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いないこととすべきなのは小津ではなくて蓮實ではないでしょうか。

2017年05月14日 19時21分03秒 | 文学
『国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年「OZU 2003 」の記録』(朝日選書)を図書館で借りて読んだ。
外国人の批評家や外国人の映画監督の話は、翻訳のせいか読みにくかったので日本人のシンポジウムのところを興味のあるところだけ読んだ。
日本人の映画監督の会談のなかで、黒沢清が意識しないままに小津安二郎を真似てしまうので、小津安二郎をいないこととするように意識しているというような話をしていたが、小津をいないこととするよりも蓮實重彦をいないこととすることが重大なのではないかと読んでいて思った。
この、小津をいないこととする、というような言いぶりがすでに蓮實重彦的であるように思う。
また語られている話も小津の映画では会話のカットで視線が会わないとか、蓮實重彦的なものが多かったと思う。
そんななか澤井信一郎が、(結果的に)視線が合わないのは交互に語る違う人物を同じポーズにしておくためではないかというようなことを語っていて、なるほどなと思った。

黒沢清や青山真治が蓮實重彦の影響を受けているのはある意味当然として、是枝裕和も『監督 小津安二郎』を読みながら小津映画を見たと語っていて、影響が大きいことがよくわかった。そのうち僕も『監督 小津安二郎』を読んでみたい。

岡田茉莉子と香川京子のインタビューを読んだが、女優のインタビューというのはおもしろいなと思った。
理屈がなく、小津安二郎の映画も忙しくてあまり見てなくて、たぶん『監督 小津安二郎』も読んでいない。神話となっていない生身の小津安二郎の話が聞けておもしろい。
今後注目していきたい。
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