Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

安野光雅「きりえ百首」から -2-

2017年03月19日 12時28分26秒 | 読書
★わられかつて魚(うお)なりし頃かたらひし藻の蔭に(かげ)に似るゆふぐれ来たる    水原紫苑



 これはかなり有名になった歌で私でも記憶している。前回の道浦母都子よりも一世代後の1959年生まれの歌人。私はこのふたりの世代の間に生まれた。
 「魚なりし」に女性の「性」を感じる。道浦母都子が「弧」にこだわりその世界を追いかけたのに比べると、この世界は「ふたり」の世界である。世代論というのはあまりピンとは来ないが、団塊の世代、全共闘世代と、その後の世代のこだわりや寄ってたつところの違いを水原紫苑が注目されたときに云われていた。
 私は水原紫苑の現在の展開などはわかるべくもない不勉強である。しかし歌というのは現在も大切な要素かも知れないが、若い感性をどう処理しようとしたか、もまた読む者には大切な契機となる。それだけ私の思考も停止しているのかもしれない。

★指からめあふとき風の谿(たに)はみゆひざのちからをぬいてごらんよ    大辻隆弘



 前回は岸上大作の歌を取り上げた。岸上大作は1939年生まれだから、道浦母都子よりはさらに一世代上。今回の大辻隆弘は1960年生まれ。水原紫苑と同世代といえる。
 似たような情景だが、男が歌うと直接的になるという証だ、という評もある。
 果たしてどちらがより直接的なのか、受け取り方もあるだろう。私は水原紫苑の歌の方に直接的な「性」を感じる。

 そして安野光雅のきりえ、両者の歌の違いを、樹木の太い直線的な構図と、海藻の揺らめく曲線の豊かな巾で際立たせている。頁は違っているのだが、この対比に惹かれた。

『絵画』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 会議はまだまだ続く‥ | トップ | 「暁の歌」(シューマン)  »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。