鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

北前船を追う-松前と江差 その15

2017-06-14 06:38:15 | Weblog

 

 「手打ちそば おぐら」に入って注文した「ひやおろし鰊そば」は、冷そばに大根おろしときざみ海苔を乗せ、その上に煮込んだ鰊(にしん)を丸ごと一尾置いたものでした。

 煮込んだ鰊は久しぶりに賞美するもので、懐かしい味でした。

 店のおかみさんが、「鰊そばはどうですか」と聞かれたので「おいしいですよ」と答え、松前城の桜(いくつかの品種)がまだ美しく咲いていることに感動したことを伝えると、お客さんが少なくなってきた時間帯ということもあって、松前の桜のことなどいろいろと話をしてくれました。

 その内容をいくつかかいつまんで列挙してみます。

 〇学校の理科の先生であった鎌倉さんが、にしんが獲れなくなって活気を失っていた松前町を活気づけるために桜の植樹に力を入れだし、それを引き継いだのが浅利さんである。

 (「鎌倉さん」も「浅利さん」も桜見本園の説明板に名前が出てきた人で、鎌倉兼助氏と浅利政利氏のこと。桜見本園造成の企画を担当したのは浅利政俊氏と田中淳氏という方であるらしい)

 〇松前城には多数の桜の品種があって、4月初旬から5月下旬まで桜を見ることができる。

 〇松前の人は桜を見てその品種を答えることができる人が多い。またそれぞれが好きな桜を持つ。

 (「おぐら」のおかみさんもその一人で、今年の桜を撮った写真の分厚いファイルを見せてくれました)

 〇松前には諸宗派のお寺が多数あり、正行寺から専念寺まで、さらに海岸近く(西側)にもう一つ寺があった。それらのお寺はお城の背後、左右を取り巻くようにしてあった。

 (今まで見た案内板によるとかつては15ものお寺があったらしい)

 〇松前に諸宗派のお寺が数多くあるのは、それぞれを檀那寺とする諸宗派の檀徒が諸国から集まってきたから。

 〇お寺が城の背後や左右にお城を取り巻くようにあるのは防衛のため。それはアイヌがお墓を踏まないからである。

 (つまり想定されたアイヌの攻撃から城や城下町を守るためであるとのこと。なぜ松前では城の背後の山側に寺町があるのかという私の疑問がこの説明で氷解したように思いました)

 〇ニシンは獲れなくなったが、昨年はブリがたくさん獲れたし、ここではマグロも獲れる。それは「松前マグロ」と言われている。

 (よく知られた大間〔おおま〕のマグロも松前のマグロも津軽海峡で獲れる同じマグロである)

 〇松前城と桜は有名だが、桜以外の観光の目玉となるものが必要。

 (観光客がやって来る時期が限られている)

 〇町の活性化には若い人たちの雇用の場が必要。

 (少子高齢化はここでも同様。保育園や小学校の園児や生徒が少なくなっているとのこと)

 〇松前は歴史があり奥が深い。江差も面白いところ。

 (江差のことが出てきたのは、私が明日は江差に行くと話したため)

 おかみさんの話の中で、とりわけニシンによる不況と桜の植樹、寺(墓地)とアイヌの信仰と松前防衛のことが興味深いものでした。

 松前藩屋敷の「あさみ商店」のおかみさんにしろ、またこの「おぐら」のおかみさんにしろ、松前の歴史に詳しく、また松前という町に深い愛情を持っていることが話の端々からよくわかりました。

 桜見本園のそれぞれの桜についての説明板の解説は興味深いものでしたが、とくに「泰山府君」(たいざんふくん)についての解説を以下に紹介します。

 「菅江真澄の紀行文『えみしのさえき』において、同氏が寛政二年四月二十二日(一七八九年五月十六日)、上ノ国町上国寺を訪れた際に、大木の桜が咲いており、その寺の松逕上人(しょうけいしょうにん)が『「この花が咲きはじめると、もうにしんという魚は群れてこなくなるといって、人々は嘆く。だからこの桜の花が早く咲かないことを人はみな願い、咲いたころには浦の人たちはうらみののしって、いっこうに花見をする人もいない」と笑顔で語った。』(内田武志・宮本常一編訳)という。

 この時の桜は、「泰山府君」であった可能性が高い。浅利政利氏の調査研究によると昭和三十年代の同寺における調査で「泰山府君」の古木を確認していること、古くから北前船を通して北海道の日本海側の寺院などに持ち込まれていたこと、「泰山府君」の花期と一致することからである。

 (シナミザクラ群栽培品種)昔、東京の荒川堤にあった桜。北陸から北海道までの日本海側に多く見られる。花は淡紅色。花径は3.2~4cm。八重咲き。花弁は50~60枚。」

 以上のことが記されていましたが、「泰山府君」の分布は、北前船と深い関わりがあるらしいということ。その「泰山府君」の苗も含めいろいろな品種の桜の苗も、北前船は蝦夷地など日本海側各地に運んだことになります。

 お昼の店仕舞いの時間近くになったため「手打ちそば おぐら」を出て、今度は大松前川の上流にある松前町町民総合センター内の松前町郷土資料館に向かいました。

 

 続く

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