Sightsong

自縄自縛日記

汪暉『世界史の中の東アジア』

2015-12-27 01:00:14 | 中国・台湾

テヘランに居る間に、汪暉『世界史の中の東アジア 台湾・朝鮮・日本』(青土社、2015年)を読んだ。(何しろ酒を飲まず、ネットも規制されていてあまりつながらず、ホテルが市街から離れていて渋滞がひどいとなれば、読書くらいしかすることがないのだ。)

本書は、『世界史のなかの中国』(2011年)の続編的な本である。前作では、ファジーに周辺を支配する中国の<天下>概念を用いて、中国による琉球やチベットの支配をずいぶんと肯定的に説いていて、驚かされたものだった。

そして本書で依拠するものは、毛沢東理論など、中国という国家を形成した精神のようなものである。しかしそれは、無批判なプロパガンダではない。むしろ、国家のあるべきかたちを不断に問い直してきたはずの理論、精神、政党が、国家そのものと化してしまったことに対する根本的な批判である。

政党の国家化という<脱政治化>、あるいは政治の劣化を認めたとして、次に来るべき<ポスト政党政治>とは何か。つまり政治を取り戻すためには何が注目されるべきか。ここで著者は、かつての社会主義のように階級を敢えてつくりだすことを<ポスト政党政治>だとはしない。そうではなく、政治の中において自主性を取り戻すこと、内部の関係を改造し続けることを説く。すなわちターゲットとなるべきものは資本主義の矛盾なのであって、キーワードとしては、環境、発展モデル、民族、文化的多様性などが挙げられている。大きな括りではあるが、確かに真っ当な視線である。

本書には、朝鮮戦争(1950年~)を中国史の中に位置づけ、国とアメリカとの代理戦争という観点でみた場合の論考や、台湾の「ひまわり運動」(2014年)を見る場合に、中国というアイデンティティ、新冷戦や新自由主義への加担などを可視化しなければならないという論考も含まれている。

●参照
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。