旅行をしてきた。「友人と」という修飾語がつかないのは、一緒に行ったうちのほとんどは友人と言うには微妙な関係の人々だから。「友人」を経ずして奇妙なつながりを持った類のものだからだ。
家に帰って、旅行の間に録画していた番組を見た。NHKのドキュメンタリー。経済危機の中で国家との結びつきを強めるロシア正教と人々の話。
アル中になり家族を崩壊させた男が映っていた。刑務所でロシア正教に出会い、一度離れた家族とともに家族を再生させようとしていた。男はキッチンに設けられた祭壇に向かって毎日必死で祈りつづけているのだが、妻や娘とはいっこうにうまくいかない。年ごとに信仰は深まり、祭壇には数え切れないほどのイコンや燭台が並ぶようになった。その数と毎日朝晩の祈りは男にとって家族への償いの一部となっているのだが、肝心の関係はどこかおざなりにされているようだった。山本直樹の「ありがとう」も、長く家族と離れた男の似たような必死さを描いていたように思う。殊に関係を修復するという事において、どうしていつも男というのは不器用なのだ。
いったいどの時点で償いは終了するのか分からない。償いきれずに終了した場合も、また途方に暮れる。償い欲。それはもはや、助けてほしい、とか、構ってほしい、とか、そういう気持ちに似ている。
いまもこれからもきっと男は途方に暮れ続けるだろう。毎日祭壇の前に立っては、すがるように聖書を読み上げる。いっこうに「分からない」という気持ちを持ったまま、その償いが完了した日々を夢見るのだ。
しかし償いという言葉を見ると心が痛くなる。私もたまに、途方に暮れるので、こういう男は割と好きだ。
家に帰って、旅行の間に録画していた番組を見た。NHKのドキュメンタリー。経済危機の中で国家との結びつきを強めるロシア正教と人々の話。
アル中になり家族を崩壊させた男が映っていた。刑務所でロシア正教に出会い、一度離れた家族とともに家族を再生させようとしていた。男はキッチンに設けられた祭壇に向かって毎日必死で祈りつづけているのだが、妻や娘とはいっこうにうまくいかない。年ごとに信仰は深まり、祭壇には数え切れないほどのイコンや燭台が並ぶようになった。その数と毎日朝晩の祈りは男にとって家族への償いの一部となっているのだが、肝心の関係はどこかおざなりにされているようだった。山本直樹の「ありがとう」も、長く家族と離れた男の似たような必死さを描いていたように思う。殊に関係を修復するという事において、どうしていつも男というのは不器用なのだ。
いったいどの時点で償いは終了するのか分からない。償いきれずに終了した場合も、また途方に暮れる。償い欲。それはもはや、助けてほしい、とか、構ってほしい、とか、そういう気持ちに似ている。
いまもこれからもきっと男は途方に暮れ続けるだろう。毎日祭壇の前に立っては、すがるように聖書を読み上げる。いっこうに「分からない」という気持ちを持ったまま、その償いが完了した日々を夢見るのだ。
しかし償いという言葉を見ると心が痛くなる。私もたまに、途方に暮れるので、こういう男は割と好きだ。