鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

甲州街道を歩く-野田尻から犬目を経て大月まで その15

2017-08-16 07:55:43 | Weblog

 

  「大月市郷土資料館」を出て国道20号に戻り右折。

 国道に戻る途中、北西に見える山が「扇山」で北に見えるのが「百蔵山(ももくらさん)」。

 左手に「馬頭観世音」と刻まれた石造物群を見て「殿上下宿(とのうえしもじゅく)」バス停を過ぎてまもなく、右手に現れた神社が「三嶋大明神」。

 神社前の歩道橋のところにあった「百蔵山(登山口)次の信号左折→」の案内表示にしたがって道を少し戻り、信号を左折すると「宮下(みやした)橋」で桂川を渡りました。

 この宮下橋から見下ろした桂川は、猿橋付近ほどではないけれどもやはり深い渓谷をなしています。

 次の「百蔵橋」で渡った川は葛野川(かずのがわ)で、百蔵橋から葛野川の上流を眺めてみると左手は山の斜面が迫り、川の右手は狭いながら田んぼが広がる平地が川に沿って奥へと延びています。

 百蔵橋の上には中央自動車道の高架橋が東西に走り、葛野川を跨いでいます。

 この中央自動車道の高架橋近く、葛野川に面して「天保騒動」(甲州騒動)の頭取(とうどり)の一人、森武七の墓碑があるということを確認していたので、それを捜すために国道から外れたのですが、百蔵橋を渡ると「←名勝猿橋 森武七墓碑 葛野川サイクリングロード→」と記された案内表示がすぐに現れて、それに従って葛野川の方へと下って行く狭い舗装道路をたどっていくと、その道の奥に人家があり、そのやや手前左側にコンクリートの階段が上へと斜面を延びているところがあって、その階段手前に「森武七墓」の案内表示がありました。

 見上げると、真上には中央自動車道の高架が走っています。

 蔓草が覆うコンクリートの階段を上がって行くと、「大月市指定文化財 第十号 史跡 森武七墓碑」と記された、「平成五年十一月」に大月市教育委員会によって建てられた比較的新しい案内板があり、その先に新しい線香台と供花入れが置かれた墓碑がありました。

 その墓碑が「森武七墓碑」でした。

 墓碑と線香台は、四角い石垣の上に設置され、その墓碑の向こう側(東側)は車が数台停められる駐車スペースとなっており、「ここはお参りする方の駐車場所です」と記された小さな表示がありました。

 この駐車場は、案内板が建てられた「平成五年」頃に整備されたものであるようで、車でも訪れることができるようになっていました。

 墓碑の前面(南側)のフェンスには「←名勝猿橋 葛野川サイクリングコース→」の案内表示が建てられており、その下方には葛野川が流れているはずですがその川の流れは見えず、深い緑の向こうに桂川(これも流れは見えない)を隔てて神楽山や御前山などの山々や猿橋駅あたりの町並みが見えました。

 墓碑の西側には中央自動車道のコンクリートの橋脚が壁のようにそそり立っており、その上に赤い鉄骨の橋の構造物が架けられています。

 この中央自動車道の葛野川に架かる高架橋は「葛野川橋」と言い、その真下に「森武七墓碑」があることを知りました。

 

 続く

 

 



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