鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

甲州街道を歩く-野田尻から犬目を経て大月まで その2

2017-07-29 07:25:35 | Weblog

 

  旧甲州街道に沿って、また重なりながら延びている車道は、県道30号「大月上野原線」。

 国道20号は上野原から旧甲州街道よりそれて桂川沿いを進み、鳥沢でふたたび旧甲州街道に合流します。

 JR中央本線はその国道20号にほぼ沿って延びており、一方、旧甲州街道に沿って延びているのは中央自動車道。

 したがって中央自動車道は、屈曲して山間部を走っている旧甲州街道をところどころで分断しています。

 その中央自動車道の「談合坂サービスエリア」(上り)を眼下(東側)にして、まわりの山々や山間(やまあい)の集落などを眺めながらしばらく休憩してから、「新田下(しんでんした)」バス停を通過。

 「犬目 扇山 鳥沢 至ル」の案内標示にしたがって道を進み、「安達野(あだちの)」バス停を通過しますが、ここで左に折れる道を進めば、大野貯水池を経てJR四方津(しおつ)駅に至ります。

 案内標示に従って「扇山、鳥沢方面」へ進みます。

 すぐ左手に、車道面よりも土台が低い、街道沿いによく見られる2階建ての木造家屋があり、このあたりから犬目宿が始まるように思われました。

 ゆるやかにカーブする道沿いに点々と人家が並ぶ風景を眺めながら進んでいくと、まもなく道の両側に人家が並び出し、「下宿(しもじゅく)」というバス停が現れました。

 ここが犬目宿の「下宿」であるようです。

 「犬目」については、『ねじ式』で有名なつげ義春さんの漫画「猫町紀行」で強く印象付けられていたし、また葛飾北斎の『冨嶽三十六景』のうち「甲州犬目峠」や、歌川広重の『冨士三十六景』のうち「甲斐犬目峠」において、その地名は刻み込まれていました。

 犬目という地は実際はどういうところなのか、どういうところにあるのかという興味・関心は以前からありました。

 火の見櫓がある手前、道の左手に例の「甲州街道 犬目宿 案内板」がありました。

 その「犬目宿のいわれ」によれば、犬目宿は一つの村が「宿」そのものになった形と考えられ、言い伝えによれば正徳2年(1712年)、現在の集落より600mばかり下方の斜面(元土橋〔もとどばし〕)にあった部落が、急遽そのまま現在の所に移住し、その翌年、宿駅起立の際に統一的意思により「一村一宿」の宿場として創設されたという。

 天保14年(1843年)においては、戸数56、人口255名、本陣2、脇本陣0、旅籠15(大3、中3、小7)を数えた山峡(やまかい)の小さな宿場であったとのこと。

 甲州街道の整備に伴って、下方にあった集落が、急遽村ごと移動して宿場になったということです。

 村人たちの「統一的意思」というよりも、むしろ幕府というお上(かみ)からの意思がまずあって、それに従った(従わざるをえなかった)ということであるかも知れません。

 なぜここが重要視されたかと言えば、今までの案内板を見てきたことから推測すれば、ここは扇山の山腹の、交通上・軍事上における要地であって、相模・武蔵方面や甲斐方面、そして背後の扇山を除く周囲の山々を遠望することができる地点であった、ということによるものと思われます。

 きわめて眺望が利き、また扇山山腹の隘路が続く道筋(矢坪坂=座頭ころがし)にあり、大軍が一気に抜けていくには困難な場所にこの犬目宿は所在しています。

 案内図を見ると、現在位置の手前を左に入ったところに「犬目兵助の墓」があり、先に進んだ左手に「本陣跡」、その真向いに「問屋大津屋」、宿を抜けて右へと曲がったところに「宝勝寺」があります。

 また右手の火の見櫓の隣には「御小休所跡」があります。

 この「御小休所」というのは、明治天皇が巡幸の時に休憩したところであるでしょう。

 宝勝寺の先、鳥居を潜ったところから山道が延びており、それは扇山に至る道(扇山登山道)になっています。

 それらを確認した後、道を戻って「犬目兵助の墓」を探してみることにしました。

 この「犬目兵助」は、今まで見てきた案内板にもしっかりと記載されていた人名で、天保7年(1836年)の夏に起きた「甲州騒動」(「天保騒動」)と言われる大規模な一揆・打ちこわし事件の発端となる行動を起こした指導的人物(頭取〔とうどり〕)の一人。

 この甲斐一国を巻き込む大騒動が起きたのは、広重が甲府への旅をした天保12年(1841年)のわずか5年前のことでした。

 「天保の大飢饉」は終わっていたとはいえ、広重が甲府への旅のために甲州街道を歩いた際、その大飢饉や「天保騒動」の余韻はまだいたるところに残っていたものと推測することができます。

 

 続く

 

〇参考文献

・『北斎・広重の冨嶽三十六景 筆くらべ』(人文社)

・『街道の日本史 甲斐と甲州道中』飯田文弥(吉川弘文館)

・『甲州街道』中西慶爾(木耳社)

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