住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

官僚資本主義≒無責任民主主義

2017年10月10日 | 日記

  Twitterで、つい先日、解りやすい画像に出会った。
折しも、国政選挙の真っ最中、誰が原発の必要性を訴え、誰が原発の危険性を訴えているのか・・・。  
 議論としての、原発問題は良いのだけれど、10年に一度の頻度で起きる≪原発事故≫の、責任を誰かが取ったと云う峻峭な人は、寡聞にして筆者は耳にした事が無い。



  福島原子力発電所にかかる、事故処理の方法や原因も、その責任さえも曖昧なまま、同じような事故が再び起きないと云う保証も無いまま、再び国内の原子力発電の再稼働が、軌道に乗ろうとしている。


  この様な現実が見過ごされるのであれば、殆どの政策立案、遂行、そして結果のフィードバック等、だれも責任を取る人が居なくなってしまう。

  裁判員制度を、思い出して見れば良い。
犯人側の、逆恨みを怖がって、裁判官の従来の業務と責任を、一般人にまぶして、その逆恨みの矛先を避けようと云う、裁判官達の情けなさ以外、何が有ると云うのだ。

  逆恨みでも、天の裁きでも、天註でも、その政りごとの責任者は、自信を持って国民に、対峙すべきではないのか・・・。  多くの国民が幸福になるのであれば、喜んで自らの身を投げ出すくらいの責任感が、有ってしかるべきであろう。

  国家百年の安寧が、その血の雨によって、礎が培われるなら、喜んで一命を投げ出すべきであろうと思う。  チマチマと、ヘーゾーセンセーの様に、所得税をけちって住民票をアッチコッチ、守銭奴と成りきって何が楽しいのか知らないが、そもそも、人材派遣業態の奴隷産業の役員に鎮座している姿が、余りにも痛々しい。


  資本主義から、新自由主義となり、官僚資本主義となり、行きつく先は民主主義をを装った≪独裁国家主義≫に、阿保政治屋主導の行く事は、歴史の必然であるが、その先には地球生物全体の ≪ビッグバン≫ が待っている。

  山形県の人事委員会が、民間企業の給与より低いから、県職員の給与を引き上げろだって・・!  オイオイオイ・・・責任者は、責任の覚悟が有ってその様な・・・誰だ、責任者は!!
こう云う実情を、≪オ・テ・モ・リ≫ と云うのです。  責任を取ってもらいたい。
名前を名乗って、公衆の面前に出て来て、県民に説明して下さい!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿