Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

円山応挙展から「秋野暁望図」

2016年12月28日 22時26分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 円山応挙展は後期展示の時に行った。その時に目についた作品の内のひとつがこの「秋野暁望図」(1769、個人蔵)である。全体的にぼやけているのと、紙が茶色に変色しているように見えたのとで、忘れられていた作品のひとつかなと勝手に思っていた。
しかしその割には丁寧に草が書き込まれている。暫くしてようやく紙の劣化とは違い、意図的にぼやけさせたのだと分かった。さらに題名を見て、明け方の日がさす直前の雰囲気を出そうとしたのだと理解した。このぼやっとした情景からは朝露に濡れた草の葉を思い浮かべることが出来る。
 白い塊が何かわからなかったが、解説によると芙蓉の花とのことであった。そして座って鑑賞する位置でこの作品を前にして上方を見上げると薄の穂がこちらに覆いかぶさるように立体的に見えた。それはすらっとした薄の穂の曲がり具合によるだけでなく、薄の穂の細かな描写によってくっきりと浮かび上がることによる立体感だと感じた。細かい描写によって穂がこちら側に迫って来るように見えた。穂よりも茎をぼやかして描くことで根元が向こう側に強調されて認識する。遠近法に脱帽した。上の方の黄色の大気が柔らかく鑑賞者の身を包んでくれ。
 解説には「輪郭のぼやけた陰影表現はどこか「朦朧体」を想起させる斬新なもの」と記されている。芙蓉の大きな葉は確かに輪郭線はうすく、地にとけ込んでしまいそうである。



 次の「鵜飼図」(1770、個人蔵)は前期展示だったので直接見ることは出来なかった。図録で「秋野暁望図」の前のページに掲載されており、ちょうど見開き状態で二つの作品を鑑賞できる。この作品も初めて目にする作品である。是非とも実際に目にしてみたかった。



 ほぼ同時代に描かれた蕪村の「闇夜漁舟図」(1760年代、逸翁美術館蔵)を思い浮かべた。蕪村の作品の方が、人家の明かりを描いていることと、陰影が濃く、そして物語り性も強いが、人物の表情はこちにの応挙の方に軍配は上がるかもしれない。同じ船の上の火が描かれているが、応挙の描くかがり火からは暖かさは感じない。点景としての篝火に徹している。悪く言えば生活感という暖かみがない。たぶん煙や人家からの暖気によって明かりに照らされた暖かみを主題にした蕪村と、あくまでも光としての篝火の視覚的イメージに着目した応挙の差なのかもしれない。
 二人の交友関係などから双方の影響をわたしは否定できないと感じている。あくまでも根拠のない私の推論でしかないが‥。
 解説によると賛は「鵜飼舟高瀬さしこすほどなれや結ぼほれゆくかがり火のかげ」(寂蓮・新古今和歌集)である。和歌に題材を取っているために余計視覚的なイメージが先行しているのではないだろうか。

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