Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

「不染鉄」展 感想1

2017年07月17日 13時05分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ようやく「不染鉄」展の図録からいくつかの気になった作品をピックアップした。不染鉄という画家、私は初めて見た。

   

 概略の年譜は以下のとおり。
1891(M24)     東京生まれ
1914(T03) 23歳 日本美術院研究会員 同じ研究会員の洋画家村山槐多と親交
             妻と伊豆大島で3年間漁師などをしながら暮らす
1918(T07) 27歳 京都市立絵画専門学校入学
1919(T08) 28歳 第1回帝展入選 以降1934年までの帝展に8回入選
1923(T12) 32歳 京都市立絵画専門学校首席卒業 上村松篁と親交
1927(S02) 36歳 奈良県に移住
1930(S05) 39歳 神奈川県大磯移住
1933(S08) 42歳 横浜市鶴見区に移住(妻の実家)
1935(S10) 44歳 東京の江戸川区に移住
1946(S21) 55歳 奈良正強中学校の理事長・校長就任
1952(S27) 61歳 奈良正強高等学校理事長・校長退任
1956(S31) 65歳 日本社会党所属
1976(S51) 85歳 死去

 展示は
第1章 郷愁の空
第2章 憧憬の山水
第3章 聖なる塔・富士
第4章 孤高の海
第5章 回想の風景
となっており、120点が展示されている。



 最初の数点を見て、俯瞰的な構図といわゆる朦朧体の画面に不思議な世界を感じた。展示の最初が「暮色有情」(大正期、個人蔵)。街並みを俯瞰しているものの不思議な遠近法であり、建物のどこか歪な形態にびっくりした。道路の線と家々の屋根の線が並行ではない。一軒一軒の屋根や塀が手前は高く、向こう側に低く描かれている。そのために道路と微かに交差するように傾いており、街並み全体として統一感がない。
 それでいて静かに眠っている夜の情景に見える。空に火の見のためと思われる梯子が不思議なほど高く描かれ、それが指し示すようにカラスと思われる鳥が街を見おろしている。最上部には卵形の上部のような山と微かな月。下方は三日月にしては明るく照らされており、三味線を抱えた人物が2人ほど鮮明に描かれている。しかし手前に描かれた枝によって半分は隠されてしまっている。
 この不思議な俯瞰の視線と構図は、最後までこの画家の独特な視線として保持されていたように思う。家屋の一軒一軒への細密画風のこだわりと全体の独特のバランス感覚が魅力だと感じた。
 さらに初期の作品から晩年まで一貫しているのは、縦長の画面では下から見上げると極端に遠近感が強調されるような錯覚。縦長の画面ではほとんど最下部に近いところが中心である。



 遠近感が強調される細工のひとつが画面を横切る構図だと思う。「晩秋画房」(昭和初期、個人蔵)を見ても橋とそれにつながる道、草が並んだ4本ほどの横の線、遠景の家々の並びなど水平の線が畳みかけるように上へ、そしてそれは遠くへと連なっている。この線がないと遠近感が薄らぐ。下から見上げると途端に目につく線である。同時に新鮮な描き方に思えた。この横の線は作品によっては霞や雲、煙の流れだったりするが、終生この線は繰返される。



例えば「秋色山村」(昭和初期、奈良県立美術館)などである。



 さらに初期から時代が進むにつれた、家の中に人物が細密画のように描きこまれるようになる。いろいろなことをしている。人々は外に出て活動しているというよりも、家の中で生き生きと描かれる。船にいる人も船の中で寝ているポーズがある。構築物、建物の中でくつろぐことで人間に生気が戻っているかのようである。
 「暮色有情」が蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」のような世界を描いているのかと思ったが、画家は人々の生活、日常の立ち居振る舞いに極めて関心の高いことが想像される。静かなたたずまいの農村の家だけが描かれている作品も、その家の内部にどのような人々がいるのか、それを想像することを求めていると思えた。
 ここに掲げたのは大作「思出之記(海邊)」(1927、個人蔵)の一部を拡大したものである。高さ31センチに対し、横260センチの大きな横長の画面一杯に描かれた家々には寛いだ人々が丹念に描きこまれている。

   
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