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自縄自縛日記

何義麟『台湾現代史』

2014-10-26 09:38:02 | 中国・台湾

ウランバートルからの帰国中に、何義麟『台湾現代史 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社、2014年)を読む。

本書を読むと、日本の敗戦(1945年)と国民党政府の台湾移転(1949年)との間に起きた二・二八事件(1947年)こそが、台湾にとってもっとも大きな歴史的記憶であったことがよくわかる。それは、戦時中の従軍慰安婦問題や、韓国における済州島四・三事件(1948年)がそうであったように、数十年もの間、公的な場で語ることがタブーとされた「国家権力による巨大な暴力」であった。

日本による60年間の支配(1895-1945年)を経て、台湾は、中国の国民党が支配的な力を握るようになる。戦前から住んでいた漢族系移民の「本省人」と、戦後中国から渡ってきた「外省人」との間には、深刻な対立が生じた。本省人は政治においても社会においても差別的な扱いを受け、また、日本の支配に馴らされて奴隷的なマインドを持っていると決めつけられた。不満が爆発し、それに対して、まだ大陸に居た蒋介石の指示により陳儀政府が行った白色テロこそが、二・二八事件である。犠牲者は1.8-2.8万人にも及ぶという。

(もちろん、それ以前にマイノリティと化した「原住民」=先住民族のことが、この図式では捉えられない。そのことも、本書は丁寧に指摘している。)

一連の暴力は、住民にとって恐怖の記憶となり、そのために、蒋介石・蒋経国親子の時代には民主化が進まなかった。社会運動も、メディアも、強く弾圧された。しかし、国際政治の舞台に中国が出てきて、国連加盟や日米を含む西側諸国との国交回復にいたり、台湾の存在基盤はきわめて危ういものとなっていく。そして、民主化が進む中で、回復・共有すべきものとして再浮上した歴史的記憶こそが、二・二八事件なのだった。

示唆的なことは、多くの者が、日本やアメリカに活動の拠点を移して外部から民主化を働きかけたというプロセスである。いまの日本でも、国内では抑圧され抹消されてしまうような異議申し立てが、国連やアメリカ連邦議会などの場で力を持つことが少なくない。この手段は、決して変化球ではないのである。

●参照
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
侯孝賢『非情城市』(二・二八事件)
港千尋『Art Against Black Box / Taipei - Tainan - Tokyo』(ヒマワリ学運)
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-(台湾「原住民」の音楽)
エドワード・ヤン『クー嶺街少年殺人事件』(1950-60年代の対立)
劉國昌『弾道 Ballistic』 台湾・三一九槍撃事件


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