Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

山の歩き方

2011年09月08日 20時58分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 20代半ばから登山を始めた。当初は友人に連れて行ってもらったが、やがてというか、かなり早い段階から一人歩きが好みとなった。別に友人と歩くのが嫌だったわけでもないが、ひとりで行った山行が病みつきになったという方があたっているかもしれない。
 ひとりで山道を登っていると、下っているときもだが、実にいろいろな想念が湧き上がってくる。それが楽しみだ。ひとりでジョギングをしたりウォーキングをしているときも同じだ。日常の身の振る舞いの反省、これからのことなど実に色々のことが思い浮かんでくる。それに自分なりの回答や出口を探すのが歩く楽しみである。
 同時に周りの景色にも気を配っているものである。その日の宿泊地であるテント場や山小屋に着いたときに覚えているのは、途中の景色と思い至った想念と半々のような気がする。
 そんなこともあり、私は山に登るときはできるだけ長い尾根を登る、あるいは下山にそのような尾根を選択するようにした。限られた休暇で行く山行だから、登りに時間をかけた場合は下りは急峻な下り、くだりに長い尾根の場合は急峻な尾根の登りを選択してきた。40歳以降は山に行く時間も極めて限られたきて、登りと下りとも時間を節約するために長い尾根歩きは選択することがなくなったのがさびしい。
 本当は人家のある里山から登り始め、畑地の間を縫うようにして登り、長い時間をかけて山稜にたどり着くのがうれしい。そして下りは一気に駆け下り、里の宿で風呂と若干のお酒と、里の人との他愛のない世間話があれば最高である。
 山行はひとりで、そして長い時間山に入り、人里と人のいない世界を出入りすることが私にとっては最ものぞましい時間である。
 25年ほど前、東北の朝日連峰に出かけたとき、人里から上り始め水場でテントを張り、翌日の昼の大朝日岳頂上まで18時間誰にも会わなかったことがあり、感激した。その夕方の小屋では人の姿が懐かしく感じた。
 60歳を過ぎて、職を退いた後そのような山行ができればうれしい。

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2 コメント

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難行苦行 (大納言)
2011-09-09 11:17:15
孤独と克己と難行苦行と、最後に訪れるカタルシス……。登山をしない私には「そこまでして」という感じが拭えません。水を掛けるようなコメントですが。
それほどでは‥ (Fs)
2011-09-09 22:15:32
当初歩くことだけは好きで山についていったのですが、その後ジョギングで体重を落としてからは登りはほとんど苦にならなくなりました。今は体重が元に戻ってジョギングではなくウォーキングに精を出していますが、山で「克己・難行苦行」とは感じたことはないです。
ただし「孤独」はいいですよ。これは何事にもかえられない時間です。営業小屋でもひとり黙って孤独になっていることが多いですね。

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