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自縄自縛日記

朴三石『海外コリアン』、ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』

2010-04-29 08:41:46 | 韓国・朝鮮

朴三石『海外コリアン パワーの源泉に迫る』(中公新書、2002年)を読む。海外朝鮮人や海外韓国人と呼ばないのは、朝鮮統一への思いがこめられている。朝鮮史上最初の統一国家・高麗がなまってコリアになったからだ。

本書によると、海外コリアンは米国・中国(それぞれ200万人以上)に多く、次いで日本に90万人、旧ソ連に50万人程度が居住している。この4地域について、それぞれ章を設けて解説がなされている。全体的に、統計データを文章で延々と書くなどこなれておらず、また、「艱難辛苦に耐えてこのような学者や実業家を輩出した」といったような具合であり、白書のような印象だ。

それでも、あまり知られていない分野であり、日本とは対極にあると思われるような、非常に興味深い指摘がなされている。例えば、フランスや英国など過去に植民地支配をした国は、旧植民地出身者に対して就業、教育、社会保障において優遇しているという点である(なお、朝鮮はこれらの国の旧植民地ではなかったので対象外)。また、米国では、移民の言語と英語の両方に堪能な教師による二言語での課外補助教育は税金によってまかなわれるべきだとの最高裁判決が出されているという。一方、今の日本では、民族教育が悪であるかのように決めつけられている。しかし、これは「子どもの権利条約」で保障されているはずの権利にも関わらず、である。

違和感が大きいのは、中国における少数民族政策に対する評価だ。他民族との同化でなく共存(確かに紙幣には各民族が印刷されているが)、異文化の尊重、格差の是正など、ここで書かれている話はまるで悪い冗談にしか受け止めることができない。

日本における無理解や差別に関しては、在日コリアンの「通名」である日本名を使う割合が多いことを示している。朝鮮植民地時代の「創氏改名」(1939年)が背景にあり、それ以降、通名を使わざるを得ない特異な状況にある。神奈川県で1999年に行われた調査によれば、在日のうち「本名使用」と答えた割合は23%に過ぎず、「通名使用」と答えた割合は77%にも達していたという。

「人間にとって自分の名前は、個人の人格の象徴である。名前は、自分自身の存在そのものを表す大事なものであり、コリアンとして生きる第一歩である。しかし、在日コリアンは本名と通名の二つの名前を名乗らざるを得ない現実のなかで暮らしている。」

ゴダイゴだってこんな風に歌っていた。懐かしいな。「Every child has a beautiful name / A beautiful name, a beautiful name.」(「ビューティフル・ネーム」)

はじめて知る話は、コリアンが中央アジアへと流れていった歴史である。韓国併合(1910年)以降、農民は生活を圧迫され、ロシアへと移動していった。ところが、1937年、スターリンは、朝鮮との国境近くに居住するコリアン17万人を、中央アジアへと強制移住させる。この背景には、満州の緊張があったようだ。つまり、国防と管理のしやすさということだ。突然列車から投げ出された地、カザフスタンやウズベキスタンは獄寒の荒地だった。日本により追われ、さらにロシアにより追われたというわけである。

この歴史に関するドキュメンタリーが、科学映像館により無料で配信されている。以下の2本は、強制移住させられたコリアンの子孫、ラウレンティー・ソンによって撮られたカザフスタンの映画だ。

■『フルンゼ実験農場』(1991年)

実験農場とは、塩気混じりの砂漠を水田に変えるという意味であり、慄然としてしまう。『海外コリアン』では17万人とあるが、ここでは18万人(30万人中!)が強制移住させられ、多くが飢餓、寒さ、チフスなどで死んでいったとしている。ここで仕事を信仰とするくらい働き、その一方で、NKVDの秘密警察に常に監視されていたという。

この地に集められたのはコリアンだけでなく、クルド人、チェチェン人、イングーシ人などもいた。しかし多かったのはコリアンであり、そのため、朝鮮半島北部(もともと北部からロシアに逃れたため)の言葉「コレマル」が、共通語のようになっている。なんと、今でも広く「コレマル」が使われている。

■『コレサレム』(1993年)

『海外コリアン』にも紹介されている。文字通りコリアンの意味だ。

『フルンゼ実験農場』よりも、住民との距離が近い映画だ。登場するウクライナ人やカザフ人やクルド人はカメラ(の横にいるソン)に親しげに話をする。「コレサレム」が多く、友達にも家族にもなったから、誰もが当然のように「コレマル」を話している。多くの家庭で、味噌や醤油やキムチを作っている。ここでは色んな民族がいるが諍いなどない、私の死ぬのはこの地だ、と語る老人の姿が強い印象を残す。


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