Sightsong

自縄自縛日記

「3人のボス」のバド・パウエル

2014-02-08 14:14:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャズを聴きはじめたころから、バド・パウエルの神がかったようなピアノが好きで、なかでも、1940年代後半から50年代初頭までの演奏に魅かれていた。1924年生まれだというから、20代の後半ころにあたる。スピードとただならぬ抒情性とがあい混ざって、他のピアニストが発することがない世界を創り出していた。

一方、デクスター・ゴードン『Our Man in Paris』(Blue Note、1963年)という有名な盤があり、バドも参加している。わたしは今に至るまで、残念ながら、デクスター・ゴードンのイモっぽいサックスがまったく気に入らないのだが、この盤のなかで1曲だけ、デックス抜きのピアノトリオによる「Like Someone in Love」がとても好きだった。過剰なブロック・コードの連発が悦びに満ちたような、不思議な演奏である。このときのベースはピエール・ミシェロ、ドラムスは古参ケニー・クラーク

バドは50年代に少し精神を病んでしまい、その影響で、雷鳴のような凄まじい演奏が出来なくなったと評価されている。また、1959年からは5年間ほどパリに移住し、そこで落ち着きを取り戻したのだと言われてもいて、バドをモデルとした主人公を、他ならぬデックスが演じた映画もある(ベルトラン・タヴェルニエ『ラウンド・ミッドナイト』、1986年)。(イモと言いつつも、このときのデックスのサックスには、やられてしまう。) なお、1962年にデンマークの街を徘徊するバド・パウエルをとらえたドキュメンタリー・フィルム『Stopforbud』(>> リンク)では、デックスがナレーションをつとめている。奇縁というべきか。

デックス抜きの演奏に聴くことができるのは、まさにその時期のバドである。どうやら、このピアノ・トリオは、3人ともボス格だという意味なのか、「The Three Bosses」と称していたようだ。ケニー・クラークやピエール・ミシェロの個性を特筆するような評価に出会ったことがないが、よほど相性がよかったということなのか。

『A Portrait of Thelonious』(CBS、1961年)や、『Blue Note Cafe Paris 1961』(ESP、1961年)も、このピアノ・トリオによる記録である。最近までほとんど放置していたのだが、改めて聴いてみると、癖になってしまうほどの魅力がある。

一方のタイトルの通り、セロニアス・モンクの曲が多い。しかし、当たり前のことだが、演奏がまとっているアウラは、バドのものに他ならない。

2枚両方で演奏している「Monk's Mood」や「There Will Be Never Another You」を聴き比べてみると、8か月先立つ演奏である『Blue Note ・・・』では粗削りで、『A Portrait ・・・』では、より余裕をもって装飾音を挿入したり、即興も拡張しているように聞こえる。また、録音は、『A Portrait ・・・』のほうが断然良い。

その程度の違いがあっても、バドは唯一者バドであり、掬っても掬いきれないほどの何かが提示され続けている。その何かが、執拗に繰り返されるブロック・コードの奇妙さによるものか、音を外す手癖か、はっきりとは言えないように思える。神がかりなどという常套句は、高速の運指だけにあてはめてしまっては勿体ない。

●参照
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』(バド・パウエルの映像も収録されている)


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