Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

秋、深まる

2017年09月28日 22時16分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 30分ほどのんびりと夜のウォーキング。ウォーキングというよりも、近くのドラッグストアで買い物をしてきた。洗口液とトイレットペーパー。洗口液は重いので近くで購入するに越したことはない。
 涼しいというよりも寒かった。薄い半袖のTシャツと半ズボンではそろそろ風邪をひいてしまう気温になってきた。虫の音も心なしか寒そうに聞こえる。

★帰るのはそこ晩秋の大きな木      坪内稔典
★石のベンチに空き缶一個置く 晩秋   森 洋彦


 晩秋はだいたい今の暦で10月から11月初め。冬の様相が迫って来る。寂寥感を引きづっている季語であろう。
 引用の句、いづれも若い抒情が読まれている、とわたしは解釈している。
 第1句、晩秋のどこかの庭か、学校か、公園かの作者の思い出の場所にある大木。さまざまな想い出と共にある木というのは誰にでもある。思い出とともにあるということは、過去の自分がそこに仕舞われているということでもある。転移すればそれは生命の象徴となる。
 第2句、定型にこだわると「晩秋のベンチに空き缶ひとつ置く」とでも添削されるかもしれないが、それではとてもつまらない句になる。石のベンチ、ひとつの空き缶にこだわるとどうしても字余りで破調になってしまうのだろう。また「晩秋」を、余韻を持たせて最後に響かせたいのであろう。「晩秋」という季語の語感をこの句の作者は最大限生かしたかったことがうかがえる。成功しているかどうかはまた別の問題としてある。

 さて本日の朝、山梨県にすむ友人から葡萄一箱をいただいた。いつもツィッターに連携しているこのブログをリツィートしてくれている友人である。とても美味しい葡萄である。たしか昨年もいただいたような気がする。果物には目がない私は、さっそくつまみ食いをしている。
 「何かお返しを」ということで、あれこれ悩んでいる。和菓子がいいか、洋菓子がいいか。あるいは中華菓子の方がいいか。横浜ならではのものを何とか近いうちに探したい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

眼圧はとりあえず下がった

2017年09月28日 20時54分08秒 | 天気と自然災害
 眼科で緑内障の点眼薬を処方してもらいに15時ちょっと前に出かけた。眼圧は一応許容範囲の中に納まってくれた。眼科を出ると、雨が上がっていたので、横浜駅まで歩いてみた。湿気があったものの、涼しい中を歩きつづけた。結局横浜駅からさらに桜木町の駅まで歩いて引き返した。
 横浜駅に着くころには少し降り始めた。横浜駅の地下街にある喫茶店で読書タイム。17時以降雨が少し強まったもののそのまま家まで歩いて帰宅。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

雨がいったんあがった

2017年09月28日 10時33分48秒 | 天気と自然災害
 明け方の雨はすごかった。レインアイよこはまの画面を追っていくと一時は時間換算雨量50ミリの雨の区域が私の住んでいるところをいくつも通過していった。画面で見る限り神奈川県東部と千葉県に大雨が降ったようだ。特に千葉県では避難勧告が出ている地域もある。
 横浜市域では、洪水警報は解除になったが、大雨警報(土砂災害)と強風・雷注意報がまだ解除になっていない。
 現在は雨はあがった。太陽がいっときだけだったが顔を出した。

 本日から日曜日の団地の会議のための資料作りを開始。できれば本日1日で仕上げたい。明日は午後から講座があったので、時間が取れない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

洒落にもならない

2017年09月28日 10時16分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 安倍が疑惑から逃げおおせるため、そして、政治的・外交的無能力を隠蔽し、憲法改悪のための強権をもくろんで国会を論戦を避けて解散するときめたら、野党の民進党まで解散の危機に落ちこむとはどうしようもない。笑い話にもならない。
 笑い話になるのは、政治がまともになったときである。しかし今度はどちらに転んでも、「国家」の論理が前面に出てくる政治が横行しそうである。笑い話ではなく悲しい話である。

 「国権よりも民権を」、ということばをあらためて声高に叫びたくなる。

 私は「国難」ということばには、鳥肌が立つほど違和感を持つ。情報が世界中を飛び交う時代、国難は降って湧いて出てくるものではない。「国難」は外交・内政ともに政治の力が弱まり、影響力が後退し、そして何よりも為政者の無能によってもたらされるものである。
 「国難突破」のための国会解散とはなんとも自己矛盾である。国難突破のために力が欲しいというのである。国家の危機ならば、百家争鳴、議論を尽くし、対立者の意見も入れ、議論を前に進める度量が問われる。その度量が無いから「国難」なのである。
 わたしは「国難突破」とか「政治に強力なリーダーシップを」といわれるたびに、そんな時ほど「分権と権利の拡大」が必要と思う。そんな政治が私はのぞんでいる。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加