Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

歳相応ということ

2010年12月23日 12時37分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 初期の緑内障でかかりつけの眼科で、「ごく初期の白内障もある」といわれた。「笑い皺のように歳相応に皺がよっていると思ってください。手当ての必要はないがまぶしいと思ったことはあるでしょう」ともいわれた。
 「歳相応」とはあらためて聞くとやむを得ないものの淋しいものがある。同じ歳位の友人で白内障の手術をした話を聞くこともある。

 そういわれてみれば最近自動車のヘッドライトがとてもまぶしいと感じる。この白内障の初期症状だったのかと思うとともに、一定の年齢以上の「歳相応」の症状を持つ人にはこれはつらいものだということがわかる。
 人が自動車と面と向かって歩いているにもかかわらず、ライトを下に下げない車がなんとおおいことか。自動車を運転すると性格が変わる人が多いというが、自分が歩行者の時を考えればよいだけのこと。 特に最近の車は前照灯が異様に明るい。前照灯は前方を照らすだけでなく、その車の存在を対向車や歩行者にに知らせる安全上の役目もあるはずだが、あまりにまぶしすぎる前照灯はこの役目を果たしていない。目がくらんで危ないことこの上ない。車同士ならばフロントガラスの性能によってこのまぶしさは防げるが人間にこのまぶしさを防ぐ手立てはない。
 車の仕様として認められたのであろうがこの認可については再検討の余地ありと感ずる。高齢社会と云われ、人への優しさがうたい文句のこの時点で、この車の仕様はそぐわないものである。

 50歳で入退院を繰り返して以降、肉体的な歳を感ずる機会が多くなった。60歳というのは総合的に見て肉体でも精神面でも大きな変わり目なのかもしれない。