この絵をご存知ですか…?
2002年冬の聖路加個展中に、当時入院中だった絵門ゆう子さんと出逢った。 それがきっかけとなり、のちに絵門さんから素晴らしいチャンスをいただいた。
自ら朗読をするために彼女自身が書いた物語が絵本化されることになり、その絵を描くという大役をやらせてもらうことになったのだ。
それよりも更に数年前のこと。 絵門さんがこの物語を書くきっかけになった一人の少女がいた。
小児がんを治療している子供たちを励ますために訪れた病院で、絵門さんとその少女 真由ちゃんは出逢い、二人はある約束をした。
「私が物語を書くから、真由ちゃんが絵を描いてね」
真由ちゃんはその約束を励みに、白血病と闘うつらく厳しい治療にも耐えていたに違いない。
2004年の初秋、いよいよ絵本化が現実のものとなり、その制作に向けた様々な動きが始まった時、私は絵門さんからこんな言葉を受け取った。
「真由ちゃんの思いも一緒込めて描いてください」と。
それが私にとって大きなプレッシャーになったことは言うまでもない。
私はまだ一度も会ったことのない真由ちゃんに手紙を書いた。
「真由ちゃんが楽しみにしていた絵を、私が代わりに描きます。 真由ちゃんの分まで心を込めて一所懸命に描くから、どうか許してね」
その後しばらくして、真由ちゃんの骨髄に適合するドナーが見つかり、移植手術成功の知らせが届いた。
絵門さん始め、関係者全員が大喜びしたことは言うまでもない。 そしてその知らせが大きな力となり、翌2005年の年明け早々に、絵本『うさぎのユック』は刊行された。
さて、文頭の質問について…。
『うさぎのユック』の絵本を手にされたことのある方は、おそらく全員が「絵本の裏表紙の絵」と答えるだろう。 しかし、答えは「×」
この絵を見たことのある人はいないから…。 さらに、この絵はもう存在していないから…。
実際に絵本の裏表紙に使われた絵はこちら ↓

『 みんな揃って…』 絵本「うさぎのユック」より
よ〜く見ていただければわかると思うが、向かって左から2番目のウサギの表情が違う。
このコの名前は、のんびり屋の“ノンコ” いつものんびりして、あくびばかりしているけれど、実は大切なことをちゃんとわかっている…というキャラクター。
最初に描いた絵では、ノンコを笑顔にした。 おんなのコだし、あくび顔では可哀想な気がして…。
しかし、何度見直してもしっくりこなかった。 いわゆる、“…らしく”ないのだ。 やはりノンコにはあくびが何よりも似合っていた。
そこで思い切って描き直した。 ノンコの顔の部分だけを白く塗りつぶして…ということはできずに、一作丸々新しく…。 単なる絵描きとしてのこだわり…と言ってしまえばそれまでだが。
結果的に最初に描いた絵は、陽の目を見ることもないまま私の手元に残されることになった。
絵本が刊行された年の春には、真由ちゃんが学校に通い始めたという嬉しい知らせが届いた。 絵門さんも私も、二人のサインを書き入れた絵本を持って、早く真由ちゃんに会いに行きたいと思っていた。
しかし、その嬉しい知らせからいくらも経たないうちに、思いもよらぬ悲しい知らせが…。
白血病が再発してしまったのだ。
その病気に関して無知な私は、骨髄移植さえすれば完治するものと信じ切っていた。
7月13日、真由ちゃんは14歳という若さで天国へ旅立った。
その二日後、私は真由ちゃんにお別れをするため、ご自宅のある焼津へ向かった。 その手に、ずっと私の手元に置いたままになっていた例の原画を持って…。
初めて会うのがお別れの時だなんて、あまりに悲しすぎた。 何も考えられない頭の中に急に浮かんだのがにっこり笑顔のノンコだった。 そしてその時になって初めてサインを入れた。 一つの完成した作品として真由ちゃんにあげるのだから…。
「真由ちゃんと一緒に棺の中に入れてあげてください」
そう言って、驚いた表情のお母さんにその絵を手渡したとき、絵の中の5匹兄弟姉妹と、まるで眠っているかのような真由ちゃんが、一瞬微笑んだように見えた。
あれから早や6年という月日が過ぎた。
真由ちゃんが亡くなってから一年も経たないうちに、絵門さんも天国へ行ってしまった。それでも二人が残していってくれた素晴らしいご縁はしっかりと繋がっていて、真由ちゃんのご家族、そして絵門さんのご主人といまだにお付き合いをさせてもらっている。
今週末、焼津に行く。
毎年、「今年こそ…、今年こそ…」と思いながら、七周忌を過ぎて、やっと初めてお墓参りに行くことになった。
なかなか行けなくて、ごめんね。
真由ちゃんとどんな話ができるか…、楽しみだ。
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