Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

「ミュシャ展」から 3

2017年05月18日 21時05分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 1923年作の「ヴィートコフ山の戦いの後-神は力ではなく、真理を体現する-」と題する11作目の作品。
 「ヴィートコフ山の戦い」とは、「フス戦争のさなか、プラハが神聖ローマ皇帝ジギスムント率いるカトリック教徒の軍勢(十字軍)に勝利した戦い(1420年)」。
 ミュシャは「「(すべての作品から)露骨な抗争やそれに伴う流血を思い出させる一切」を省こうとしたと記している。」、「「私の作品がめざしてきたのは、決して破壊することではなく、つねに橋を架けることである」。フス派の部隊とプラハ市民が十字軍に勝利したのち‥野外で感謝の儀式」が描かれているという。
 勝利の感謝の場面であるが、左手前に描かれた赤子を抱く女性は、伏目がちに疲れた様子が見える。戦いの中で多くの苦しみを味わったのだろうか。しかしそれ以上にたくましさがある。左下を見るニヒルな目つきは、儀式に背を向け勝利の儀式の裏にある醜いものを予感、あるいは告発しているのではないか、と思ってしまう。そういう目で背後の人々を見ると白い布を被った女性が多い。彼女たちの表情は決して明るくない。また男の表情も疲労困憊している。市民兵なのであろう。背後にいる子どもと思われる二人の内一人は儀式に興味津々である。
 私は、戦いに勝ったとはいえ、失ったものの多さを見つめるミュシャという画家の眼が、彼女の眼ではないか、と感じた。
 右の中央で光を浴びている人物は、「フス派の指導者ヤン・ジシュカ」という英雄であるらしいが、反フス派の市民を復讐のために殺戮した者でもある。「平和主義者」ミュシャの眼は「戦い」の両面、正義の裏表を見つめている。



 次の12作品目の「ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー-悪に悪で報いるな-」は1918年の作品であるが、「ヴィートコフ山の戦い」と同じころ1420年のエピソードに基づく作品である。ヴォドニャヌイはボヘミヤの小さな街で、フス派と市民がともに暮らしていた。ヤン・ジシュカがプラハ防衛のためこの地を離れると、反フス派の軍が攻撃し、フス派全員を殺害。ジシュカはこの大虐殺の復讐のためこの街を焼き払う。ジシュカへの復讐を誓う市民にペトル・ヘルチツキーという司祭はそれを止めようとする。この場面を描いている。フス派・反フス派の戦いのおぞましさを二つの作品で描こうとしたと思われる。
 12番目の作品でも中央のヘルチツキーの左側にこちらを見つめる女性が描かれている。生きているのかはっきりしない赤子を抱いて、目は天を見つめているのか、鑑賞者を見ているのか、判然としないが虚ろであることは確かだ。焼かれた街から避難してくる人間も疲労困憊し、絶望感からか生気はない。赤子も含めて前景の死者たちは、当てられた光によって神々しさがただよう。
 この12番目の作品は1918年に作られた。解説では「製作中に進行していた第一次世界大戦のおぞましさを寓意的に表現している」と記している。
 これがこの「スラヴ叙事詩」の優れた面なのではないだろうか。
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2 コメント

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人は (通りがかり人)
2017-05-19 05:22:25
どこの国、どの時代問わず、闘いをくり返し、報復をくり返し、命なくした身近な人を、土の下に埋めてきたのだと感ず。しょうがないものだ、人とは。なかなか、たしかにつらいものだ。
通りがかり人様 (Fs)
2017-05-19 10:03:46
理念を手放しては、暗夜航路、いや過ちと後悔の繰り返しばかり・・・

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