文教日本史

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大学生に成長度テスト

2012年02月16日 15時43分01秒 | Weblog
これも今朝の朝日新聞に載っていた記事です。

「入学・卒業時 2度受け比較」
「論理・批判力測定 文科省が検討」

という小見出しが目を引きます。

記事を拾い読みする形で概要をお知らせしますと、

「大学生の「能力測定」と位置付け、年に1回、読解力、論理的思考、批判的な思考力、文章表現力などを問うことを想定。大学の講義にどれくらい主体的に参加しているかといった学習態度のアンケートも課す。同じ学生が2度受ければ、成長度を「可視化」できると期待する」

とあります。大学生が学力をつけることはいいことです。

私も教育学部で2年生から3年生の移行期に、基礎学力テストを導入しようと提案して、大学に反対された経験があります。

しかし、私の場合、3,4年次で教育実習に出ていく学生に、最低限の基礎学力をつけなければ、本人が恥をかくし、受け入れ校の生徒も被害を被るからという明確な目的がありました。
ですから、私の提案は比較のためではなく、基礎学力の達成のためでした。

ところが、今回の文科省の提案の意図がわかりません。

いろんな専門分野の大学生がいるのに共通テストを受けさせてどうするつもりなのかわかりません。

たとえば、論理的な思考を鍛えるために大学に入ったのではない学部もあるのです。

筑波大学の体育専門学群の学生などは、まさに体育分野の専門性を伸ばすために入学しています。
今回の文科省のテストに関係しません。

東京芸術大学の音楽や美術などの学生もどうするのでしょう。

試験しても悪くないですが、試験の結果が何も意味をなしません。

まして私立大学でAO入試で入学した学生にそれを課すことの意味はゼロです。

一芸入試の学生もそうでしょう。

「文科省の担当者は「個々の学生の能力を比べるためのものではない。共通のものさしで各大学が自らの『教育力』を把握し、改善につなげてほしい」と話している」

そうですが、あたりえでしょう。
このテストで個々の学生の「個別の専門の」能力が比べられるはずがありません。
そして、「大学として参加するかどうか」自由なのですから、大学の教育力の改善にもなりません。

こうした意味のない試みを最近の文科省は次々に出してきます。

大学の授業の成果を計るとかいう、ポートフォリオなどもその一つです。

これは民主党が行政の見直しをし始めてからの現象です。

つまり、これまでの無駄遣いが否定されたから、新しいなんらかの企画を出して無駄遣いしようという魂胆にしかみえません。

この共通テストを実施するために新しい団体ができ、そこに天下りもできるようにしていくのでしょう。

なんともいろいろな隠れ蓑を考え出すことです。

そもそもアメリカの大学生に比べて日本の大学生は勉強しないという汚名を返上しようということから発想されたものらしい。
しかし、それはアメリカは入り口が簡単だが出口が難しい、日本は逆。というのは常識で、50年くらい前からいわれていたことです。
つまり、今の文科省の役人さんたちが大学生だったころも、その状況は同じようにあったわけです。

それならば、まずは、文科省の役人が現在どの程度の論理・批判力があるか公開測定してみせてほしいものです。
ジャンル:
社会
キーワード
学力テスト
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