坊・智道に重なってみえるのだと。鎌田さんはさらに、石油備蓄基地闘争、石垣闘争、伊江島闘争でも歌が唄われたと付け加えた。

大工哲弘 (三線、うた)
向島ゆり子 (vln)

休憩を挟んで、それまでほとんど聞き役に回っていた大工哲弘さんの出番になった。

まずは、啞蝉坊の「わからない節」、「ラッパ節」。現代の歌でなければならないから、大工さんはいまの政治批判も込めてアレンジした。次に、沖縄の廃藩置県により県道の工事が行われた際に出来た「県道節」、終戦後の「アメリカ節」。のむき川人(土取利行)による「辺野古数え唄」。

ここで向島ゆり子さんが入り、添田さつきの「復興節」、そして有名な「ノンキ節」。

抵抗と連帯のための歌という考えは、かつての「うたごえ運動」などとは違う意味で面白いなと思った。しかし大工さんは準備不足だったのか、啞蝉坊の歌を十分に熟成させていない感が否めなかった。

●大工哲弘
大工哲弘@みやら製麺(2017年)
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』(1997年)
大工哲弘『八重山民謡集』(1970年代?)

●鎌田慧
鎌田慧『怒りのいまを刻む』
(2013年)
6.15沖縄意見広告運動報告集会(2012年)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(2010年)
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』(2010年)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)(2009年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
沖縄「集団自決」問題(8) 鎌田慧のレポート、『世界』、東京での大会(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』(1991年)
ええじゃないかドブロク


『けーし風』読者の集い(33) 新基地建設阻止の展望―結んで拓く

2017-07-30 20:46:28 | 沖縄

『けーし風』第95号(2017.7、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2017/7/29、富士見区民館)。参加者は6人。

特集は「新基地建設阻止の展望―結んで拓く」。

辺野古の埋立に関しては、対談における高里鈴代氏の発言がある。ダンプが1日100台規模であり、止める市民の数として200人前後が必要だが足りないのだという現状。

それ以上に気になることは、埋立の技術的な問題である。対談で、山城博治氏が指摘している。大浦湾は岩礁であるとはいえサンゴ礁であり、埋立ても崩れやすい。大型特殊船ポセイドン1号が1か月も大浦湾に滞留したのは海底地盤の調査のためであった。吉川秀樹氏も続ける。1966年のアメリカの調査でもそれは明らかになっており、設計変更が必要な可能性があるが、それを認めるのは知事権限である、と。

なお、今月行われた沖縄戦首都圏の会10周年記念講演「沖縄差別―ハンセン病と基地問題―」においても、技術者の方が、高江のヘリパッド工事だけでなく辺野古にも問題がある可能性を示唆していた。

ここに来て、アメリカがまた辺野古の滑走路は1,800mでは足りず3,000mが必要だと言ってきているとか、条件が満たされなければ普天間は返還されないと稲田前防衛大臣が発言したりだとか、アメリカの意向に変化があるのではないかとの出席者の指摘。その一方で那覇空港の第二滑走路建設。

オスプレイに関しては、高江のヘリパッドに技術的な問題が指摘されてはいるが運用開始され(2017/7/11)、また、海兵隊ではなく空軍の嘉手納基地でも離発着している奇妙な話もあるとのこと。さらに自衛隊も含めて「集団的自衛権の先取り」との見方。

さて、APALAというアメリカの労働者団体の大会(2017/8/16-20、アナハイム)において、オール沖縄が「米軍基地問題分科会」として、また東京からも「国際連帯分科会」として、現在の沖縄の動きについて報告がなされるそうである。アメリカの議員や有識者も出席するとのこと、どのような成果が出てくるのか注目。なお、その報告は2017/11/24に明治大学で行われる予定とのこと。

情報
「日本ペンクラブ平和委員会シンポジウム「戦争と文学・沖縄」」(浅田次郎・大城貞俊・川村湊、2017/7/22開催)。沖縄文学の世界性について言及されたとのこと。
◎久米島守備隊住民虐殺事件(1945年)について。『久米島の戦争』(なんよう文庫、2010年)、佐木隆三『沖縄住民虐殺』(新人物往来社、1976年/徳間文庫、1982年)
大田昌秀『沖縄鉄血勤皇隊』(高文研、2017年)、最後の著作。
新城郁夫・鹿野政直『対談 沖縄を生きるということ』(岩波書店、2017年)
宮川徹志『僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫』(岩波書店、2017年)
「八重山びーちゃー通信」第7号(みやら製麺、2017/7/28)。「TERURIN RECORDS」が発足し、第1弾はなんと登川誠仁のラストライヴだとのこと(2017/11/13発売)。
佐古忠彦『米軍が最も恐れた男  その名はカメジロー』(2017年8月~)
越川道夫『海辺の生と死』(2017年7月~)
◎東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会 シンポジウム「東アジア地域の平和・共生を沖縄から問う!」(2017/9/9、琉球大学)

●参照
『けーし風』 


『けーし風』読者の集い(32) 弾圧をこえて、さらに先へ

2017-04-30 10:46:59 | 沖縄

『けーし風』第94号(2017.4、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2017/4/29、千代田区和泉橋区民館)。参加者は7人。

不精なわたしは未だに定期購読にしておらず、数日前にBooks Mangrooveに注文したが到着しないまま参加(帰宅したら届いていた)。

以下のような話題。

●共謀罪のあやうさ。謀議であっても捜査しないとそれとわからないわけである。
●対米恐怖と親米的態度は表裏一体(新崎盛暉)。
●運動において極論を言う者、極端な行動を取る者、カッコいいことをやろうとする者はいるものだが、仮にそれが処罰の対象になってしまうと、全体が委縮する。沖縄や国会前でもそのような指導がなされている。
●沖縄では「現場をつくりだす努力」がなされてきた。それにより、歴史や、たたかいの意味が広く共有された。一方、2015年安保では多くの個人としての市民が国会前に集まった。これらをどうつなげてゆくか。
●運動における個の限界を言う者は少なくない。かれらは組織の中で密室的にことを決定したがり、組織的動員に頼る。しかし、そのような既成の運動は広がりをもたない。
●自らの取り組む運動以外のことを知らない者が少なくない。それでは議論を深めることができない。
●共謀罪に抗してたたかう結果として沖縄問題の解決があるのではない。沖縄問題においてたたかうことによって、法を法たらしめることができる。(一般から具体へではなく、具体において一般を強化)
●砂川事件(1957年)の高裁における再審決定はありうるのではないか。(2016年、東京地裁で再審棄却、現在抗告中) 
●沖縄における「プロ市民」との誤解、それを招いてしまった行動。
●沖縄の米軍基地の県外移設論。2009年衆議院総選挙(民主党が大勝)により沖縄の保守が分裂し、主にその後に出てきた言説である。それは一様ではなく、安保を前提とするもの(高橋哲哉)、安保を日本の問題として問わないもの(知念ウシ)など異なっている。現実論としての捉え方にもゆらぎがある。たとえば、「ご高説」だとの批判がある。目取真俊は高橋哲哉に対し、いつ引き取るのか、辺野古新基地が出来てしまうではないかと迫った(「AERA」、2016年)。
●基地問題はもとより安保に踏み込まなければならないものではないか。沖縄から基地を「引き取る」ことがなくても、既に日本の米軍基地拡充、自衛隊との一体化は進んでいる。すなわちゼロサムではない。
●海兵隊のグアム移転協定(2009年)。対象が9千人だったはずが、知らない間に4千人に変わっていた。これはすなわち、グアム移転の可能性が低下したことと、これが米軍のアジア戦略全体の中に位置付けられることを意味する。
●ウィキリークスにおいて、米軍は沖縄に3本の滑走路が必要だとしているとの内容が露見した(辺野古、嘉手納、那覇)。すなわち、95年以来の「普天間移設」とのストーリーはそれには整合しない。
●オフショア・バランシングの場として沖縄と日本が位置付けられている。もはや米軍の戦略は固定基地に依存していない。
●「非暴力」のとらえなおしが必要。
●高江では現在、鳥類の営巣期間のため、工事がなされていない。曲がりなりにも日本の統治のもとであるからそこが担保されている。しかし、これが米軍の使用下にあって顧みられなくなるのではないか。 

以下、情報提供。

●島尾敏雄『琉球文学論』(幻戯書房)
●嵯峨仁朗・柏艪舎編『死刑囚 永山則夫の花嫁ー「奇跡」を生んだ461通の往復書簡』
●『ぬじゅん』
●映画『海辺の生と死』(原作・島尾ミホ、2017/7公開) 
●高良倉吉『沖縄問題―リアリズムの観点から』(中公新書)
●新崎盛暉『私の沖縄現代史』(岩浪現代文庫)
仲宗根勇・仲里効編『沖縄思想のラディックス』(未來社)
●映画『カクテル・パーティー』(原作・大城立裕、2017/6/23に国際文化会館で上映) 
北島角子さんご逝去。
●『沖縄列島』、『やさしいにっぽん人』、『ウンタマギルー』、『夏の妹』上映(早稲田松竹、2017/5/13-19) 
●安田浩一「沖縄の右派と『プロ市民』」(『一冊の本』2017年4月、朝日新聞出版

●参照
『けーし風』 


紅型×写真二人展 金城宏次・豊里友行@ギャラリープルミエ

2016-10-18 23:15:37 | 沖縄

北谷のギャラリープルミエで、「紅型×写真二人展 金城宏次・豊里友行」を観る。

夏のような暑さで、国道58号線のバス停を降りてすぐかと思い、嘉手納基地のフェンス沿いに歩いていったのだが実は結構遠くて(笑)、着いた時には顔が真っ赤になっていた。

豊里友行さんの写真は、『オキナワンブルー』に収録されているものが展示されている。もちろん辺野古も普天間も高江もある。また沖縄戦の発掘された遺品もある。いわゆる「集団自決」の生き証人の方々の写真もある。どのような形であろうと大変な重みを持っており、視るたびに息を一瞬止めざるを得ない。それはたとえば辺野古での阻止行動に身をもって参加し記録した、豊里さんゆえの作品に違いない。

金城さんの紅型は、皆で感嘆しながら笑ってしまうほど技巧を凝らしたものだった。豊里さんの写真をもとにした紅型もあった。淡い色と強い日射の影とが、またフェンスそのものとそれが米軍の看板に射した影とが混ざっており、訊いてみると、型紙を2種類使ったのだという。また、何枚もコラージュのように組み合わせた大きな作品もあった。

金城さんは、照屋勇賢さんが作品に紅型を使う際に制作を担当している。この驚くほどのモダンさと技巧、納得である。(ところで、2007年に大浦湾を見渡せるジュゴンの見える丘に同行したときに、照屋さんも豊里さんもいたのだが、豊里さんはそのことを覚えていなかった。)

ようやく汗が引いて、お茶をいただきながら、豊里さんと、沖縄における写真活動を巡る議論、写真と政治との関連、写真集を出すということ、今回の比嘉良治さんの作品『砂浜にのこり、歌にきざまれた人びとの夢・沖縄』、今後の作品などについて四方山話。

会場には写真家の岡本尚文さんがいらしていて、写真集『沖縄02 アメリカの夜 A NIGHT IN AMERICA』を見せていただいた(最近恵比寿のギャラリーで個展が開かれていて、残念ながら行けなかったものだ)。夜の沖縄がクリアに写し込まれていて、確かにそれはご本人曰くの「異界」なのだった。(タイトルはトリュフォーの映画ではなく、浅川マキのアルバムから取ったのだという。)

また、帰ろうとすると、ちょうど平敷兼七さんの娘さん(平敷兼七ギャラリーでお会いしたばかり)が展示を観にきたところだった。なるほど、このような交流があるのだとすると、ヤマトでみる沖縄写真とはまったく理解も実感も違うのだろうなと羨ましく感じた。

●参照
豊里友行『オキナワンブルー』(2015年)
『越境広場』1号(2015年)(豊里友行氏と石川竜一氏との対談)
『LP』の豊里友行特集(2012年)
豊里友行『沖縄1999-2010 改訂増版』(2010年)
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明(2010年)
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』(2010年)


三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話』

2016-09-30 13:29:24 | 沖縄

三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話 在京メディアが伝えない沖縄問題の深層』(かもがわ出版、2016年)を読む。

QABのアナウンサーなどを経て『標的の村』を撮った三上智恵さんと、琉球新報で基地問題に切り込み『ひずみの構造―基地と沖縄経済』の連載を手掛けた島洋子さんとの対談。タイトルはなんだかよくわからないが、ふたりが話す内容はさすがである。

沖縄は基地経済で成り立っているという神話がもはや崩壊していること。基地関連収入は沖縄における収入の5%に過ぎず、その7割ほどは日本の「思いやり予算」から出された軍用地料と従業員収入であり、北谷、新都心、小禄などで返還後のほうがはるかに経済的な効果がある。

辺野古の埋め立てと代執行に対する政府と沖縄県との和解について(2016年3月)。これが政府の選挙対策であったことは言うまでもないが、さらに言えば、福岡高裁が政府にヒントを与えたのだとする解釈には納得させられる。つまり、いくら何でも地方自治を破壊する代執行については、司法はお墨付きを与えられない。それよりも勝てる方法はこうなのだ、と示唆したという見方である。

1996年のSACO合意に基づく普天間の返還。あくまで当時は負担を強いている沖縄への返還であり、移設などではなかった。また危険性の除去がもっともらしい理由とされてもいなかった。これがパッケージであることを批判的に報道したメディアはなかった。従って、長い滑走路が2本あり、強襲揚陸艦が停泊でき、弾薬庫もあるような基地は「辺野古新基地」と呼ぶべきであり、「普天間移設」と呼ぶことはおかしい(その意味で、「本土」メディアでも東京新聞は正しく「辺野古新基地」と書いているように思う)。

など、など。丹念に沖縄の動向をウォッチしていれば当たり前の見方なのだが、それらの判断材料ができるにあたっても、このふたりの貢献はきっと大きかったに違いない。

●参照
島洋子『女性記者が見る基地・沖縄』(2016年)
島洋子さん・宮城栄作さん講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」(2014年)
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』(2012年)
三上智恵『標的の村』映画版(2013年)
『標的の村 ~国に訴えられた東村・高江の住民たち~』(2012年)


『けーし風』読者の集い(31) 「生きる技法」としての文化/想像力

2016-07-24 08:33:24 | 沖縄

『けーし風』第91号(2016.7、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2016/7/24、神田公園区民館)。参加者は8人。

主に以下のような話題。

●参院選の沖縄選挙区で伊波洋一氏が自公推薦の現職・島尻安伊子氏を大差(35.6万、対、25.0万=10万票以上の差)で破った翌日から、その「民意」とは正反対の高江の工事があからさまに強行された。
●これは、2014年沖縄県知事選における翁長(36.1万)、対、仲井眞(26.1万)の票差よりも大きかった。沖縄の「民意」が容易に変わることはない。日本との溝がさらに目立ってきた。
●高江の状況が済州島四・三事件と重なってみえる。かつて捨て石とされたマージナルな島で、過剰にアメリカの意を汲んだ暴力装置が発動され、そのことが不可視にされようとしているという点で。
●高江がこのような強権政治のターゲットとなり、一方、辺野古はどうなのか。やはり参院選後に、政府は沖縄県を相手取り、辺野古の違法確認訴訟を起こした(2016/7/22)。本誌には、北上田毅氏により、防衛局は辺野古の埋立工事に入ることができないとする理由が挙げられているのだが。
●日本の「基地引き取り論」。先日の「AERA」の沖縄特集でも、対談において、論を手動する高橋哲哉氏に対して、目取真俊氏は現実性のない話だとした。
大城立裕『カクテル・パーティ』が映画化された。アメリカの困窮から海兵隊に入ったはずの黒人兵が、沖縄においては、沖縄人を差別する。この「権力の中二階」。高江においてはどうなのか。
●保守与党の支持者には、自分では「差別意識」を持っていないと考えている市民が少なくない。それは事実認識と歴史認識が決定的に足りていないからだろうが、さて、それをどのように解決すればよいか。教育現場さえ上から決められたこと以外を話せない状況で。
●大きな経済にのみ呑みこまれることのない、コミュニティ単位・地域単位の経済とは。それをナショナリズムに利用されないようにするには。
●参院選では、市民が直接痛い目にあった地域(沖縄、福島)では既存の政治に否を出した。では、痛い目をみないと解らないのか。
SNS(特にFaceBook)における雰囲気は世論ではない。そのひとつが三宅洋平現象ではないのか。
●現場を通じて沖縄から日本へ広まっていった役割はとても大きかった。従来の「戦争は嫌」という漠とした一般論から、より個人の論へと移行しなければ力を持たない。本誌巻頭言では、若林千代氏が先日の沖縄での被害者が「私だったかもしれない」とのことばを書いた。屋嘉比収氏は、「<自分だったらどうするか>を繰り返さなければならないと説いた(『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』において説いている「分有」とも関連か)。仲宗根政善氏は、戦地に置き去りにした教え子と生きて再会し、ひめゆり学徒たちの体験記(仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』)をまとめることを決意した。石牟礼道子氏は、水俣病で死にゆく人の姿に接し、そのことが『苦海浄土 わが水俣病』などを書かせる力となった。
●本誌に登場する山城知佳子氏の「アーサ女」(「沖縄・プリズム1872-2008」)は、身体のアートによって生政治にもコミットするものだった。その後の映像作品「肉屋の女」は、嘉手納の黙認耕作地において撮られた作品であり、これもまた同様に沖縄でなければ出来ない作品だった。
シンポジウム「コザ暴動プロジェクト in 東京において、倉石信乃氏は、「本土」を媒介せず沖縄から自律的につくられたアートとして、山城知佳子氏に加え、石川竜一(>> 木村伊兵衛賞受賞)、ミヤギフトシ(「六本木クロッシング2016展」に出展中)、根間智子の各氏の名前を挙げた。こういったアートの力は社会にどうコミットし変えていくか。
●いま、アイヌ新法制定の検討を前にしている。1984年の北海道ウタリ教会(現・北海道アイヌ協会)でのアイヌ新法要望決議はどうだったか。民族特別決議の要望は、議席数が多すぎるとして自ら取り下げることになった。また自立化基金も縮小された。

●紹介された本・映画・集会・食べ物
●洪ユン伸『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』(インパクト出版会)
●陣野俊史『テロルの伝説』(河出書房新社)
●進藤榮一、木村朗編『沖縄自立と東アジア共同体』(花伝社)
●「あけもどろ」2014・15年合併号 特集「歴史を拓くはじめの家うちなぁ20周年特別号」
●第1回与那国映画まつり in 東京 『与那国カウボーイズ』『はての島のまつりごと』 2016/8/13 14:30/17:40 北とぴあ
●辺野古新基地建設断念を求める全国交流集会 2016/7/31 10:00-18:00 連合会館、全電通会館ホール
●「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会ニュース 
●「平輪ちんすこう」(若竹福祉会)。ラードが使われておらず、また黒糖の味が際立っていてとても旨い。普天間飛行場を、いっそのこと、食べてなくしてしまえ!という願いがこめられている。

●参照
『けーし風』