Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

萬葉集巻15の冒頭の歌群から

2017年07月13日 12時11分36秒 | 読書
私よりもいくつか若い友人の訃報を幾人かにメールで知らせているうちに午前中が終わってしまった。

本日も暑い。

今日は一日団地の管理組合の会議のためのレジュメづくりに追われる予定。
これ以上記載するとまた愚痴になるので、終了。

★我がゆゑに 思ひな痩せそ 秋風の 吹かむその月 逢はむものゆゑ      (3586)
★𣑥衾(たくふすま) 新羅へいます 君が目を 今日か明日かと 斎ひて待たむ  (3587)
★はろはろに 思ほゆるかも しかれども 異(け)しき心を 我が思はなくに   (3588)


 万葉集の巻十五におさめられている一群の「遣新羅使人等、別れを悲しびて贈答して情(こころ)を慟(いた)しみして思ひを陳(の)べ、併せて所に当りて誦(うた)ふ古歌」11首のうち、9首目から11首目。

(3586) 「私のせいで、思い悩んで痩せたりなどしないでおくれ。秋風の吹き始めるその月には、きっと逢えるのだから。夫→妻」
(3587) 「𣑥衾の白のように輝く新羅へはるばるとおいでになる輝かしい前途のあるあなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み謹んでずっとお待ちします。妻→夫」
(3588) 「思えば、何と遠く久しく離れ離れにかることか。しかしいかにどんなに離れていても、あだし心など持ちません。結」

 最後の第11首はいわばまとめの1首で、男をひたすらに待つ女心を示す作である。現代に合わせて男女双方の誠実を誓い合う歌、と解釈すると古代の状況を外してしまうだろう。やはり女の誓約の歌であろう。
 公になることを前提とした誓約の儀式的な場に歌われた男女相互の贈答を経て、女性側からのまとめという形の儀式が想像される。
 公的な儀式、というのは、この度の新羅使は秋には帰ることが出来ず、大変な思いをした使いであったらしい。3586の「秋風の吹く月には帰ることができる」という建前で新羅に行ったものの、実際の帰朝は翌年になっているらしい。
 この一群の歌、私の高校生の頃には参考書などによく取り上げられていたと思う。その頃に読んだはずだ。なお、訳は集英社文庫の「萬葉集」(伊藤博)の訳をもとに私流に書き換えてみた。

 
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2 コメント

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私流に書き換えてみた。 (通りがかり人)
2017-07-13 16:17:21
これがいいと思います。万葉に氏が呼ばれているのか、あるいは、氏が万葉を呼び寄せているのか、その両方が感じられます。しかし、昔の人は恋人を心でふくらますしかなかったのですな。今の人は携帯がありますので、ふくらますことが苦手でしょうな。やはり自筆のラブレターを書いてた頃が懐かしいですな。なんちって、恥ずかしい。
通りがかり人様 (Fs)
2017-07-15 14:01:08
通りがかり人様のラブレターですか。それは覗いてみたい衝動が沸き上がってきました。入道雲のように。

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