Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

小野篁伝承

2014年07月09日 21時00分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 東京国立博物館の「栄西と建仁寺」展の感想で私は次のように記載した。
 「また小野篁・冥官・獄卒立像は面白いものであった。等身大よりも一回り大きいと感じる。小野篁は長身であったというがあんなに大きかったのであろうか。それよりも小野篁が閻魔大王の業務を補佐していたという話がどのようなものなのか、知りたいものである。」

 知らないということは免罪符ではないが、書きたいことを書いてしまう。しかしこの感想が本日の講座につながっていたとは思いもしなかった。

 本日の講座ではこの小野篁のエピソードを教えてもらった。インドのヤマ神が中国で閻魔王として道教の最高神のひとり泰山府君と同化し、地獄の裁判官とする見方が確立したことを教わった。小野篁が閻魔王の補佐を買って出た伝承、当時の政府の首班藤原良相の病気に際し閻魔王にとりなしを図ったことの伝承化と、そして足利学校では創建伝承に小野篁が登場すること、足利学校では孔子像とならんで小野篁の像が祀られていることなども教えてもらった。
 地獄思想の普及と六道輪廻思想-建仁寺の塔頭であり「六道の辻」に在った六道珍皇寺-鳥辺野という埋葬地に埋葬する最後のお別れの寺としての珍皇寺-閻魔信仰-地獄と現在を往来した小野篁伝承との結びつき、という流れについても示唆を受けた。

 さらに、篁が無くなった時の伝記に「背丈が6尺2寸」とあり、188センチ近くもあったことが記されているらしい。あの建仁寺の像(1689年)はそれを踏まえているようだ。私が「等身大より大きいと感じた」のは、等身大であった。この大柄の身体も伝承のひとつの原因であったかもしれない。
 この神話化の過程はとても興味深い課題だと感じた。ひとつの大きな研究材料になると理解した。
 学習というのは楽しいものである。今昔物語・宇治拾遺物語など小野篁に関係する個所のコピーも貰った。もう一度じっくり読んでみようと思う。

 明日の講座「アジアの視点その5」は「成長するインドの民主主義-グローバルとローカルの間-」という演題となっている。


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モーツアルトの後期の弦楽四重奏曲(その2)

2014年07月09日 13時36分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 弦楽四重奏曲第20番はモーツアルト30歳の1786年に作られている。ハイドンセットの翌年で「フィガロの結婚」初演である。
 この四重奏曲に至って曲全体の音の響きの厚みが一段と増すように思われる。ハイドンセットの6曲は、バイオリン・ビオラ・チェロの楽器がそれぞれの特徴を発揮しながらもつれ合う要素が強かった、という表現ができるとすれば、この曲から感じられる音の厚みは全体としての音の響きに一層の重点が置かれた結果といえる。
 厚みが増したといってもチェロに重心が移ったというわけではない。たとえば第1楽章の第1バイオリンを中心にした3台の楽器との掛け合いなどは殊に美しく印象的だ。第3楽章の第1バイオリンのソロも美しい。しかし全体として和声の推移が美しいと思う。それがこの曲の厚みを感じさせてくれる。同じメロディーを3度、5度で重層的に奏でる割合が高いのではないだろうか。ベートーベンの初期の弦楽四重奏曲も連想される。
あまり演奏される機会はないということなのだが、私にはとても印象深い曲である。

 第20番から4年を経て、生活の困窮度が増した33歳のモーツアルトはプロイセン王への売り込み・就職活動を行った。果たされなかった企てだが、献呈をめざして構想した6曲の四重奏曲に着手して3曲が完成している。最初にできた曲が第21番である。この年の前年にはモーツアルトの交響曲の掉尾を飾る「3大交響曲」を作っている。
 ヴィルヘルム2世がチェロに巧みだったこともあり、第21番、22番はチェロが重視されている、というがそれほどに重視されているとは私は思えない。ハイドンはこの2年前にヴィルヘルム2世にやはり6曲の弦楽四重奏曲を献呈している。

 この21番は4つの楽章ともバイオリンが美しく活躍するのがとても印象に残る。第20番よりもハイドンセットに近い雰囲気である。あるいはもっと以前の若い頃のモーツアルトも彷彿とされる。宮廷音楽に囲まれた時代に戻った雰囲気を感じる。これも国王へのアプローチだったのかもしれない。

 第22番で私がもっとも好きなのは第2楽章。たぶん国王の活躍を想定したゆっくりした楽章で第1バイオリンに導かれるようにチェロが甘いメロディーを歌い出す。悪く言えば宮廷作曲家としての能力を国王に売り込むための作為が目立つと云えばそれまでだが、それを覆い尽くしてしまうだけの美しさがある。第3楽章の最後の和音の連打がとてもいい。
 第21番よりも私には好みの曲である。

 第23番、モーツアルトの最後の弦楽四重奏曲になるが、22番までの曲とは趣が違う。21、22番までは国王への献呈の意向があったが、この3曲を出版社への売渡しをせざるを得なくなった状況があるとのことである。宮廷音楽という想定で作った21、22番とは違い、経済的逼迫はあったものの宮廷音楽ということからは離れた自由な手法で書かれたのは、私たちには幸福なことだったのではないか。各パートのバランスは21、22番よりもずっといい。特に第3楽章にこのことを感じる。
 第2楽章のちょっと瞑想的な雰囲気も私の好みである。第4楽章の無限に続く小さな渦が回転するようなメロディーが面白い。重苦しい暗いかと思えば、明るく軽快にも変わる自由な動きにいつも感服する。
 ちょっと重々しい雰囲気もある。チェロの響きが国王が弾くことを前提としていないためだろうか、かなり技術的にも高度で、そしてどこか悲哀のある低音の響きが重視されている。第20番に続く雰囲気を持っている。
 弦楽四重奏曲の最後を飾るだけの名曲に思える。




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朝から雨なのに‥‥

2014年07月09日 12時55分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩段階の天気予報は見事に外れ、朝から雨が降り続いている。沖縄と九州、そして福島・新潟では大雨となっているようだ。
 ヤフーの天気の画面では横浜市域の雨雲レーダーに雨雲の表示がない。確かめたら気象庁のホームページでも神奈川県には雨はふっていないことになっている。しっかりとかなりの雨が降っている。どうしたことなのだろう。不思議だ。

 この横浜だけの雨の状態で云うならば、風も弱く、このくらいの雨、梅雨の風情も悪くはないといってしまいそうである。しかしお昼の報道では新潟で氾濫の危険もあるようなことが云われていた。被害が無いことを祈りたい。

 NHKの昼の番組で、仙台の壱弐参横丁が放映されていた。鰻店が映っていた。いつも前を通り過ぎるだけで店に入ったことがなかった。学生当時は高価で食べることなどできなかったが、今度入ってみよう。




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