Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「大・開港展」(横浜美術館)と「皇室の名宝」展(国立博物館)

2009年10月18日 22時16分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は「大・開港展」、本日は「名宝展」に行って来た。
 昨日の横浜美術館は空いてた。「開国博」(この命名もずいぶんと尊大と思う。日本第一の都市であることの見栄と中田前市長の思い上がりが透けて見える。たとえば函館市が「開国博」といったら他の都市からブーイングがでるはず)の終了後で、市長も副市長も赤字の責任逃れでさっさと辞任という名のトンズラ逃亡で市民はしらけきっている。また底の浅い「開国博」見に行く人が少ないのは当然であろう。
 さて「大・開港展」は展示そのものは開港当時から原三渓までの美術・工芸・写真などで構成され、その方面からの開港とともに歩んだ横浜の側面を扱っている。
 「名宝展」と共通したのは、明治前期の工芸輸出品。明らかに「名宝展」の方が当時のすばらしい工芸品が展示されていた。しかし皇室「お買い上げ」品との落差は歴然。それでも金沢銅器株式会社の製品、陶磁器(香山など)小さいながら唸らされる物がいくつもあった。これらの工芸品、輸出されてしまって日本にはあまり残っていないようだが、キチンと再評価されるべきものと思われた。作者も作品も。作者の名が一般には知られていないのも不思議だ。
 経済・産業・社会・政治、建築・土木、教育、スポーツ、新聞等の出版など近代史のあらゆる側面から、開港を見直す良い機会だったが、残念ながら美術館以外は大きな展示とはならなかったと記憶する。「開国博」の企画者(中田前市長)のそもそもの限界であろう。金にならないからすべてばっさりと持ち込み企画は捨てられたと理解するのが間違いなさそう。
 本日の「名宝展」、今日は館外にまでは入場者は並ばなかったものの、会場内はかなり混雑。その中で二つの軸を感じた。若冲・応挙・抱一、そして「大・開港展」との共通である明治前期の工芸。
 妻も「若冲まで来て足が止まった」との感想。あの動植彩絵の30枚、人が息を呑んで固まっていた。だからじっくりと見ることはでき無かったのは残念。カタログでは大きさが違うので迫力は今ひとつ。
 今もあの色彩が劣化していないように見える。丁寧な仕上げと良好な保存によるのであろう。鳥、しかも大型の鳥は若冲の真骨頂。私は蛸が中心に描かれた魚も好きだ。ちょっとユーモラスで、違う魚がみな同じ向きで泳いでいるなど大型の鳥の迫力とは違う不思議な感覚がある。
 そして二つ目の軸の明治初期の工芸。その大きさ・緻密さに目を奪われた。
特に陶磁器。大きさ・緻密さ・彩色・デザインなど圧倒される。陶磁器の価値は良くわからないことだらけだ。たとえば色の工夫、造形の困難さなどわからない。わからないとも私はその存在感に感銘を受けた。輸出品として当時のヨーロッパの東洋熱にも助けられ、外貨獲得に大変な貢献をしたのだろうことは創造できる。「大・開港展」との共通の作者や製作会社名があった。
 しかし昭和天皇の大礼での鏑木清方の「賛春」まで下ってくると、芸術・美術として悲惨そのものではないだろうか。日本画の基本的な知識はない私だが、太平洋戦争中の「戦争画」は近年、見直し再評価がされている。戦争迎合といって切り捨ててしまうには惜しい技法上の工夫、画家個人の個人的な歴史的な展開からなどの点からの再評価と聞いたことがある。しかしこの「賛春」で隅田川の水上生活者と上流階級の女学生の「対比」、果たして対比となりうる素材なくだろうか。あまりに安直な対比ではなかろうか、しかも焦点の定まらないボカシ。カタログの解説では鏑木清方は「中層以下の階層の生活に惹かれる」と言うことだったが、果たして‥。あまりに表面的で迎合的な絵だし、細部へのこだわりも感じられず、この人の絵は今後は見たくなくなる予感。昭和に近くなるほど「お買い上げ品」の迫力はなくなってくる。
 もうひとつの感想。めったに音声ガイドは利用しないが、今回加賀美幸子元NHKアナウンサーの音声とあって、「これなら落ち着いて聞ける」と利用した。私の耳には心地よい発声とテンポと音域でうれしかった。だが、あの最初の展覧会の口上での皇室礼賛にはまいった。過剰と私には思われる敬語と皇室礼賛。彼女の所為ではなく、企画者・原稿の問題ではあろうが、気持ちがずいぶんとなえたことは確かだ。
 そう、唐突だが私は皇室という言葉を支えている現在の憲法上の「天皇制」は拒否したいし、政治的な役割はきれいに洗い流してもらいたいと考えている。私は何しろ「憲法」から天皇条項がなくなることが先決と考えている。今後の天皇家の処遇については、具体的な構想・イメージは無いが‥。
 あくまで一国民としての義務を負い、と権利を行使する人となってほしい。明治以降「お買い上げ」とは云え、召し上げ続けた優れた美術・工芸品の管理者・展示者として民間人にしたほうが余程良いと思う。江戸時代以前は、すべて国家管理として召し上げるのが当たり前。当然すべての陵墓も。召し上げたものはできる限り頻繁に国民の目に触れるよう、あるいは学術調査の利便を高める方向で展示すべきであろう。

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