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北京市豊台区訪問3日目

午前中の自由時間を利用して、餞別をいただいた同僚区議のお土産を買うべく、北京王府井に行ってみた、久しぶりの王府井は、相変わらずの賑わいであったが、どこか昔馴染みと言う感じかして、私の中で、違和感がないのが不思議であった。

中国茶の名店に入って、ジャスミン茶をお土産に買った。さすがお茶は中国が本場であることが良くわかる、品種の多さ、品質の多様さ、どれをとってみても、お茶文化の本場であることを実感した次第。

そして、北京第一の繁華街王府井のすぐ脇の露地の一角に、小ろん包の蒸かし器を備えた小店を見つけて、入ってみた、見た目は些か、粗末だが、味はなかなかのものであった。値段と量に至っては、信じ難いほど安価な、手頃なデザートと言える。同行の同僚区議と共に美味しく試食した。豪華な装飾を施した表通りの店構えと、その脇道にある粗末で、不潔としか言いようのない小店、このアンバランスが今の北京の良くも悪くも実際だ。

この三日間を通じて、中国は来年の五輪を目指して、まさに、国一丸となって燃えていると言う感じ、この凄まじいパワーが、五輪後も、これから何処に向かうのか、眼を離せない。
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北京市豊台区訪問2日目

午前中、北京市対外友好協会を表敬訪問して、李昭副会長に面談した。同協会は、葛飾区と豊台区との友好を取り持ってくれた最初の大功労者であって、本区として、豊台区に訪問する時は、必ず、表敬訪問しているのである。李副会長とは、昨年もお目にかかったが、大変元気そうであった。

その後、故宮博物館に足を伸ばし、景山公園まで登ってしまった。案の定時間が足りなくなって、当初予定した天壇公園の視察をキャンセルすることになった。私としては、残念だが、これもやむを得ないところか。

と言うのも、その後、豊台区の北宮森林公園の視察が予定されていたからだ。豊台区は大体が平地であるが、その西部には山地が広がっている、その何もない山地を森林公園として整備したのが北宮森林公園だ。足かけ5年をかけて、整備してきたようだが、その規模の大きさには、いつもながら圧倒される思いだ。瓦礫のような土質の山肌を、削りながら、そこに植栽を施して、樹木や湖を造成してきたのだが、一番関心があったのが、水をどのように確保したのかということだが、残念ながら聞き洩らしてしまった。
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北京市豊台区訪問1日目

 日中友好35周年、そして葛飾区と北京市豊台区友好都市提携20年を記念する葛飾区日中友好訪問団の一員として、北京市豊台区を訪問した。
私としては、豊台区は3度目の訪問であるが、行くたびに北京の急速な経済発展や、都市基盤の整備が進んでいるのが手に取るように分かる。今回は、公式行事だけの参加で、全体の日程の一部、二泊三日の旅程である。

初日の今日は、到着早々、豊台区内の世界花卉大観園を視察した。
施設としては、普通の植物園と、日本の夢の島熱帯植物園を併設したような作りで、とにかく、面積が広大で、その規模に圧倒される思いであった。しかし、これが豊台区民にどのように利用されるのか、その活用について、いささかわからない部分があるのも事実だ。

その後、中関村総部基地を訪問。これは、日本でいえば、品川駅東口の再開発のような、先端技術の研究機関や、大手の企業のビジネスセンターを集中的に集めたビジネスセンターのような地域で、これまたその規模の大きさに舌を巻いた。全体で、300のオフィスビルが建設されていると説明していたが、実際その規模の大きさは、日本では、到底お目にかかれない、圧倒的なスケールの驚嘆の思いだ。。

豊台区は、現在の人口162万人面積は、葛飾区のおよそ10倍に至っているが、その先進地域の様相はまさに大都市だ、葛飾区の比ではない。

最後に、豊台区の政府庁舎を表敬訪問して、李超鋼豊台区長をはじめ、豊台区政府要人と1年ぶりの再会を喜び合った。そして、同庁舎内での歓迎宴に参加した。昨年の訪問の時にあった政府幹部の方々、そして、本年6月に李豊台区長一行が葛飾区を訪問されたが、その時にお目にかかった方々とも、久しぶりに再開できて、とても有意義であった。こうした草の根の民間交流が、日本と中国との相互理解と恒久的な平和に貢献出来ることを信じて止まない。
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市川市長田谷津(ながたやつ)にて

市川市大町の総合レクリエーションゾーンにある「長田谷津」を訪れた。
市川市の最も北東部分にあたり、隣はすぐに鎌ヶ谷市と言う地域だ。地形的には、大柏谷の一番最奥部になる部分で、台地が湧水かなにかで、深く削られて、谷を形成した地形である。

私が、何故にここに注目しているかと言うと、東京近郊で、谷津(やつ、「やと」とも言う)の地形が、年々宅地開発が進んで、現在では、昔を偲ぶことが、本当に少なくなってしまっている中で、本来の「谷津」の地形と自然環境を保つ、数少ない貴重な場所だからである。

はるか昔は、下総台地にしても、東京西部の多摩丘陵にしても、台地のあちこちから、湧水があり、それはまた、河岸段丘の近くで湧水があれが、その流れに沿って台地が削られ谷が形成される、その他、雨水などによっても、長い時間をかけて台地は削られ、谷が形成される。そして、一般的に、台地と入り組んだ谷が幾重にも重なる地形が形成される。武蔵野台地や、下総台地はその典型である。

その、谷の部分を「谷津」と言うわけである。それが、近年の宅地開発と農業の発展により、谷津部分の土地開発が進み、昔の姿を留めるところは、どんどんなくなってしまった。未利用な荒野のままで放置するのは、もったいないから、当然のことであるかも知れない。

私の知る限りでは、今、都心で、この谷津の地形を保持している場所が、奇跡的に、一つだけある。それは、明治神宮の境内に、有料で公開している庭園があり、そこに池や菖蒲田、そして湧水まである。これは、昔の渋谷川に続く、切れ込んだ谷の跡で、典型的な「谷津」の地形である。

そして今回、私は、首都圏で、もう一つの自然のままに保たれた、市川市の長田谷津に触れたのである。しかも、市の努力のおかげであろうが、自然環境が、実に本来の谷津らしく、植生や地形を実によく保っている。私にとっては、感動ものの場所である。

市川市のHPでは、この長田谷津を詳しく紹介しているが、一読を勧めたい。特に、環境問題や地学、また、社会科的な視点から、地域社会の歴史や風土を勉強するためには、最高のフィールドとなると思う。市川市さんには、同谷津の保存をこれからもがんばって欲しいとエールを送りたい。
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東山魁夷記念館

お恥ずかしながら、私は最近まで、尊敬する日本画の画聖、東山魁夷が50年近くも、千葉県市川市に住み、旧宅が市川市中山にあり、今は記念館になっていることを知らなかった。先ごろ、機会を見て、記念館を訪ねてみた。

日本画の持つ精神性を、かつてこれほど強く印象付けた画風を示した人はいなかった。「自然は心の鏡」、魁夷は、自らの心を自然に投影して作品としたのだろうか。畢生の名作、唐招提寺御影堂の障壁画、「山雲・濤声」、東山魁夷の青は、見る人の心に、自然への深い共鳴を与えた。1975年、彼が、60歳の時だ。それから、さらに、障壁画の二期の作品を書くため、中国にわたり、中国山水画の伝統を日本画に取り入れて、65歳の時に「桂林月宵」を描く。

記念館を訪れた時、ちょうど、学芸員のかたの説明を聞くことが出来て、魁夷がどのように日本画を描いたのか、話を聞くことが出来た。それはそれは、手間のかかる仕事で、説明しようとしても、なかなかできない。
それに、魁夷は、天才にありがちな奇人タイプの人かな、と思っていたが、実際は、実に人格円満な紳士であったようだ。「私の画は、すべて市川の水で描かれている」、市川市は、実に名誉ある市民を持ったものだ。
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