しょうりんの極めて奇妙な日常

もしかしたら少数派かもしれない私の日常と、放送大学卒業までの道のりと、抱えてきたものの考察を、のんびり書いていきたい。

イマジナリーフレンド

2017-01-04 19:30:19 | 日記
私は、イマジナリーフレンド、と決まったものはありませんでしたが、たいてい空想の産物と遊ぶくせがありました。

幼稚園の頃によく覚えているのは、ピンクのきりんです。
中川李枝子さん、中川宗弥さんの絵本、ももいろのきりんの影響です。

私は、園長先生の話しなどそっちのけで、ももいろのきりんの想像をしました。
講堂の屋根から頭を飛び出したももいろのきりんを想像して、楽しくて楽しくて、夢中になったりしました。

何にでも興味を持ち、興味を持つとルールなんかそっちのけで、そちらへまっしぐら。
ある日園外学習で、散歩しながら散策したことがありたしたが、私は途中で高校生がザリガニ釣りをしているのを見て、やらせて貰ったら楽しくて、そっちのけで高校生のおにいさんと、ひたすらザリガニ釣りをし、満足して園にかえり、真っ青になった保育士さん達に叱られても、笑っていたのを覚えています。

ある時、家のオモチャを取り出して遊び、先生に取り上げられ、全く動じずに違うオモチャを取り出して遊び出して、ビックリした話しを友達にされて、冷や汗が出た記憶もあります。

ただひたすらに、自分の世界。
ただひたすらに、空想の世界。
ありの行列が好きで、何時間も行列を見て過ごしたり、やはりちょっと普通の子ではなかったなと、今思い出しても思います。

そんな世界を内に隠し出したのは、小学生になってから。
それが、大人達を困惑させ、叱られ、おなじ歳の子から変な目で見られる事を察しはじめてからでした。

緘黙症になっていったのも、その頃から。
私は学校では、言葉を発せず一人でいる子になっていきました。

自分は宇宙人かもしれない(笑)
なんて思って、屋根に登ってUFOを待つようになったりしました。

そういう経過を見ると、なんと言うか、勉強した事と一致して、私は発達障害だったのかな??
と、疑問を感じます。

私は極度に敏感で、潔癖で、夢見がちでした。
食べ物の好き嫌いも激しく、音の煩い場所が苦手でした。
テレビの音も雑音の時が多かったですよね。

そして、恐ろしいくらい寝る子でした。

イマジナリーフレンド、というハッキリした存在は最後までなかったものの、空想は生活の半分以上を締めていました。

人とのコミニュケーションが苦手な私は、人と喧嘩しながら成長する、というのを避けてきました。
大抵私は、トラブルもなく小、中、高を過ごしました。
緘黙症になっても、助けてくれる幼馴染がいたし、パニック障害になっても、気にしてくれる友達や、クラスで孤立しても気にかけてくれる人が居たのです。

なのに私は、集団の中は孤独で、寂しかった。
一人になるのを好みました。
それに、何時も罪悪感を感じていたした。

少なくとも、40を過ぎるまで、一人で寂しいと感じた事がなかったのです。

私は、変わっていました。
変わった人も好きでした。
人は大抵、受け入れました。
一度だけ、友達に流されて離れてしまった友達がいるけど、今でも後悔しています。

それだけ人が好きでも、自分は大嫌いでした。
吐き気がするくらい嫌いな時も多かったです。

子供の頃に癇癪があったので、尚更で。
30過ぎてから、癇癪がなくなりました。

私は、不幸だったでしょうか?
多分、不幸ではなかった。
そんな自分自身を、受け入れなかった事が不幸だったと思います。

友達は、私を受け入れていた。
でも、私は受け入れなかった。

そのツケだと、よく分かっています。
私は私を知りたい。
そして、受け入れたい。

私はやはり、変わりたいのです。
変化にの先は、何かが待っていて、それは元に戻る事かもしれない。

人を好きか嫌いかと、一人が好きか嫌いかは、比べる場所が違うのです。
私は一人が好きだけど、人も大好きだから。

今、イマジナリーフレンドにも似た、空想の産物はいません。
でも、はやり一人で空想に浸ります。

私は今も変わり者で、おかしな人です。
それで、良いのです。

そう思えるようになりたいな。
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