Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「病葉」という季語

2017年08月16日 23時37分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 「病葉(わくらば)」という季語がある。歳時記によると「青葉のころ、病害虫や風通しの悪い樹木から赤や黄に変色して朽ち落ちる葉のこと。万葉集に既出の古い言葉」と定義されている。
 恥ずかしながら私はこの言葉を誤って理解していた。夏の暑い盛りにいち早く日焼けして変色して落ちてしまう葉、のことだと理解していた。だから晩夏から初秋にかけての季節感があると感じていた。
 4~5年前に初めて真の意味を教えられた。

★すずしき日わくらば街にちりとべる     石田波郷
★病葉のひとつの音の前後かな        阿波野青畝
★病葉落つ輪廻をひとつ終えし夜に      庄司 猛
★病葉や苦衷語らずまた問わず        永峰久比古

「夢」の押し付け

2017年08月16日 14時43分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 人はなぜ夢をもたなければいけないんだろう、と最近感じる。最近は学校でも、それも小学校から夢を子どもに語らせるらしい。そしてそれに向かっていく自分を想定させて、「生きる力とする」ようなことが行われているらしい。
 しかし人はどうしても夢を持たなくてはいけないのだろうか。私が小学校の時など、自分が大人になって夢など意識しなかった。土台10歳前後の人間に、20代半ば以降の時分を想定できる能力があるのだろうか。人生の時間の尺度がそこまで想定できるまでに認識が成長しているのだろうか、という疑問が先に立つ。
 また社会の仕組みについての認識が出来ていない。働くということ、賃金を得て生活をするということ、生きるということの理解・認識に自覚的ではない。
 むろんあこがれや希望はあるだろう。仄かな「夢」はあるかもしれない。しかしその「夢」から逆照射して自分を規定する、そこにむけて自分をどのように制御するのか、ということが早ければいいというものではない。人それぞれに成長の段階がある。
 私は「夢」に振り回される人生の方が過酷だと思う。あこがれや希望や仄かな夢は10歳前後の子どもにとっては変ることが当たり前である。10歳前後の時点で「夢」に縛り付けられ、振り回され、それをあきらめることでの「後ろめたさ」を味合わせてはならない。何か人生の落伍者のような後ろめたさを背負わせてはならない。
 10代の半ば以降に、自分の意志で「夢」を作ることに私は賛成である。そこに邁進する自分、というのは貴重な体験である。しかしそれもまた試行錯誤の中で、自分なりの軌道修正や、諦めや、新しい興味への乗り換えやに対応できる自己認識が前提である。
 人間の主体の成長に沿った、人生設計のあり方を教えるのは悪いことではない。しかしそこまでの成長が出来ていない子どもに一律に押し付ける「夢」というのは、重荷以外のものでしかない。
 そしてもう一つ重大な落とし穴がある。人は自分の「夢」に沿った「仕事」をしなくてはいけないのか、ということである。
 私は「夢」と「生活の糧を得ること」とは別問題であると思っている。人はやむなく生活の糧を得るために「職業」に着くのである。むろんその職業があこがれの職業であり、その職業に就くことが夢であり、生きがいであればそれはとてもいいことである。
 だが、それが逆転して、「仕事である以上、それに邁進しろ、余計なことを考えずにひたすら働け」という世界に逆転しているのが今の世の中ではないか。ブラック企業の人を死ぬまで働かせる論理の根底にこの逆転がある。
 また、人の夢はひとつではない。複数の夢が人にはある。自分以外の人が、自分の「夢」の出生に関わってはいけない。人に云いたくない夢もある。ひそかに育む「夢」こそ夢である。夢はプライバシー!

NHK「戦慄の記録 インパール」

2017年08月16日 09時13分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜は「NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」」【⇒こちら】を見た。NHKの731部隊についてのドキュメンタリーも評判が良かった。

 今回も
・兵站をまったく無視し、食料は現地で収奪することを前提に、
・「5千人殺せば‥」という言葉が、自軍の犠牲者のことであり、
・指揮官は真っさきに日本に帰って戦後を生き延び、
という帝国軍隊の特質を余すところなく伝えている。

 すでに語られていたことも、体験した人の直の証言や記録で、さらに生々しく語られている。戦争そのものがもたらす非人間性と同時に、旧日本軍の所業がいかにひどいものであったか、を物語る。「戦争の大義」などどこにもなく、あるのは部下の切り棄てによる上層部の名誉欲と自己保身でしかなかった。3万人もの日本軍の犠牲者の過半が飢えと病気であり、撤退後の犠牲者であるということをあらためて記憶に留めておこう。

 戦争というものは、政治家や軍の上層部は生き延びる。しかし末端で「戦わされた」者が、「勝った」者も「負けた」者も、一番深く傷つくものである。

★「731部隊の真実」は、⇒こちら
★「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は、⇒こちら
★「本土空襲 全記録」は、⇒こちら