文教日本史

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吉備真備と藤原仲麻呂

2009年02月23日 18時01分58秒 | Weblog
今日は新宿の朝日カルチャーセンターで吉備真備について話をしてきました。

吉備真備については、これまで真剣に考えたことがなかったのですが、東大のS先生の御指名でしたので、取り組んで見ました。

これまでは、
宮田俊彦『吉備真備』(吉川弘文館)
中山 薫『吉備真備の世界』(岡山文庫)
などの参考書があります。

そのなかでは、吉備真備と藤原仲麻呂は仲が悪く、真備は仲麻呂に筑前守・肥前守に左遷され、老齢にも関わらず二回目の入唐をさせられる、と評されています。

しかし、はたしてそうでしょうか。
仲麻呂は毀誉褒貶はげしい人物ですが、人材登用、経済政策には敏腕をふるった人物です。

詳しくは書けませんが、
真備の筑前守・肥前守・大宰大弐就任は、仲麻呂の外交政策において、老練で実力のある人物が必要であり、それが真備だったというだけのことではないかと思われます。

また、多くの研究者は、正式な外交だけを交流としていますが、史料に出てこない民間の交流が正式なものより何倍も活発であることは、今も昔も変わらないはずです。

たとえば、遣唐使船は揚州に到着し、その後、遣唐使たちは長安に向かいますが、水夫たちは揚州で一年以上大使たちが戻ってくるのを待ちます。

当然、長期間いるわけですから彼らの中には中国語を覚える人も出てくるはずです。

それに、揚州は新羅商人の拠点でもありました。
ということは、
揚州には、中国人・新羅人・日本人がおり、それぞれの言語が飛び交っていたということになります。

国交を結んでいなかったかのように言われている新羅の人々とも民間では交流があったと考えるべきではないでしょうか。
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藤原仲麻呂 吉川弘文館 カルチャーセンター
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