Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

吉野弘「霧」

2016年09月19日 12時22分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  霧       吉野弘

閉じ込めた高原がどんな風景だったかを
思い出そうとして
霧は
ときどき自分自身を取りはらってみる

風景を見て、納得して
ふたたび
霧は
自分の領地を閉じ込めにかかる

閉じ込めた領地がどんな風景だったかを
少したって、また思い出そうとして
霧は
自分自身を取りはらってみる

ご苦労な
霧よ!
親密に触りつつ物を抱くことが霧の愛し方なので
距離をとって物を見ることが不得手なのだ



 この詩、私にはチョイと似つかわしくないと思うし、またわたしの趣味からは遠い。このような詩を読んでいると、自分がとても恥ずかしいと感じ、本を閉じてしまいたくなる。何に対して恥ずかしいのか、何が恥ずかしいのか、それは分らないが何となく赤面してしまう。このような世界に引き込まれることがどことなく「恥ずかしい」のだ。近寄ってはいけない、そんな感情も出てくる。しかし山に行くと、ときどきこんな光景には遭遇する。吉野弘の詩、ときどきはこのような世界に少しだけは足を踏み入れるのも悪くないと思い、本棚の片隅に置いてある。

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4 コメント

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見てはいけないものを‥ (通りがかり人)
2016-09-19 15:27:07
山に登り高原が不意に晴れ渡る情景には縁なしだが、素敵な霧を味わってきているであろう氏なので、ひときわときめくのであろう。恥ずかしい感情が、また恥ずかしいと思うのがいいのかな。
 隠したい部位を隠す手ぬぐいが見当たらない、銭湯にいる感じ? 違うか‥
通りがかり人様 (Fs)
2016-09-19 23:56:05
わたしはどうもひねくれ者。多くの人が「美しい」「綺麗」と感動するのにはいつも「?」と思ってしまう。
一ひねりしたものでないと、心に響いてこない。
素直ではない自分を持て余しています。
「感動」をそのまま受け入れられずに「距離をとって物を見る」あるいは「距離をとって考える」ことをしないと自分では納得しないわるい癖があります。

吉野弘は即時的な感動に自分を近づけようとしています。そのような感動が本当の感動だと理解しているとおもいます。
薄っぺらといわれる感動に、真の感動の在りようを見つける、そんな力があります。
本当はそのように振る舞いたいのに、その気持ちになるのが「恥ずかしい」と思ってしまう「ひねくれた自分」がとても「恥ずかしい」んです。そんな自分を全部見透かされているようで、さらに「恥ずかしい」という感情が幾重にも重なって襲ってきます。

最後の2行
「親密に触りつつ物を抱くことが霧の愛し方なので/距離をとって物を見ることが不得手なのだ」
これが味噌なのだと思います。

うまく言えないのが、もどかしいです。

手ぬぐいを見つけられないです。
うまく言えたら、そこで終わりだ (通りがかり人)
2016-09-20 03:57:21
うまく言えないからこそ、氏は相当、真実、あるいは本質に近づいていると、私は評価しているのだ。霧などは晴れてはしょうがないものだろう。見えないまま山から下りてくるのだ。見せてはいけない。安くは見せない。あるいは魅せない。霧にも意地があるのだろう。霧は魔物だね。一歩先に谷底を秘めているものね。でも憑かれて進んでしまう人もいたんだろうし、これからもいるだろう。いいね、霧って。私も魅せられたい。溺れたい。入り込みたい。
 
 ところで、みせるを変換していたら、診せる、なんてあった。霧が二重に見えても困るだろうに。良医に会えること願います。
通りがかり人様 (Fs)
2016-09-20 21:54:17
そうですね。
もう少し私の頭の中の整理が必要でした。
読みにくい文章、失礼しました。反省です。

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