Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

東京都庭園美術館

2017年01月30日 17時57分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は東京都庭園美術館を訪れた。夕方16時過ぎに着いたので庭園も建物の外観も見ないで慌ただしく企画展示を見て、夕方17時30分近くに会場を後にした。
 美術館のリーフレット等を入口で貰ったものの、帰宅後に見たにすぎない。



 ウィキペディアの解説を要約すると、

武蔵野の面影を残す国立自然教育園に隣接した敷地および建物は、香淳皇后の叔父にあたる朝香宮鳩彦王が1947年の皇籍離脱まで暮らした邸宅。土地は白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期に陸軍の火薬庫を経て、皇室財産となった。
宮邸は朝香宮一家が退去した後、吉田茂によって外務大臣公邸(ただし外相は総理の吉田が兼務のため実質的に総理大臣仮公邸)として1947年から1950年まで使用された。1950年西武鉄道に払い下げ、1955年に白金プリンス迎賓館として開業し、迎賓館として1974年年まで使用。1981年までプリンスホテルの本社として使用され、東京都に売却。1983年都立美術館の一つとして一般公開される。


となっている。

 また庭園美術館のホームページでは、建物について

朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が1906年[明治39]に創立した宮家です。鳩彦王は、陸軍大学校勤務中の1922年[大正11]から軍事研究のためフランスに留学しましたが交通事故に遭い、看病のため渡欧した允子内親王とともに、1925年[大正14]まで長期滞在することとなりました。
当時フランスは、アール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた朝香宮ご夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼するなど、アール・デコの精華を積極的に取り入れました。また建築を担当した宮内省内匠寮の技師、権藤要吉も西洋の近代建築を熱心に研究し、朝香宮邸の設計に取り組みました。さらに実際の建築にあたっては、日本古来の高度な職人技が随所に発揮されました。朝香宮邸は、朝香宮ご夫妻の熱意と、日仏のデザイナー、技師、職人が総力を挙げて作り上げた芸術作品と言っても過言ではない建築物なのです。
現在は美術館として使われていますが、内部の改造は僅少で、アール・デコ様式を正確に留め、昭和初期の東京における文化受容の様相をうかがうことができる貴重な歴史的建造物として、国の重要文化財に指定されています。


と記されている。

 機会を作ってこのアール・デコ様式の庭園と建物を鑑賞したいものである。



         
ジャンル:
その他
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「並河靖之 七宝」(東京都庭... | トップ | 本日届いた本 »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
庭園美術館 (葦原の山姥)
2017-01-31 03:22:55
30年ほど前に行った時は、まだ館内の一部しか入れなかったような気がします
ルネ・ラリック展だったか…作品と建物・調度品などとのマッチングにも目を向けるきっかけとなった美術館でした
朝香宮については、このような住まいを作る人物と帝国陸軍とは結びつきにくかったのですが、映画『ジョン・ラーベ』を見てイメージが一新しました(苦笑)
山手線でも西側半分はなかなか行く機会を作れませんが、そのうち庭園とハコだけでも見に行きたいと思っています
葦原の山姥様 (Fs)
2017-02-01 19:51:05
返信遅くなりました。

まずは退院おめでとうございます。

建物は旧邸と新館からなり、新館にはカフェも併設。ケーキが美味しそうでした。
新館は明るい建物で、私には好印象でした。ゆっくりと庭の散策とコーヒータイムを楽しむのもいいと思います。

コメントを投稿

芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等」カテゴリの最新記事