文教日本史

日本史好き・茶の湯好きの人々が情報を交換する場所です。真面目な意見なら、どなたでも御参加ください。

ホテル近鉄京都駅

2012年03月31日 22時06分11秒 | Weblog
ホテル近鉄京都駅に宿泊しています。

京都駅から最短のホテルと言えましょう。
新幹線改札の近鉄乗り換え方面口を出て、まっすぐ行き、下りエスカレーターを降りますと、すぐ右手にあります。



自動ドアを入って左手を見ますと、まっすぐに伸びた廊下があり、その左手にフロント、正面にロビー、その奥に朝食場があります。

エレベーターにはカードキーの黒い部分をかざして乗ります。

一般的なツインルームはこのようです。



反対側にテーブルとテレビが。下の段に冷蔵庫があります。



バスルームです。



アメニティーです。



TOOTH BRUSHU,RAZOR,SHOWER CAP,BODY SPONGE,HAIR BRUSHがそろっています。

シャンプー類はこれです。



POLAの製品です。

感想としては、新しいホテルなのできれいでいいのですが、ツインルームなのに、椅子が二人分はないし、移動テーブルもありません。それが不便です。デラックスツインにはあるようです。

とにかく、入り口を出ると、京都駅のお土産通りですから、お土産を買って、すぐに部屋にもっていけるのが便利です。
アクセスのよさを売るつもりらしく、レストランなどは整備されていなくて、新・都ホテルのものを勧めています。

駅ビルから全くでないでホテルに入れるのは大きな魅力の一つで、それも比較的リーズナブルなビジネスホテルだというのが新しいコンセプトなのかもしれません。
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東京電力への公的資金導入案

2012年03月30日 22時58分22秒 | Weblog
つい昨日、東京電力が公的資金導入を希望していることを批判的に書きました。

たしかに電力はインフラの根幹であり、それに関連する企業は特別だ、ということがあるかもしれません。
しかし、それゆえに、経済産業省の天下り先となり、好き勝手したことも事実です。

この好き勝手には、人命に関わることが含まれています。

これまで、危険である状態を政府高官をバックに「安全」と言い切り、危険だという人を小馬鹿にし、電力を供給してやっているという態度で消費者に接してきたわけです。

昨年の大震災で甚大な被害を被ったのは、東京電力だけではないはずです。

もっとまじめに、近隣住民とともに成り立ってきた小企業などは、むしろ壊滅的な被害を受けています。

そうした小企業は、これまで政府や自治体の保護もほとんど受けずに、ただただ個人の努力によって頑張ってきた企業です。

それらの小企業は、同じ大震災によって被害を受けたからと言って、公的資金を導入してもらえるでしょうか。
答えはNOです。

真面目にやってきた小企業が助けてもらえないでいるのに、それらの小企業に迷惑をかけてもおり、これまでも政府の大なる保護を受けてきた東京電力が公的資金を要望するというのは、あまりにも厚顔無恥のように思ってしまうは私だけでしょうか。

新聞には、東京電力の「国有化」などが記事となっていました。

しかし、それは茶番劇です。

いったんは国有化して公的資金導入を合法化し、しばらくすると、同じように経産省官僚が天下りする「新東京電力」とかいう民間企業に払い下げるという構図がみえみえです。

もういいかげん、国民を小馬鹿にしたような誤魔化しはやめてほしいものです。

消費税も大事かもしれませんが、それは野田さんにとって大事なだけで、国民にとって一番急務なのはなにかをもっともっと考えてほしいです。

国民の立場に、本当に立てる政治家の登場を心から期待します。
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京都駅の夜景

2012年03月30日 21時33分19秒 | Weblog
久しぶりに仕事以外で京都にやってきました。

京都駅周辺もずいぶんと変わりました。ことに京都駅の充実度はよく、駅利用の人数もすごいです。



夜になると、駅の向かいの京都タワーがきれいに駅ビルに映ります。

そのすぐ下では、噴水のイルミネーションが観光客を喜ばせています。




駅ビルにはたくさんの店が入り、充実していていいのですが、あまりに多くて、とても回りきれないですね。

今日の夕食は、新しい店ではなく、裏寺の焼き肉店「三吉」に行きました。
もとが安かったので、3割増しくらいになっていました。
それでも、ここのモツ煮込みは絶品です。

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実は2月から家族が増えています

2012年03月29日 03時10分23秒 | Weblog
以前にも書いたかもしれませんが、昨年の秋ごろから我が家によく来ていたクロベエ(猫)をついに我が家の子にしたのです。

というのは、冬は寒かったにもかかわらず、平気でベランダの段ボール箱に居ついていたのですが、正月明けに、しばらく来ない日がありました。

そして、長く姿を見せず、久しぶりに訪れると、なんと左前足が折れ曲がった状態でした。

そこで、あわてて、洗濯網で捕獲して、動物病院に連れてゆき、治療をしてもらい、そのまま家に入れることになったのです。

クロベエが何歳かは不明ですが、おそらくグーちゃんより1年くらい若いと思います。それだと3歳くらいということになります。



グーちゃんは飼い猫が捨てられた状態で我が家にやってきたので、しつけのされており、おとなしい子でしたが、クロベエは生粋のノラです。

なかなかなついてくれません。

私たちのことを恐れているわけではないのですが、完全に気を許すというところまではいっていません。



グーちゃんとも喧嘩をするわけではないのですが、まだ、じゃれあうほどには仲良くなっていません。

というか、グーちゃんはストレスを感じているようです。

グーちゃんは、最高に甘えん坊になっています。
クロベエが来る前は、我が物顔だったのが、最近は、クロベエの来ない、私の部屋に来て、寝たりしています。

早くクロベエが完全に我が家の子になってくれるのを、一日も早く願っています。
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口だけの謝罪は謝罪ではないのでは

2012年03月29日 02時38分11秒 | Weblog
AIJの社長が、口頭で謝罪しましたが、その責任の取り方については何も言いませんでした。

東京電力の社長も、四月からの値上げについては文章に不備があったことを詫びながらも、その具体的な謝罪については何も言いません。

病院で医療ミスがあっても、委員長や事務局長が「申し訳ありません」というだけで、賠償には応じません。

不思議でしょうがありません。

口頭での謝罪は、実態を伴った謝罪の第一歩にすぎないはずなのに、それで終わりにしようとする責任者たちが多すぎるのではないでしょうか。

しかも、AIJの損失隠しにしても東京電力の問題にしても、謝ってすむ問題ではありません。

アメリカのドラマのように、すぐに弁護士が出てきて、法的な駆け引きが始まるのがいいとは思いませんが、立派な大人で、その組織のトップにいる人が、言葉だけで責任を終えようとするのは、あまりにも恥ずかしく、見ていて気持ちが悪くなります。

しかも、東電は、放射能汚染の責任を国家にかぶせようとして、公的資金の導入を要請しています。

公的資金ということは、国民の税金です。
国民に迷惑をかけ、命にかかわる放射能汚染という危険な目にあわせて、その保障を当の国民の税金で賄おうというのは、泥棒に追い銭以上の厚顔さです。

申し訳ないですが、東電さんには倒産してもらいたいという怒りの感情をもった国民は多くいるのではないでしょうか。

これは、大人の世界だけではありません。

大学生でも、図書館の本を破損しながら、平気でいる学生がたくさんいますし、公共物を破損して、ただ口頭で誤るだけの若者もたくさんいます。

たとえば、些細なことをいいますと、
コピーなども、平気で失敗コピーをします。
自分のお金でコンビニでコピーするときは、失敗しないようにするのでしょうが、いざ、授業の資料に使うコピーなどは、失敗のし放題です。

つまり、自分のお金が減らなければ、公的なお金だと、なんら責任を感じないというミニマムな姿が、ここに見出せます。

私は、たとえ小学生でも学校のものを壊したりした場合は、「いいよ、いいよ」ですまさないで、きちんと謝らせて、弁償もさせるべきだと思います。

個人のものよりも、公的な物を破損する方が、いけないことなのだ、ときちんと幼少期から教えることが重要なのではないでしょうか。
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夜道の歩行

2012年03月28日 13時39分51秒 | Weblog
夜に帰宅するときに、無灯火の自転車に追い越されたりすることがあります。

ひやっと、します。

とぼとぼと歩いていると、昔のことが思い出されます。

昔は、今のように街路にあたりまえのように街灯がついていませんでした。

家の明かりが目印で、それも、就寝時間になると、消えてしまい、外は月明かりだけでした。

電灯が普及する前は、もっと暗かったことでしょう。

江戸時代は、町ごとの木戸が閉まって、外出できないようになっていたのもわかります。
危険ですから。

私が子どもの頃は、夜に外出するのは特別なことで、かならず懐中電灯をもってその明かりで道を歩きました。

今は街灯の普及で、懐中電灯を持って出かける人は皆無に近いはずです。

しかし、考えてみれば、街灯があるからといって、安全が保障されているわけではありません。

先日も、白日に現役警察官が自転車に乗っている女性を押し倒すという事件もありました。

夜道を歩くときに、たとえ街灯があっても、懐中電灯を照らしながら歩けば、少しは犯罪者の気持ちを揺さぶり、予防になるのではないでしょうか。

現代社会は空間の暗闇を緩和しましたが、その分、人間の心の暗闇を助長したかもしれません。

災害がいつ起こるかわからない昨今では、懐中電灯を持参して歩く習慣をつけることも、案外、重要なことかもしれません。
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神田古書街の喫茶店

2012年03月27日 13時50分48秒 | Weblog
久しぶりに神田古書街を歩きました。

インターネットなどで、新刊のチェックはしているつもりでも、知らない本がたくさんあります。

昨日、購入した本では、
木村哲也『『忘れられた日本人』の舞台を旅する』(河出書房新社、1800円)が、とても興味深く、帰宅してすぐに読み始めました。
1971年生まれの著者が、民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』に記述された場所を旅する紀行文ですが、著者の当時の若さと熱意に清々しさを感じます。

へぇー、こんな本がと思ったのは、
井尻千男『男たちの数寄の魂』(清流出版、2000円)です。
井尻氏は社会評論家として著名な人ですが、この方が近代の数寄者やいにしえの数寄者を扱った本を書いているとはびっくりでした。

とまあ、自分の関心にしたがっていくつかの本を購入して、腕も足もだるくなってきたときに、ちょっと喫茶店に立ち寄り、コーヒーを飲みながら、今日の古本屋めぐりの成果を確認するのも、また、一つの楽しみです。

近年は、そうしたちょっとした息抜きもなく、買いたい本だけ買って、さっと帰るという味気ないことがしばしばでした。

学生時代に、東京の中心部の大学に通っていれば、きっと、そうした楽しみもしょっちゅうのことなんだろうなあ、と明治大学や日大の学生がうらやましく感じられました。

さて、昨日は「さぼうる」に入りました。
ここは、大学院時代に恩師K先生に連れて来てもらった喫茶店で、私にはちょっと特別なお店ですが、今は2号店までできている人気喫茶です。
当時は、ダッチコーヒーやハワイコーヒーなどそれまで知らなかったコーヒーがあり、そのおいしさに感激した記憶がありますが、昨日、メニューを見ると、そういうものは消えており、悲しくなりました。
日曜日ということもあり、店内はお客さんも多く、初めて入ったときは恩師と2人だったのと雰囲気も違うようで、いささかいごこちの悪さを感じました。

それでも、奥の方に一人で陣取って、原稿のようなものを書いているおじさんがいて、少しは昔の香りも残っていることを確認して、店を出ました。

古いものがいいわけではなのでしょうが、店には、その店独特の雰囲気をもってもらいたいなあ、と勝手に考えています。

どこの店でも同じだと面白くなく、今日の気分だとあの店に行こう、という個性が欲しいですね。

そして、仕事の合間に、ちょっと「さぼうる」ことのできる隠れ家的な店があり、そこでほんのひととき英気を養うことができる。そんな空間が欲しいものです。
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仕事の合理化

2012年03月26日 22時59分52秒 | Weblog
最近、ある出版社の編集会議に出席しました。

決まった時間に集まり、会議が行われ、終了すると、そこで解散。

あたりまえのことですが、そこにはなんら創造性はありません。

たとえば、形だけ紙コップのお茶が出されます。

たまたまですが、その時の編集担当者は女性でした。
職場で、女性に「お茶くみ」をさせると、おそらく女性蔑視か女性差別になるかと思われるので、しかたないかもしれません。

しかし、男性担当者なら、お茶を出しても問題にならないかもしれません。

それはともかく、
紙コップのお茶はなんのために出されるのでしょうか。

きちんとした茶碗に急須でいれたお茶を出すと、それは女性差別になるけれど、紙コップに給湯器からお茶をいれてだすくらいなら差別にならないからでしょうか。

お茶碗で出すほどのことはしたくないけれど、習慣的にお茶くらいは出した方がいいと思うからでしょうか。

どちらかはわかりませんが、
出された方の気持ちとしては、
紙コップで出されるなら、給湯器から自分で好きな飲み物を入れたほうが気が楽でいい、という感じです。

編集会議は、決めるべきことがあり、それを決めて皆に周知させるという作業です。

ある種、義務的な仕事ですが、生み出されるものは刊行物(書物)です。

書物は読み手に創造性を生み出すべきものです。

その書物の編集会議が、義務的な作業だけで終わっていいものが生み出されるでしょうか。

無駄話や、お互いの情報交換があって、はじめて意外な創造的考えが出てくるのではないでしょうか。

案外、編集会議が終わった後の、雑談の中からいいアイデアが出てくることもあるかもしれません。

そこには一幅のコーヒーブレイクがあってもいいような気がします。

もちろん会社の編集担当者は他にも仕事を抱えており、一つの案件でのんびりしてはいられないのでしょう。

しかし、そうした仕事の体制そのものが創造性から乖離しているような気がしないでもありません。
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映画「サトラレ」

2012年03月26日 00時28分50秒 | Weblog
WOWOWで「サトラレ」という映画を見ました。

実は、漫画で読んでいたので、だいたいの設定は知っていました。

日本の妖怪に「サトリ」というのがあります。

人間の考えを読むことができる妖怪です。山にいて、人間の次の行動を言い当てる妖怪です。

この映画のサトラレはその逆です。自分の考え(思念)が周りの人に伝わってしまう存在です。

映画では、このサトラレの存在を守るために、国家プロジェクトが組まれ、けっしてサトラレ本人には、自分がサトラレと気づかれないようにして、そのサトラレが住む地域には援助金が支払われるという設定です。

主人公のサトラレは山村の医師です。
しかし、彼の思念が患者に伝わるので、手術はさせてもらえません。

サトラレは特殊能力を持つので政府は、彼を薬学研究所に行かせようとします。

しかし、映画のラストで、彼を育てた祖母がすい臓がんになり、彼が手術の執刀をすることになります。
その手術の様子は、彼の思念を通して、病院中の人々に伝わります。

彼がいかに祖母を助けたがっているか、執刀はみごとにこなせたものの、癌は転移していて、助けられなかったこと、それを悔やむ彼の心情、そういったものが、すべて伝わったのです。

すると、これまで患者にすべてを知られることを恐れて、彼に執刀させなかったのに、そうした彼に執刀してほしいという患者が続出するのです。

ここには、いろいろと考えさせられることがありました。

病院(政府)がいかに患者(国民)に隠していることが多いのか。

患者は、実は、真実を知りたがっているということ。

真実は、なにものにも代えがたいということ。

主人公の祖母に、軍から派遣された精神科医が、
「サトラレと一緒に暮らしていちばんたいへんだったのは、おばあさんですよね」
と言った時、祖母はそれを否定して、
「あのこは、日本で一番正直な子なんです」
と答えるのが印象的です。

もちろん、丸裸の自分をさらけ出すことは不可能ですが、あまりに現代は自分を隠して生きているのではないか、自分を平穏の中に埋没させすぎているのではないか、
もっと、本当の自分を他人にみせて、いわゆる「裸の付き合い」ができたほうがいいのではないか、
そんなことを考えさせられました。
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ガソリン価格の上昇

2012年03月21日 09時09分39秒 | Weblog
ガソリンが1リットルあたり150円台に突入しました。

たしか自民党政権の麻生内閣時代に、1リットルあたり100円前後だったのが、120円〜140円に上昇し、マスコミがものすごく取り上げて、麻生首相を批判したと記憶します。

その時には、トラック運送会社の悲鳴に近いレポートなども放映されました。

ガソリンスタンドも、この値段では消費者が離れて、いくつものスタンドが廃業に追い込まれるという状況でした。

しかるに、現在は150円台なのに、そうした報道が全くされません。

なぜでしょうか?

野田政権はそうした報道も規制しうるファッショなのでしょうか。

いずれにしても、この状況で消費税をあげることは、さらなる物価上昇を生み、経済が収縮することは必至です。

御用評論家は、「消費税増税ありき」の前提でしか議論しませんし、マスコミも同様です。
まるで、今の日本社会の赤字国債は、消費税を上げなかった結果のごとき論調です。

まじめに、なぜ今の赤字国債社会が成立してしまったのかを考えて、今の税率でどのようにすれば、赤字国債を減らしていけるかという議論はありませんが、それを徹底的に考えるのが、最優先事項ではないでしょうか。

教育行政についてだけいえば、大学審議会・センター入試の入試センターの2機関は全く不要です。
この2つの機関を廃止するだけでも莫大な税金の無駄遣いがなくせます。

先日、野田総理は児童福祉施設を訪問し、まるで、この子たちのためにも消費増税をといわんばかりのパフォーマンスを見せていました。

しかし、これまで消費税が導入され、さらに3パーセントから5パーセントに上がった際に、そうした児童福祉施設は、増税に苦しんだだけで、恩恵を被ってはいないはずです。

そのニュースを見たときに、あまりにあざといパフォーマンスに、まるで安物の小説の悪役を見る思いがしました。
この人が日本の首相かと思うと、ちょっと悲しくなりました。

もちろん、首相というのは、孤独でたいへんな仕事だと思います。
国民に理解されない仕事もたくさんあると思います。

しかし、過去には石橋湛山のような清廉な首相もいます。

やめられた後、「あああの人は偉かった」と国民が思えるような首相を目指していただきたいものです。
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