Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

「日本語の豊かな使い手になるために」(大岡信)

2017年06月16日 20時22分46秒 | 読書


 本日は2冊を購入した。そのうちの一冊が「日本語の豊かな使い手になるために」(大岡信、太郎次郎社エディタス)。
 今年の5月16日に「ことばは知識ではなく体験である」(大岡信)という記事で引用し、粗雑な感想を急いで書いた。
 是非じっくりと目をとおしたいと思っていた。図書館でも借りられたようだが、借りてコピーをとるのもページ数が多いので断念し、二週間前に神大の生協に注文しておいた。1648円だが、生協価格で購入した。
 大岡信氏と3人の教育者との対談から編まれたこの書は、平易なことばで書かれているが、読み応え十分、とても勉強になる。3人の対談者のことばも現代の「ことばの教育」に対する強い危機意識に基づいている。
 「人間はことばによって考える存在です。もし、ことばについてイメージを描く力を奪われるという“ことばの危機”が広範に神道しているとすれば、それは人間の存在そのものの危機につながるでしょう」
 「ことばをとおして想像力を解放することが困難になっている現在、私たちは「ことぱの教育」をどのように改めたらよいのでしょうか。‥ことばに対して心を閉ざした子どもたちを、ふたたび豊かなことばの世界に誘うための水路が、本書には語られています」
 じっくりと目をとおしたい大岡信のことばが並んでいる。そしてこの本の最初の章の表題が「ことばは知識ではなく、体験である」となっている。
 この含蓄のあることばをじっくりと味わいながら、読み進めていきたい。ことばは使っているうちについ粗雑になり、だんだんと刺が出てきて、人を鋭く刺してしまう。それはすぐに翻ってことばを発した人間に戻ってきて、そしていっそう鋭く突きさす。しかしながらこの返り討ちに気がつかない人がとても多いことに気がついた。それは仲間内だと容赦なくそして、いっそう鋭く人を傷つけ、発した人を返り討ちにしている。
 そのことにいち早くきがついた人のことばはやさしく、しかし人を感動させる力を持っている。私が社会と強くかかわるようになってずっとこのことを思い続けてきた。政治的な組織とことぱほどこの傾向は強い。
 ことばの強さは究極のところでは人を惹きつけることはない、と50年近く体感してきた。そんなことを思いながらこの本を体験してみたい。
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