Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

多賀城跡・塩竈神社から松島へ

2014年05月25日 14時49分58秒 | 山行・旅行・散策

本日は、多賀城跡と東北歴史博物館を午前中に訪問。
お昼は塩竈神社前のお寿司屋さん。
塩竈神社・浦霞酒造・阿部勘の蔵元を見て本塩釜経由で松島海岸駅にたどり着いた。

詳しくは帰宅後に・・










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常民文化研究所展示

2014年05月24日 21時26分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 九州の友人との再会はお互いの予定にズレがあって適わず、いったん自宅に戻っている。シャワーを浴びて着替えたらとても気持ちがいい。
 明日は仙台でも最高気温が30℃近くになるという。しかし明後日の最高気温の予想は19℃とのことで、着て行くものに苦慮している。

      


 本日は和船の講座の二回目。その講座の始まる前に新しくできた常民文化研究所の展示コーナーと和船の模型の展示を見てきた。
常民文化研究所では網野善彦氏のインタビュー画面が流されていて、声・顔ともに懐かしく拝見した。いくつかの講演会でお話をうかがい、ほとんどの出版物を読まさせてもらったが、如何せん理解力が乏しいのでなかなか理解できない点もあった。講演会では頓珍漢な質問を二回ほどして、軽くいなされ、あとから赤面したことが思い出された。




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忙しい一日

2014年05月24日 10時24分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午前中がいつものかかりつけ医のところで薬を処方してもらい、午後は講座ふたつ。会場が離れているので、初めの講座は途中退席しないと間に合わない。
 夕方からは九州から友人が来ているので、時間が合えばどこかで落ち合うことを考えている。そしてその成り行き次第ではそのまま23時発の夜行バスで仙台に向かう。早目に切り上げられれば、いったん家に帰って着替えることも可能なのだが‥。
 土曜日なのだが、結構あわただしい一日になりそうである。

 帰る予定の月曜日、松島からは仙台経由で昼過ぎには新幹線に乗る予定にしていた。昨夜急遽夜行バスに計画を変えた。火曜日にみなとみらいで行われる講座に出席するためだ。しかし夜行バスが朝の6時ころ横浜についても家で仮眠をとれば午後からの講座でも寝ることはないか、と安いことの誘惑に負けた。
 当初は仙台の友人にも時間がないからといっていたのだが、月曜日お昼にみんなと別れてから、約10時間時間をつぶさなくてはいけない。しかも月曜日なので美術館・博物館は休館。昨年訪れた東松島市周辺や石巻市界隈も再訪してみたい。塩竈市の醸造元も訪ねてみたい。どれが適うだろうか。





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松島へ

2014年05月23日 23時26分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 25日(日)から26日(月)にかけて、組合のOBの集まりで松島へ行くことになっている。現役時代、政令指定都市の組合の私どもの属した支部の連絡会議が、各都市持ち回りで頻繁に行われていた。そのOBの集まりである。
 阪神淡路大震災の起きた日に、この会議の幹事会が松島のホテルで行われることになっていた。神戸で強い地震があったらしいということは、報道されていたが、詳しい状況が伝わってこない。そしてなかなか神戸・大阪・京都の幹事が松島に来ない上に、携帯電話での連絡もとれない。皆が心配していたのだが、連絡がつかない。ようやく名古屋の幹事が到着して、かなりひどい状況らしいということがもたらされた。そして夜になって神戸の火事の模様が伝わって来て、みんな息をのんでテレビに見入ったものである。
 建設関係の職場の組合の集まりだから、神戸の被害のひどさ、復興の困難さは即座に理解できた。道路・下水・高速道路・鉄道等々都市基盤のインフラの被害に茫然とした。神戸だけでなく、大阪・京都にも被害があるようだということで、すぐにでも各組合に戻りカンパや支援活動への取り組みをすることを確認しあって、翌日早々に引き揚げた。
 その時の会議の事務局を担っていた東京都の組合の代表者である先輩はおととしに亡くなったそうである。
 3年前の東北の震災の時も、この会議での連携を活用しながら仙台市をはじめとした各自治体への支援活動に取り組んだ経験がある。
 懐かしい面々と復興半ばではあるが、久しぶりに仙台の地で交流する。

 現役の時の集まりではないので、組合から交通費も参加費もでない。新幹線で行くときの費用に比べて45パーセントで済む夜行バスを、往復とも利用することにした。5列ではなく3列仕立ての座席ということで、かなり楽そうである。この夜行バスは学生の時にも利用したことはなかった。勤めていた頃に東京から山形に行くバスで朝日連峰に登りに行ったときに利用したことが一度だけある。
 横浜を明日の23時に出発して、朝の5時45分に仙台につく。睡眠が十分とれるかどうか自信はないが、眠い場合は24時間営業のサウナにでも行って仮眠室で寝るつもりだ。
 事故が起きないことを願うしかない。JRバスの運行である。ネットで予約することが出来て、予約は楽であった。





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ブラームス 交響曲第1番

2014年05月23日 22時45分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブラームスの交響曲第一番を久しぶりに聞いた。演奏はこれまでの第2番から第4番までと同様カラヤン指揮ベルリンフィル。

   

 ベートーベンの交響曲を継承・発展させることを念頭にブラームスが格闘した上に上梓した交響曲として名高い。ある意味ではすでに完成された作品として世に出てきたのである。先行世代をいかに総括して新しい地平を切り開くか、表現者であることをめざすに多くの表現者にとっては避けて通れない関門である。
 43歳になったブラームスはすでに音楽家として確たる地位を占めていたが、交響曲については極めて慎重であったようだ。それだけに思い入れの強い曲であったと思われる。
 最初の和音が鳴ると同時に緊張感たっぷりのティンパニーの連打が始まる。どの楽器も存分に主張する。第2楽章の終盤、ソロバイオリンの美しい旋律とそれを囲む木管など美しい響きは、忘れることができない。この部分にくると、何かをしながら聞いていても私は必ず手を止めて聞き入る。人を引き込む美しさがある。第4楽章のアルペンホルン風の朗々としてすがすがしい旋律も、忘れることのできない旋律である。

 人によっては第2番以降の渋い交響曲に比べて、明るく聞きやすいことからもっとも多く演奏される機会が多いといわれる。確かに屈託のない明るさがある。私が一番惹かれるのは、ティンパニーの連打、バイオリンソロ、ホルンの重厚な響きなどによってもたらされる緊張感である。この緊張感が何によりいい。旋律によってもたらされる緊張感ではなく、複雑な和声の展開による緊張感が人の心を引き寄せる。




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長谷川等伯の波濤図

2014年05月23日 13時55分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 長谷川等伯の描いた「波濤図」(禅林寺)と「波濤図屏風」を並べてみる。

 上が、2010年東京国立博物館で開催された「長谷川等伯」展の図録から取った「波濤図」(禅林寺大方丈中之間の(現在は掛幅)襖絵、重要文化財)である。
 金箔による雲霞が水墨画の岩の存在を際立たせているが、このような作例は等伯以前には見当たらないとのことである。 
鋭利で荒々しい岩と、繊細で曲線で描かれる波が好対照である。波は北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」のストップモーションをかけられたような波を彷彿とさせる。岩のタッチは他の作品「四愛図襖」「山水図襖」などにも同じような岩が描かれており、等伯独特の描き方らしい。
 下は今回の出光美術館に出展された「波濤図屏風」。こちらの方が全体として丁寧に仕上げられている。雲霞も雲のように明確に描かれ、明るい。波もはっきり書かれ、うねりが少し大きい。波の先端の表現はほぼ共通している。こちらは着色画であり、波の先端は白くふちどりされ、上の図よりも波が強調されている。
 また上の絵よりも奥行き感が増している。
 両方の絵で共通するのは、共に中央やや右寄りの大きな岩。これが共通している。そして岩と波、雲以外の景物が何もない。樹木も、動物も、人間もいない。太陽も月もない。

 このような絵が襖に描かれている部屋、あるいは屏風が置いてある部屋、一日眺めていたらどうだろう。時間による光線の具合も考えると、一日いや数日いても飽きることなどまず考えられない。 こんな体験を是非してみたいものである。




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ブラームス 交響曲第3番&悲劇的序曲

2014年05月22日 23時42分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は久しぶりにブラームスを聴いた。前回のシリーズと同じカラヤン指揮ベルリンフィル演奏の1988年録音盤。

   

 18歳の頃に初めて聞いたブラームスの曲が交響曲第2番と、この交響曲第3番であった。とても印象深い曲である。特に第3楽章と第4楽章に痺れた。
 第3楽章は、木管のくぐもった響きに、チェロがメランコリックな、それでいて波のようにうねる旋律を歌う。
 第4楽章冒頭のファゴットにもとても印象的である。それに和していく弦楽器の刻みも印象的である。

 「悲劇的序曲」は「大学祝典序曲」と対になる曲で、ブラームスが依頼された曲が「大学祝典序曲」で、これにどうも満足しきれなかったブラームスが「泣く」序曲として作ったらしい。ハレの檜舞台の曲として作られた曲とは違う曲である。
 特に私などのように大学受験のためのラジオ講座に使われた楽想は、とてもではないが、素直に聞くことができないかったし、今も素直になり切れない。ほとんど恨みの世界の愚痴をひとくさり。
 18歳の頃の私は、大学とはどうしても「大学祝典序曲」のようにこれほどまでに明るい世界とは言えないと感じていた。矛盾に満ちた社会のそのもっとも端的な縮図で、かつその社会への第一歩であった者にとっては、大学で祝典を奏することなど信じられなかった。私自身の悲劇を歌ってくれるようなブラームスの重々しい響きにどうしても心が惹かれた。18歳とはこんなに明るいものでなければならないのか、というのが捩れた時代の体験である。どうしても「悲劇的序曲」に向いてしまう。
 他の世代の人には理解は困難であると思う。素直に人生を謳歌できない世代の愚痴である。こんな愚痴でブラームスの曲を論じるなどとんでもないことはわかっていても、半世紀たっても抜けられないでいる。



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荒れた天気 それでも等伯について‥

2014年05月22日 20時48分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の荒れた天気はなかなかのものではなかったろうか。15時半ころに講座が終了した段階で横浜の中心部はかなりの雨。私には雷も聞こえた。ということで、何の考慮もなく雨宿りのつもりで16時過ぎにはそのまま立ち飲み屋に一人で直行。気が付いたら18時過ぎまで静かに飲んでいた。
 外の様子では17時には雨があがっていたようだが、気分としてはそのまま居座ったいた。お腹はいっぱいになったが、帰らなくてはいけないと思い、風が少々冷たく感じたもののそのまま歩いて帰宅した。

 今朝早くアップした記事で、長谷川等伯の波濤図について述べた。講座の途中で友人から前回取り上げた禅林寺のものと、今回取り上げたものとを画像で比較できるようにしてほしいとメールでリクエストがあった。講座の途中なので返信できずにいた。しかも立ち飲み屋で酔って返信するのも失礼かと思い、帰宅してからこのメールの趣旨に近い形で返信した。もっともな指摘なので明日にでも両方の画像を比べられるようにしたいと思う。
 午前中は所用があるので間に合わないが、夕方までには整理をしたいと思う。前回の東博で販売していた図録でも、禅林寺の波濤図は大きな折込みになっているので、コンビニに行ってA3のスキャンをしなくてはいけない。それでもはみ出してしまうかもしれない。記録として残しておくのはとてもいいことだと感じた。ご指摘に感謝いたします。
 ともにとても気に入った作品なので、一人でも多くの方に見てほしいと思っている。





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「日本絵画の魅惑」展(その4)

2014年05月22日 07時57分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  

 今回の展示では長谷川等伯の作品は2点が展示された。この絵は「松に鴉・柳に白鷺図屏風」である。実はこの屏風絵は、調査の結果長谷川等伯の印が消され、雪舟の偽署名が書かれていたらしい。江戸時代、等伯の名は忘れ去られ、当時人気の高かった雪舟の絵として保管されていらことがわかったといういわくつきのものである。一部改ざんがあるのかもしれない。
 画面は薄い金が施されているがこれが画面全体に温かみをもたらしている。そして右双の右端に鴉の番と雛が描かれ、左双に番と思われる白鷺が画面を大きな空間に見立てて優雅に飛翔している。
 鴉の巣を枝に載せている松も、白鷺が止まっている柳もともに幹や枝は画面の外に大きくはみ出し、木の全体は隠されている。そのことによって木の大きさがとてつもない大きさであることが想像される。
 よく見ると白鷺の顔の表情は特に変な印象を受けないが、鴉の親子は顔の描き方がどうもあまりピンと来ない。ちょっと稚拙な感じがするのは私だけであろうか。
 画面全体がちょっと寒々しい雪景色のような感じがするのに比して、この鴉の顔の稚拙さが、わざと狙った効果なのかはわからないが、何となく微笑ましい雰囲気をもたらしてくれるような気がする。解説では、当時は黒色の鳥として叭々鳥(ははちょう、ムクドリの一種で南アジアに生息、くちばしの上の羽のふくらみが特徴)を描いたらしいが、古来忌避される鴉を親しみのあるものとして描いたのが斬新とのことである。
 鴉に比して白鷺の方は営巣はしておらず、雛もいない。2羽の距離が広い空間を表すとともに番以前の2羽の関係を暗示しているようにも思える。
 中国の山水画と違ってクローズアップ効果で画面からはみ出す景物の描き方に、中国の山水画では味わえないダイナミックな風景画の極致なのではないか?

   

 次の絵が私には忘れられない枚になりそうである。長谷川等伯の「波濤図屏風」である。等伯には「波次の絵が私には忘れられない枚になりそうである。長谷川等伯の「波濤図」はもう一枚あるそうで、京都の禅林寺にあるもので、確か昔これを東京国立博物館で見た記憶がある。このブログにも記載したはずである。禅林寺のものと比べると、右双はほとんど構図としては同じ、左双は禅林寺の方が岩が低くまったく違う絵である。
 こちらの方が全体として丁寧に描かれているように見える。どちらかというと完成品に見える。色彩も鮮明である。禅林寺の方が荒々しいタッチだ。特徴ある波の形もこちらの方が顕著である。
 禅林寺の方が荒々しくて好みだという人も多いと思う。こちらの方がまとまっていて少しおとなしい海に見えるかもしれない。
 こちらの方の絵は私は初めて見たが、左右とも画面の上方4分の1くらいのところに細い黄色い線がある。雲のような金色のものとは違って横に伸びている。最初これが海と空の境界を示すものかと思っていた。よく見るとそうではないそうだ。しかしこれがあることで、海に広がりがあるように見える。
 また波のうねりが禅林寺のものより強調されている。波全体は禅林寺の方が荒れているように見えるが、うねりはこちらの方が大きい。
 岩礁はあまり荒々しさは無いが、硬い岩の質感が別のタッチでしっかりと書き込まれている。
 禅林寺のものもこちらもともに雲海に浮ぶ高峰の峰々といってもおかしくない。これは画面の金色の輝きがもたらす錯覚かもしれない。
 とてつもない広大な海原ないし雲海を見たような気がする。室内にあればそこが、室内であることを忘れてしまいそうな予感がする。
 
 講座の「桃山絵画の四大巨匠」で来週は長谷川等伯を取り上げることになっている。楽しみである。




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「日本絵画の魅惑」展(その3)

2014年05月21日 20時55分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 琳派の絵では、昨日取り上げた、伝俵屋宗達の「月に秋草図屏風」、そして最初に取り上げた酒井抱一の「風神雷神図屏風」、今回の酒井抱一の「八ツ橋図屏風」、並びに鈴木其一の「桜・楓図屏風」の4点が展示された。

  

   

 この八ツ橋図屏風は、下に掲げた尾形光琳の同名の作品(メトロポリタン美術館蔵)に倣った作品である。比べてみるとすぐに気付くのは、カキツバタの背丈が一回り小さくなり、本数も少なくなっている。金箔の部分が広くなり、全体的にはスッキリした感じになっている。その分の律動感は増している。
 葉についても、色の濃い部分が少なくなり全体的に淡くなり重苦しさが無くなっている。カキツバタの群落が若々しくなった。
 律動感という点では酒井抱一の方に私は軍配を上げたくなる。より洗練されているといえばいいだろうか。木道(八ツ橋)も色が明るくなり、画面全体を軽くしている。その分、カキツバタの存在感が希薄になったといえるかもしれない。金箔も落ち着いた色合いになっている。
 画家の感性は酒井抱一の方がより装飾性重視、視覚重視なのだと思う。より現代的といえる。



 もう一つの琳派の作品は江戸最末期の鈴木其一の「桜・楓図屏風」である。これは大胆な構図で人の眼を惹く。桜には幹や枝が描かれず、桜の花だけが大振りに描かれてい。葉の大きさに比べて花びらが大きく描かれ、より装飾性重視の作である。
 楓は逆に幹を大きく描き、葉で楓と分かる程度に申し訳なさそうに描かれている。メインは大木の古びた幹である。楓の老木の幹の肌合いと若々しい緑の新しい葉の対照、淡いみずみずしい桜の旺盛な満開の花びらと出てきたばかりの桜の葉の葉脈まで描かれた若々しさの対比。
 それぞれの木における対比と、今度は桜と楓の対比と、対比が二重になっている。ある意味で理知的であり、悪く言えば少し懲りすぎているともいえる。その割に広い空間が目立ち、そのくどさを解消しているのかもしれない。
 鈴木其一は「朝顔図屏風」や「夏秋渓流図」などのように緑の際立つ描画が印象的でそれが魅力である。この絵には緑の生命力の旺盛さは感じられない。私にはちょっと不満がある絵である。

 次回の(その4)で長谷川等伯を取り上げて、今回の感想は終了予定。



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走り梅雨

2014年05月21日 18時19分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は朝から強い雨が続いていた。明け方に大雨・洪水・強風・雷注意報が出ていた。9時半には強風注意報だけに変わったが、講座の教室のある桜木町駅前は強い雨が降っていた。お昼を挟んで二つの講座を受講後、市民税・県民税の申告で区役所を訪れて、帰宅。風もそれほどではなくなっている。
 明日は午前中晴れるようだが、午後からはまた雨の予想。気温は25℃とだいぶ上がるようだ。入梅を前にして天気がぐずついている。
 関東地方の梅雨入りは気象庁の予報では6月8日、梅雨明けは7月21日となっている。平年より2日早く、昨年よりも遅くまで梅雨が続くとの予想になっている。
 「走り梅雨」という言葉がある。季語として扱われる。5月から6月にかけて梅雨のような天気が続くことをいう。しかし特に「これが走り梅雨」ということではない。雰囲気的な言葉でもある。本日からのぐずついている天気が「走り梅雨」というものなのか、わからない。曖昧な言葉である。

★走り梅雨抱けばくびれし米袋  河角京子
★病む便り逝く報せ来て走り梅雨  小出秋光
★書架の書の一つ逆しまはしり梅雨  林翔
★むちむちの白き二の腕走り梅雨  武田直美

 1句目、スーパーなどで売っているビニールの米袋ではなく、卸などで使っている紙製の10キログラム入り位の袋ではないだろうか。これは空気を抜いてびっしりと詰まっているが、担ぎ上げれは自重でたわんで肩に馴染むように感じることがある。寒い時、夏暑いときには担ぎにくいものである。微妙な季節による差を感じたのは、日々の労働の一瞬を大切に感じ取っている証ではないか。
 2句目、思いがけない時期に友からの便りにびくっとする時がある。私もそんな年になっている。
 3句目、この句が一番気に入っている。他のどんな季節よりもこの時期の感覚ではないだろうか。明るく気分のいい5月から梅雨前の蒸し暑さが気になり始めたころの少し憂鬱な気分が、何の変哲もないことがらに気持ちが張り付いてしまう。
 4句目、衣更えが終わったばかりのまだ日焼けしていない肌が艶めかしい。「むちむち」というのはなかなかに思い切った表現に思えた。


 一昨日はだいぶ飲み過ぎた。昨日もビールをだいぶ飲んだ。今日は、友人の忠告を聞いて休肝日にすることにした。





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明日から始まる講座

2014年05月20日 22時26分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 明日からはこの「中世の伊勢参宮」が始まる。前回まで2回講座を受講したが、いづれも半分ほどしか出席できずにいたので、今回は欠席せずに聞きたいと思っている。

 「神道」というもの、体系が出来たのが仏教よりも後であることを前回は教わった。ここら辺の議論は聞きかじりに近いので、さらに勉強したいと思っている。「体系化された神道」と古来からの地域神への信仰を明確に分けて理解する必要があることは私の持論だが、このことをキチンと歴史的に説明しうる議論を期待している。その一助となってほしい。

 さらに明日は「桃山絵画の4大巨匠を紐解く」の第3回目の講義がある。いろいろと刺激的な一日になりそうである。




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本日からの講座

2014年05月20日 21時44分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日から始まった講座は日本のアジア外交を考えるというもの。
 講師の田畑光永氏の講座は2回ほど聞いている。歯切れのいい講義はなかなか好評でいつもかなりの受講者がいる。
 本日は今回の講座の第一回目であっが、印象に残ったこと、思いついたことがある。
 日本と中国・朝鮮半島との接触で言えば、有史以来の接触で、白村江・元寇・秀吉の朝鮮侵略・明治政府以来の戦前の中国・朝鮮支配の歴史がある。
 前二者が、白村江も日本が中国に攻め込まれるという危機意識があもったとして、見方によっては受け身の戦いではなかったか。また元寇はまさに受け身の戦いであった。
 そして織田信長に始まる織豊政権は初めて日本が西欧と接触するのだが、当時の弱肉強食の世界観を踏襲して、秀吉による朝鮮・中国への野望となってなだれ込んだといえる。さらに19世紀になって欧米の植民地支配の時代状況を受けて、朝鮮併合・中国侵略へと突き進んだ。
 この欧米の世界観との接触、欧米の文化の受容の差が、現代の中国・朝鮮・日本三国の関係に大きな影を投げかけているのではないか、ということが示唆された。
 これからの講座でそのことが解明されると期待しているが、興味のある示唆であったと思う。私には全体を理解できるほどの力量はないが、明治維新以降の脱亜入欧の議論、あるいは竹内好のアジア論と絡めて考えて見たいと思った。

 少し私の問題意識に引き寄せすぎた感想かもしれないが、いろいろと現代を考えるいいきっかけになってほしい講座である。

 講座終了後、50年ぶりに机を並べた友人とビールを飲みながら楽しい時間を過ごした。昨晩ほどには酔わずに、ちょうどいい酒量で治めることができた。明日はアルコールを抜く日にしたいと思う。






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「日本絵画の魅惑」展(その2)

2014年05月20日 13時03分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 展覧会では、絵巻、仏画、室町時代の水墨画・大和絵屏風、近世初期風俗画、寛文美人図と初期浮世絵、黄金期の浮世絵、文人画、琳派、狩野派と長谷川等伯、仙の絵という構成になっている。
 私は仏画、琳派、等伯が大きな目的だったので、それ以外は熱心には見なかった。というか見るだけの力量がないというか、惹かれるだけの感性がないというか、もっと知識と感受性があればいいのだが‥。
 ただし「北野天神縁起絵巻」、雪舟の「破墨山水図」、相阿弥の「山水図」、室町時代の大和絵屏風、浮世絵の美人画の顔の描かれ方の変遷などを見ることができたのは良かった。いづれ頭の中を少し整理してみたいと思った。



 この展覧会を見に行った大きな目的の一つがこの「山越阿弥陀図」(詫磨栄賀、南北朝時代) 。山越阿弥陀図はいくつもあるが、どういうわけが以前に何かの本でこの作者のものを見て、心に残っている。印刷はあまりよくなくてほとんどモノクロだったことと、「詫磨」と「南北朝」ということが記憶されている。
 阿弥陀三尊像では確か右が勢至菩薩、左が観音菩薩だったと思うが、図を見ただけでは私はわからない。阿弥陀来迎図は昔からあったようで平安時代のものも見たような気がする。
 山越という様式は鎌倉時代以降らしい。山岳信仰の影響、ならびに山の稜線を彼岸と此岸の境界に見立てているとのこと。日本的な変容らしい。
 ただ私が引かれたのが二菩薩とも顔が仏像・仏画にはない人間的な、それも女性的な顔に見えるところである。顔だけでなく、観音菩薩では、手を合わせる形、腰が引けて膝が曲がっており、両足が肩幅に開いている。勢至菩薩でも少しだけ腰が引け、器をささげる左手、ハの字に開いた足の形。いづれも菩薩らしくない。立ち姿が何となくしまりがないのが人間的で面白い。
 ぬっと出てくる阿弥陀もどこか剽軽で「いないいないばぁ」という感じである阿弥陀だから西からであるが、満月が東からでるような具合だ。

   

 これは俵屋宗達作と伝えられている、「月に秋草図屏風」。上が左双で下が右双。月が作られたころは銀色に輝いていたと思うが、今は黒く変色している。元の輝きで見てみたいものである。
 大きな金箔の画面に、細かく小ぶりの秋草がちりばめられている。この散らばり方が私には好ましく感じる。金箔というものが、落ち着いた感じに見えるというのも不思議である。




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